232話 昔と今と、老人と若者と -2-

「ねぇねぇ~、ヤシロく~ん☆」


 ちゃぷんと水を跳ねさせて、マーシャが挙手をする。

 濡れた肌がきらきらと輝いている。

 腋まで真っ白。……イイネ!

 いやしかし、その腋からなだらかに続く乳房へのラインが……なおイイネ!


「なんだか気分がいいから~、私、歌っちゃおうかなぁ~?」


 マーシャの歌かぁ……

 人魚は歌がうまいと言われている。

 マーシャは声も綺麗だし、歌もうまい。

 ただ、この世界の歌は『もっさい』のだ。

「オラが村のイモさは天下一品~♪」とか、「イノシシ追いかけてひと山越えて~♪」とか……美人が歌うと、一層むなしさを誘うんだよなぁ……


「ほぅ、人魚の歌を聴けるとは。まさか生涯でそんな機会に巡り合えるとは思ってもみなかったぞ」


 ドニスが乗り気だ。

 海が近くになければ、人魚に会うことすら珍しいからな。

 じゃあ、まぁ、歌ってもらうか。マーシャが歌いたいってんだから、止める理由もないだろう。

 ただ俺が我慢すればいい、それだけの話だ。


「こほん、それでは~、海漁ギルドの歌姫、マーシャ! 歌いま~す☆」


 マーシャが手のひらを合わせて、その隙間にそっと唇を添える。

 すると、甲高く澄んだ音が流れ出した。

 まるでフルートのような音色が、切ないメロディを奏でる。




 夜に揺蕩うホタルイカ 海に閉じ込めた星空ね

 月も見えない夜だから 私はあなたに捕まった


 逃げる時は後ろ向き 瞬発力は海底一

 エビ反りで逃げるマイハート

 捕まえたあなたはボイルme


 乱暴に殻を破かれ――むき身ね、私

 背ワタも取るのね――爪楊枝が便利

 衣をつけて――小麦粉・卵・パン粉の順に

 熱い油で一気にフライ・アウェイ――あ、フライって揚げ物の方のフライなのね


 あなたに変えられた今の私には――タルタルソースがお似合いね(エビフリャー!)



 最後にもう一度、切ないメロディが流れて、曲が終わる。

 誰も何も言わない中、ドニスがぽつりと呟く。


「悲しい……恋の歌だな」

「いや、エビフライの歌だろう」


 なんでか途中で一回ボイルしちゃってるけども。


 けれど、ガキどもを含め、周りからは拍手が巻き起こっている。

 みんな、歌詞とかどうでもいいんだなぁ……


「ねぇねぇ、どうだったかな☆ ヤシロ君?」

「揚げる前に筋を切っておかなきゃ身が丸まっちまうぞ」

「あー、そこは盲点だったなぁ☆ 歌詞、書き換えなきゃ」

「いや、そこはどうでもいいと思うよ、マーシャ」


 エステラが難しい顔をしている。

 こいつも歌詞が気になったのだろうか。


「それよりも、最後の(エビフリャー!)って叫びは必要ないんじゃないかな?」

「そこもどうでもいいわ!」

「いや、でもね。もうその時点で、言われなくてもエビフライってみんな分かってるだろうし、あえて重ねることでくどさが出ちゃう気がするんだよね」

「だから、いいっつのに!」


 語るな、こんなくだらない歌詞について。

 今の歌の、どこを直すべきかと聞かれたら、俺は全部と答えるぞ。

 しかし、娯楽の少ないこの街のこと。あんな歌でも大盛況なのだから侮れない。

 蓄音機でも作ってレコードを売り出すか?

