296話 本日の来訪者は泥と雲 -4-
「まぁ、美味しい。香りがすごくいいのね。それに苦みも優しくて飲みやすいわ」
「ありがとうございます、シラハさん」
ジネットの――陽だまり亭のコーヒーを飲んでシラハが頬を緩める。
コーヒー好きには、ここのコーヒーは刺さるだろう。
絶妙なんだよなぁ、苦みと酸味が。
「次号の『リボーン』では、コーヒーのクーポン券でも付けてみるか?」
「わぁ。それはいいですね。コーヒーはあまり飲まれませんし、これを機に飲む人が増えると、わたしも嬉しいです」
それで、陽だまり亭懐石~彩り~の赤字覚悟の割引がなくなるなら、俺も嬉しいです!
コーヒーは定価10Rbなので、無料券にしてもいいかもな。
口に合わないヤツもいるだろうし、無料なら「お試しで」ってのにちょうどいい。合わなくても「損した!」って気にはならないだろう。
「あ、そうそう。次号では私もくーぽん券? っていうのを出したいわ」
相変わらず横文字が苦手なムム婆さん。『強制翻訳魔法』のさじ加減なんだろうが、どうにも『ひらがな英語』に聞こえる。
「でも、ムムお婆さんのお店は元から良心的なお値段ですし、これ以上割引なんて出来るんですか?」
「しみ抜き一回無料券。最近オシャレな人が増えたでしょう? ちゃんとしたしみ抜きをすればもっと綺麗になるのにって思うことが増えたのよ」
もともと貧乏区だった四十二区において、洗濯をプロに頼むという習慣は根付いていない。
しみ抜きにしたって、自宅で頑張ってゴシゴシするくらいだ。
そのせいか、しみは抜けないものだという認識が根強い。しみになったら諦める。それがこの街の常識になっているのだ。
しみになったからって捨てるようなヤツはいないが、当て布をしたりして誤魔化すヤツがほとんどだった。
「私にやらせてくれたらなぁ~って、ずっと思っていたの。だから、一度無料でやらせてもらって、気に入ったなら次からよろしくねって。ね、どうかしら?」
「大変ではないですか? 無料だなんて……」
「大丈夫よ。私、お洗濯大好きだもの」
「では、何かお手伝い出来ることがあったら言ってくださいね」
「ありがとうね、ジネットちゃん」
奇しくも、ムム婆さんは俺と同じことを考えていたようだ。
無料なのだから失敗しても惜しくない。
とにかく一度試して、気に入ればよろしくな、と。
やっぱ、この婆さんしたたかだな。
四十二区で生き残ってきただけのことはあるぜ。
「なんだい、その『リボーン』っていうのは?」
「あ、待ってください。今持ってきますね」
言って、陽だまり亭に常設してある『リボーン』を取りに行くジネット。
過去の情報紙の時同様、ジネットは陽だまり亭の記事が載っている『リボーン』を大量購入していた。
変わらないなぁ、あいつは。
「これです。とっても面白い記事がたくさん載っているんですよ」
「へぇ、面白いね。一部売ってくれないかい?」
「差し上げます。たくさんありますから」
「いやいや。これの売り上げも四十二区の糧になるんだろう? 是非買わせてもらうよ」
「えっと……そうなりますと……」
ちらりとジネットがこちらを向く。
販売ということになると、陽だまり亭が勝手に行うわけにはいかなくなる。
「じゃあ、コレと出張所にある『リボーン』を一冊交換ってことにしとけ」
「そうですね。では、これは出張所の『リボーン』です」
第一回『BU』っ子みんなで情報紙を買いに行こうツアーの際、『BU』っ子を説得するため――という名目で陽だまり亭出張所で『リボーン』の販売を行った。
もちろんアレは領主の許可を取ってある正式な販売だ。
現在はニュータウンにある各店舗と領主の館でのみ販売しているが――そろそろ販売形態を変えるべき時だろう。
外からの客がニュータウンの外にまで溢れてきている。
二号三号と発行数が増えれば「あ、それ持ってない!」って客も出てくる。
その度に「ニュータウンで買え」では商機を逃してしまう。
申請をすれば、どこの店でも買えるようにするのがいいだろう。
商品を読んで自分は買わないなんてセコいヤツが出ないように、『リボーン』を置く店の者は最低一部以上の購入を義務づけて、な。
