305話 優れた調査員たち -1-
「ようこそおいでくださいました。こちら、陽だまり亭でございます」
「すみません、間違えました!」
入ってきた大工が思わず出て行った。
「な? この辺の連中はそういう行儀のいい感じに緊張しちまうんだよ」
「なるほど。ヤーくんの言っていたのはこういうことだったのですね」
レジーナの診察を終え、陽だまり亭ルームツアーも一通り終わった後、カンパニュラは俺たちと一緒にフロアに立っていた。
と言っても、いきなり働かせるようなことはしていない。
カンパニュラはバイトではなく行儀見習いだからな。
こいつには、仕事をさせるのではなく、いろいろなものを少しずつ経験させてやりたいと思う。
「今出てったヤツ、呼び戻してくるな」
デリアがドアを出て逃げ出した大工を追いかけていく。
すぐに戻ってくるだろう。
「じゃあ、次は俺の言ったとおりにしてみろ」
「はい」
カンパニュラが水まんじゅうのようなぽや~んとした目で頷く。
分かったんだか分かってないんだか、よく分からないような表情なのだが、カンパニュラは分からなかったことは分からないと言ってくるのできっと分かっているのだろう。
数秒後、デリアの説得を受けた大工がおっかなびっくり「ここ、陽だまり亭、ですよね?」みたいな顔で店に入ってくる。
カンパニュラの背を押して、『いつもの』挨拶をさせる。
「いらっしゃいませ、ようこそ陽だまり亭へ」
「ぅはあ! 可愛いっ!」
カンパニュラの出迎えを受けて、先ほど一度表へ逃げていったカワヤ工務店の大工が床に沈んだ。
「お、ちゃんと出来たな、カンパニュラ」
倒れた大工を跨いで、デリアが店内へ入ってくる。
デリアに褒められたカンパニュラは、喜びよりも驚きの表情を見せている。
「すごいです。言葉遣い一つでここまで印象が変わるのですね」
いつでもどこでも最上級が求められるわけじゃない。
時には、敢えてランクを落とすことも重要なのだ。
そういうことを教えてやると、カンパニュラは感心したように深く頷いて、「なるほど。思い至りませんでした」と呟いた。
「そういうの、お前の母親はうまいぞ。帰ったらじっくり観察してみるといい」
「母様が? ……そうなのですか。私の前ではいつも優しい母様でしたので、使い分けているなんて知りませんでした」
「『怖い母様』もいろいろ見てるだろ?」
「はい。父様が酒場の女性店員さんを、少々よろしくない視線で見た時の母様は、歴代最高級に迫力がありました」
「……チャレンジャーだな、お前の父親」
ルピナスといる時に他所の女に目移りするとか……
「ヤシロだったら、すぐに首が落ちそうだね」
手伝いもしないのにずっと居座っているエステラが面白がって笑う。
ふん。俺の場合、そもそもルピナスのような危険な女には近付かないのだ。
「カンパニュラも、ヤシロが悪いことをしたら叱ってあげるんだよ。それが、ヤシロのためにもなるからね」
「余計なことを教えるな」
「私が叱ることが、ヤーくんのためになるのですか?」
「そうだよ。悪いことをしているって気付かせてあげないと、自分が悪いって自覚しないから、彼は」
「俺、悪いことなんかしてねーもん」
「ね? こういう男だから、遠慮なく、むしろ積極的に叱ってあげるんだよ」
「はい。留意してみます」
「はは……また、難しい言葉で了承してくれたね」
言葉のチョイスがいちいち小難しいカンパニュラ。
一回教会に連れて行ってみるか? バカなガキの中に混ぜればいい具合に知能指数下がるんじゃないだろうか?
「カンパニュラさん。どうですか? お仕事は楽しいですか?」
注文の料理をずばばっと仕上げて、ジネットが厨房から出てくる。
どうにもカンパニュラのことが気になるようだ。
「はい。ジネット姉様。とても楽しいです」
「では、今のような素敵な笑顔でお客さんを迎えてあげましょうね」
「はい」
ジネットとカンパニュラのやり取りをデレッとした顔で見つめている大工連中。
昼にはまだ少し早い時間なのだが、交代で休憩を取っているようで、今はトルベック工務店よりカワヤ工務店の大工の方が多い。
「では、カンパニュラさん。注文を取ってみましょうか」
「私に出来るでしょうか?」
「出来ますよ。大丈夫です、わたしが隣で見ていますからね」
「それに、相手は大工だから、失礼があってもセーフだ」
「あぁ……トルベックの大工の言ってたこと本当なんだ……いい店なのになぁ、ここ」
トルベック工務店の大工から、カワヤ工務店の大工へ、陽だまり亭のよからぬ噂が流されているらしい。
けしからんな。
連中は今後問答無用で陽だまり亭懐石を食わせるとしよう。
赤字分を回収するために!
