245話 ヒントはあったんだぞ -3-

「あなたには気付いてほしかったのよ。この、先のない『BU』という組織の、愚かなシステムに。それがもたらす絶望的な未来に」


『BU』のシステムは破綻している。

 生活に窮して、他区へ侵略まがいの難癖を付けざるを得なかったのが何よりの証拠だ。

 いくらドニスといえど、自身がそのシステムの中にいたのではシステムを変えることは難しい。壊すとなればなおさらだ。


 だからこそ、マーゥルが動いた。

 そして、俺たちをけしかけた。


「今、本気で四十二区と事を構えれば……『BU』は消滅。それだけではなく、それぞれの区は吸収合併される可能性すらあるわよ」


 経済が立ち行かなくなれば、近隣の区との合併、または他区への吸収ということになる。

 そうなれば、領主は廃業だ。


「それに、動き出した四十二区はもう止まることは出来ないのよ。振り上げた拳は、どこかに下ろさなければいけない」


 ゲラーシーがエステラを見る。

 どうやら、エステラの本気が恐怖として脳に焼きついたようだ。俺ではなくエステラを見やがった。あの目は本気だったと、ゲラーシーの脳が学習したんだろうな。


「私なら、この修復困難なほどにもつれてしまった四十二区との関係を、波風立てずに収めることが出来るけれど……どうする?」

「そ………………それは」


 何度か唾を飲み込もうとして失敗している。

 口の中が乾いているのだろう。

 イネスがそっと水を差し出すが、腫れ上がり変色し始めているゲラーシーの右手はコップを掴むことなく、わなわなと震えるばかりだった。


「私に…………領主を、辞めろと…………そういうことですか?」

「そうね。あなたには、壊滅的なまでに領主としての才能がないわ」


 断言され、ゲラーシーが唇を噛み締める。


「父が甘やかしてしまったのね。母が他界して、厳しく育てるのにも限界が来ていたのね……可哀想に、どっちも」


 その声は、本心からの同情に聞こえた。


「けれど、私は今さら領主になんてなりたくないわ。領民も戸惑うでしょうし、領主はあなたのままで――ただ、私に決定権を譲渡してほしいの。ごく一部、四十二区とのことだけでいいわ。その決定権をちょうだい。それで、すべてを丸く収めてあげるわ」


 領主は変わらずゲラーシーのまま、四十二区との窓口にマーゥルを置く。

 それだけで、この窮地を脱することが出来る。

『BU』の崩壊を防ぐことが出来る。


 もしこれでゲラーシーが渋れば、議長権限で多数決を採ろうと思っていた――どうせ、ゲラーシー以外の領主はマーゥルの意見に賛同するだろう。反対するのは領主としての力の一部を奪われるゲラーシーだけだ――だが、どうやらその必要はなさそうだ。


「分かりました、姉上…………よろしくお願いします」


 起立し、腰を曲げ、ゲラーシーが頭を下げた。

 真剣な表情を作っていたマーゥルが胸を押さえてほっと息を漏らした。


「あぁ、よかった」


 そうして、俺に向かって恨みがましそうな表情を見せる。

 頬を膨らませて、眉をつり上げて。


「まったく、ヤシぴっぴの提案だから信じて乗ったけれど、心臓が止まるかと思ったわ」

「いや、素ですごかったぞ?」

「順序が違うのっ」


 両手で拳を握り、発散しきれない腹の中のモヤモヤを振り払うように、マーゥルが両腕をぶんぶんと振り回す。


「萌ぉーーーーーえぇーーーーーーー」


 どこかで一本毛のジジイが鳴いたが、あえて盛大にスルーする。

 つか、どうせ言うなら表情変えろよ。ずっと厳めしい顔のまま、声も変えずに言うから、周りの領主どもも「何事だ!?」「聞き間違えか!?」みたいに戸惑ってんじゃねぇかよ。