販売形式はレジーナの置き薬と似ていて、売れた分だけその売り上げを領主へ支払うというシステムだ。
10冊売れれば10×5で50Rbを支払う。
そのうち、一割が店の取り分になる。50Rbの売り上げなら5Rbバックがある。
なので、売れば売った分だけ利益は上がる。
ただし、押し売りのようなことをすれば店の信用が落ちる。
さりげなく置いておいて、買ってもらうのが得策だろうな。
この販売方法は、行商ギルドのアッスントがOKを出したから実現したもので、情報紙には決してマネの出来ないやり方だ。
行商ギルドも、場所が変われば責任者が違うからな。
上の方の区は、以前のアッスントのように、隙あらば上層区に食い込んでやろうという野心を抱えた連中ばかりだ。
「四十二区大好き! 絶対離れませんよ!」なんて変わり者はアッスント以外にはいないだろう。
新しい販売形式とか、画期的な挑戦なんて許可されるとは思えない。
失敗したら自分の評価を下げることになるからな。
あ~、やだやだ。足の引っ張り合いしか頭にない連中は。
「では、一部5Rbになります」
「へぇ、安いんだね」
「最初だけだ。次からは一気に20Rbに値上げだ」
「あはは。この一冊でファンを掴んで離さないという自信があるんだね。頼もしいじゃないか」
創刊号割引システムを、オルキオは「コスい!」とは言わなかった。
むしろ感心しているようだ。
「へぇ、面白いね。見てごらん、シラぴょん。五十代からのオトナファッションだって」
「まぁ、素敵ねぇ。落ち着いていて、それでいてエレガントで……」
「それは、ウクリネスさんの提案なんですよ」
「まぁ、あの触覚カチューシャを作った方? やっぱり素敵な女性なのねぇ」
その素敵な女性のことを悪魔のように恐れている半裸のヤママユガ男がいるんだぞ、お前らの区に。誰とは言わんが、ウェンディの親父だ。
「これ、私にも売ってくださるかしら?」
「シラハさんもですか?」
「だって、私もこのくーぽん券っていうの、使ってみたいわ」
クーポン券は一枚につきお一人様まで有効だ。
……うっさい、セコいとか言うな! 一枚で四名様まで利用できますとか、流通の確立された日本だからこそ出来る暴挙なのだ。
その恩恵を当たり前と思うなかれ!
陽だまり亭懐石~彩り~を一枚で四人なんてペースで使われたら……印刷所を破壊しに行っていたかもしれん。
「そうだ。次は是非私たちにも寄付をさせておくれよ」
「そうね、それがいいわ」
「では、後ろに載せる宣伝を何か考えておいてくださいね」
「宣伝かぁ……何か載せたいことはあるかい、シラぴょん?」
「オルキオしゃんからのラブレター……とか?」
やめろ。
全区で一定数の人間がリバースしてしまう。
「二人の馴れ初めや現在のことなんかを書くと、今別種族恋愛で悩んでいる人を勇気づけられるかもしれないわねぇ」
ムム婆さんがそんなことを言う。
どこかにはいるかもしれないな、そういうカップルも。
「そうだね。もしそれで誰かの力になれるなら」
「そうね、素敵だわ。さすがね、ムムさん」
「うふふ。ちょっと思いついただけよ」
「私、あなたと仲良くなれて嬉しいわ」
「私もよ。あなたのお上品さを見習わなくっちゃ」
「やだわ、もう十分よ」
「そんなことないわよ」
うふふと笑みを交わすババア……いや、老少女たち。
いくつになっても、こういう感覚ってのは変わらないんだろうな。
まるでパウラとネフェリーがオシャレについてしゃべっている時にそっくりな雰囲気だ。
『リボーン』で文通相手の募集とかしたら、意外と流行ったりして。
「それでね、ヤシロ君」
オルキオが声のトーンを変える。
「今回の一件なんだけど――」
ある種の確信を持った目が俺を見る。
答え合わせでもしたいかのように、俺に回答を求めている。
いいぜ。聞かせてやるよ。
今、俺たちが想定している敵をな。
「おそらく、想像通り……、ウィシャートの差し金だろうな」
「――やはり、ね」
オルキオが吐き出したため息には、苛立ちと少しの寂しさが滲んでいた。
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