 意外と儲かるかもしれない。


「ところでヤシぴっぴよ」


 ゆっくりと、体をこちらへ向けるドニス。


「今回の酒宴。主題はなんなのじゃ?」


 ……動いたか。

 さすがに、ドニスも暇を持て余しているわけではないからな。ダラダラとどんちゃん騒ぎに付き合ってもいられないのだろう。

 わざわざ呼びつけたからには目的がある。それくらいは思い当たる。


「用件は二つだ」

「ほう」


 なので、こっちもぼちぼち戦闘態勢に入る。


「お前の望みを叶えることと、俺たちの望みを叶えること。この二点だ」


 実に単純明快。

 双方、美味しいとこ取りをしようぜという持ちかけだ。


「ワシの望みというのは、フィルマンのことだな」

「あぁ」


 と言いながら、もう一度フィルマンたちに視線を向ける。

 まだ固い。だが、行くしかないか。


「リベカ」


 手招きをしてリベカを呼ぶ。

 少々後ろ髪を引かれながらも、リベカがこちらへとやって来る。


「呼んだのじゃ? 我が騎士よ」

「いよいよ告白タイムだ」

「にょにょっ!? …………む、むぅ……そうか、いよいよか……」


 リベカが体を固くする。耳も「ぴーん!」だ。

 領主としてのドニスには緊張しないリベカも、彼の叔父であるドニスには緊張するらしい。


「ドニス。リベカだ」

「うむ、よく存じておるぞ。彼女はもはや、我が二十四区にはなくてはならない存在だ。三十五区におけるマーシャ殿のようなものだな」

「えへへ~☆」


 ちゃぷちゃぷと水を跳ねさせて、マーシャが余裕の笑みを浮かべる。お世辞にも慣れたものだ。


「職人としてのリベカの有用性はその通りだろう。で、一人の人間として見た時、こいつをどう思う?」

「ぷりちー!」


 そう来たか!?

 やっぱり九歳がドストライクなんじゃねぇか!

 そして、モーニングスターを握りしめているフィルマンがソフィーに止められている。

 恋敵じゃねぇよ……


「ここだけの話じゃが……無防備な感じがそそるよのぅ。腋とか」


 今度はモーニングスターを握りしめているソフィーがフィルマンに止められている。

 フィルマン。殴りたい感情を殺して必死にソフィーを止めろよ。そいつはお前と違って手加減と容赦って言葉を知らないからな。


「ところでワキス」

「ドニスじゃ」


 うっせぇ、腋フェチ。

 九歳女児の腋にはぁはぁする変態なぞ、ワキスで十分だ。なんか、腋のエキスみたいな名前がお似合いだ。


「さっき、ヤシロ君も私の腋見てたよね~☆」

「それとこれとは話が別……え? バレてた?」

「もちろん~☆」

「誤解がないように言っておくが、俺が見ていたのは腋から乳房にかけてのラインであって俺は腋フェチではなく、きちんと乳フェチで……」

「うんうん☆ たぶん誤解なんてしてないと思うよ~、微塵も☆」


 く。話が逸れた。

 この件は後日ゆっくりと語り尽くさねばなるまい。腋と乳の境界線について。


「それでだ、ドニス」


 表情を引き締め、話を戻す。


「こんな娘が欲しいとは思わないか?」

「九歳なら、まだパパと一緒にお風呂に入る年齢じゃな!」


 モーニングスターを握りしめているフィルマンと、武器無しでも十分な破壊力を持ちそうなソフィーがナタリアとバーサに止められている。

 ナタリアが常識人に見えてしまう二十四区。先は暗いな。


「……俺の知り合いに、窓辺のよく似合う貴族のご婦人がいるんだが」

「子供は無邪気なものだ。穢れのない世界で生きてもらいたいものだな。ワシは、そんな無垢な子供たちを邪なる感情の渦から守ってやりたいと思っている。切に」


 手のひら返しやがったな、この邪の塊。

 マーゥルに操を立ててるわけじゃないのか、この乙女ジジイは。これまでは単純に、九歳女児と出会う機会がなかっただけなんじゃないだろうな……


「時に、はしゃぎたくなる時もあるものよの、男子たるもの。な? ね!」

「あーはいはい。気の迷い、気の迷い」


 チクらねぇから、そんな死にそうな顔すんじゃねぇよ。


 とりあえず、獣人族への忌避感は感じられないか。

 周りにこれだけ獣人族の子供たちがいて、不快感を微塵も見せていない。


 仕掛けるか――


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