 まぁ、一本毛はさておき――


「自分が不利な立場での交渉って、本当に心臓に悪いのよ。……はぁ、まだドキドキしているわ」


 緊張が抜けたのか、マーゥルがふらつく足で空いた椅子へと腰を下ろす。

 シンディのナイスフォローで、マーゥルは危なげなく着席した。


「…………『これより先』って一文が入っていたら、私、破滅だったかもしれないわね」

「ないない。だってゲラーシーだし」


 俺とマーゥルの会話を聞いて、ゲラーシーが顔色を変える。

 なんの話をしているのかは分からないが、自分はまた担がれたらしいということだけは理解したようだ。


「き、貴様…………まだ……っ、まだ何かあるのか?」


 少し泣きそうな声で俺に詰め寄ってくるゲラーシー。

 あ~、こいつ今日で相当ストレス溜め込んだだろうなぁ……胃と頭皮に気を付けろよ。ストレスは怖いから。


「ヒントはあったんだぞ」

「ヒントなどいらん! 答えを寄越せ!」


 だからダメなんだよ、お前は。


「俺が折角話題に挙げてやったのに、お前ら全員『どうでもいい』って保留にした話があったろ?」

「え……?」


 ゲラーシーは振り返り、他の領主の顔を窺う。

 が、誰一人として気が付いていない様子だ。ドニスも。


「俺さ。今朝、エステラが馬車で出ていくのを見送ったんだよな」

「…………それが、なんだ?」

「でも、俺の方が先に着いてたろ? マーゥルのところに行って、兵士の格好をして、この館の警備に潜り込むだけの余裕もあった」

「…………ん? つまり、何が言いたいのだ?」


 分かんないか。

 じゃあ、ヒント2。


「こいつらは、四十二区の領民で、陽だまり亭って食堂からこれだけの量の料理を運んできたんだ」

「だからっ、……それがなんだと聞いている!」

「どうやって持ってきたと思う?」

「そんなもの……っ、ば、馬車……で?」


 そんなことしたら、この料理全部に通行税が掛かってこっちは大損だ。

 あくまで、材料費もほぼタダで、労働力の部分だけをサービスすればいいって状況じゃねぇと、ここまでの大盤振る舞いは出来ねぇよ。

 豆はマーゥルの通行税免除の許可証のおかげで、安く手に入ったしな。


「……『これより先』という文言がキーになりそうじゃな」

「お、ドニス! いいところ突いてきたな。ほれ、ゲラーシー、もう一息だ」

「つまり………………あぁぁ! イライラする! ……痛ぁ!?」


 イライラのあまり髪を掻き毟ったゲラーシーは、自分の右手の惨状を忘れていたようで、激痛に顔を歪ませた。

 お前はロレッタか。


 すげぇ筋肉痛で寝込んでいたくせに、「二十九区で一仕事する」って言ったら「あたしも行くです! ギリギリまで休めば体動くです!」って。

 でまぁ、朝のうちに激励の弁当を持っていったわけなんだが……ホント、プロだな。 でも、ちょっとつんって突くと「ぎゃあああ!」って言うけどな。


「要するに、もうすでになんらかの契約を四十二区と交わし、なんなら履行されているものがあると、そういうことだな」


 そんなドニスの言葉に、マーゥルが「まぁ!」と感心した表情を見せる。


「さすがね、ミスター・ドナーティ。私、あなただけは敵に回したくないわ」

「ごふっ! ごほっごほっごぉーっほごほっ!」


 ジジイが死にかけている。

 おい、誰か。トドメを刺してやれ。


「…………ワシもじゃ」


 さりげない告白は、残念ながらさっきむせたせいでノドが飛んで声になっていなかった。はい、やり直し~。

 つか、「ワシ、もじゃ」って。お前は「もじゃ」じゃなくて「つるっ」もしくは「ぴよん」だよ。

 ん? 髪の話じゃないのか?


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