「カンパニュラ。ジネットちゃんのマネをしてごらん。笑顔で、楽しそうに、お客さんとおしゃべりをするみたいにさ」
そうカンパニュラにアドバイスをして、「ごめんね、ちょっとだけ付き合ってあげて」と、カワヤ工務店の大工に耳打ちする。
「微笑みの領主様の耳打ちっ!?」
耳打ちされた大工が一回「ビーン!」と伸びた後に、伸びたままの状態で床に倒れ込んだ。
その後、ボウリングのピンが倒れた時のような軌道で床をぐるぅ~りと転がる。
「エステラ。実験台を壊すなよ」
「悪気はなかったよ! ……って、実験台って!?」
床に転がる大工の額をぺちぺち叩いて起こし、椅子に座らせる。
「じゃ、練習台よろしくな」
「まぁ、別にいいですけど……」
と、俺には渋い顔を見せる。
「ありがとうね」
「微笑みの領主様のお願いですもの! 喜んで!」
エステラにはこの愛想である。
なんだろう、俺とエステラに対するこの差。
「乳のサイズは大差ないと思うんだが……」
「そこで態度の差が出てるわけじゃないよ!? ……って、誰が大差ない胸か!?」
エステラが怒り、そしてジネットがまたいつものごとく「懺悔してください」と叱ってくる――と思ったのだが、ジネットよりも先にカンパニュラが動いた。
俺の袖をひっぱり、注意を自分に向けた後、腰に手を当てて、俺を指さして、俺を差した指を上下にぶんぶん振りながら、ほっぺたをぷっくりと膨らませて精一杯怖い顔をしてみせる。
「ヤーくん! そういうことを女の子に言っちゃダメなんですよ! ごめんなさいしてください!」
ぶんぶん、ぷっくり、ふんすー。
え、なに、これ。
かわいっ。
「一時間に一回くらいみたいな、この催し物」
「ヤシロ。君のために叱ってくれてるんだから、反省くらいしなよ」
「いやでも、ジネットもめっちゃ肩ぷるぷるさせてるぞ」
「す、すみません、あの……あまりに、可愛くて……」
「も~ぅ、聞いているのですか、ヤーくん! 叱られた後は、ちゃんとごめんなさいするものですよ!」
むぅむぅ! と両腕をぶんぶん振って抗議してくるカンパニュラ。
やり慣れていないことをするものだから、呼吸のタイミングが計れずに顔が真っ赤になっている。
「ほら、ちゃんとごめんなさいしないと、カンパニュラが倒れちゃうよ」
「しょーがねーなぁ……」
叱るカンパニュラに免じて、今回は素直に謝っておくか。
「エステラ。おっぱいぺったんことか言ってごめん」
「おぉーい! 他に謝罪の言葉は思い浮かばなかったのかい!?」
「無い乳ぺったんな事実を指摘してごめん」
「謝る気ないだろう!?」
「おっぱいちっちゃいなーって、大きな声で世間に公表しちゃってごめん!」
「って言ってる声が物凄く大きいよ! 悪意の塊なのかい、君は!?」
「おっぱいが――」
「もういいよ!」
ふぅ、もう謝罪は必要ないと言われた。
これで和解成立だな。
「ほれ、ちゃんと謝ったぞ」
「はい。よく出来ました。お利口さんです」
にっこにこな笑顔で俺を見上げてくるカンパニュラ。
内容はともかく、ごめんなさいと伝えることが重要らしい、カンパニュラの中では。
……それって若干、教育失敗してね?
「ヤシロさん」
ここまでの流れをじっと見守っていた大工が、低い声でつぶやく。
「その娘の頑張りに免じて、陽だまり亭懐石~彩り~を一つもらおうか」
どうした大工!?
めっちゃきらきらした目ぇしてるけど!?
お気に入りのキャバ嬢にドンペリピンク入れるみたいな感覚!?
お前のツボにドストライクしちゃった!?
じゃあ悪いけど、しばらく出禁な?
「ヤシロさん」
「ヤシロさん」
「ヤシロさん」
その他、店内にいた大工たちがガタッと立ち上がり、こちらに向かってサムズアップを突きつけてくる。
「「「こっちにも、陽だまり亭懐石~彩り~を頼むぜ☆」」」
この街に、ドンペリピンク的な文化が根付いてしまった。
ご祝儀懐石か?
「ジネット、めっちゃ懐石入ったけど、いけそうか?」
「はい……」
緩みきってまだ元に戻らない頬を両手で押さえ、ジネットがカンパニュラを見つめている。
「カンパニュラさんのために、わたしも頑張りますね」
作る方もご祝儀気分なのかよ。
「そこですかさずお手伝いに立候補するロレッタちゃんです!」
「……マグダは、前回の練習で店長に及第点をもらった」
陽だまり亭懐石をまかないにした日、マグダとロレッタは飾り切りの練習をしていた。
及第点がやれたのはそれぞれ一種類だけだ。
マグダはカボチャ。ロレッタはカブ。どちらも直線的な切り込みを入れるだけなので比較的簡単だ。
まぁ、正直戦力にはならんが、盛り付けくらいは手伝えるだろう。
「じゃあ、三人で頼む」
「任せてです!」
「……フロアはヤシロに任せる」
「おう、任せとけ」
「あたいもいるぞ、マグダ」
「……デリアは…………まぁ、がんばって」
「おう! 頑張るぞ!」
今、確実に頭数に入ってなかったよな、デリア。
まぁ、カンパニュラがデリアのマネをして接客を覚えると後々大変だもんな。
よし、ここは先手を打っておこう。
「じゃあ、カンパニュラ。エステラのマネをして接客の練習をしてみるか」
「はい!」
「えっ、ボクがお手本するの!?」
「お前しかないだろう。男の俺のマネじゃ、女子の可愛らしさを引き出せないし、……デリアのマネをさせる気か?」
「それは、……そうだけどさぁ」
「よろしくお願いします、エステラ姉様」
「くぅ……っ、このタイミングで初の『姉様』呼び! カンパニュラはきっと大物になるなぁ……」
嬉し悔しい感情がエステラの表情を緩ませる。
チョロいなぁ、ウチの領主様。
カンパニュラをマーゥルのところに預けたらとんでもないことになるかもな。
はは……、恐ろし過ぎて冗談でも言えねぇな、そんな提案。
そんなことをしつつ、俺は待っていた。
各区の給仕長に頼んでおいた調査の結果が届くのを。
まぁ、尻尾はつかめねぇと思うけどな。
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