151話 いつもと違う陽だまり亭 -2-
「最近、何か言っていなかったか?」
「店長さんですか?」
「あぁ」
飯を食いながら、ロレッタから情報を聞き出す。
なんでもいい。どんな些細なことでもいいから気になる点はないかと問う。普段口にしていることに原因が見え隠れしたりしているものなのだ、こういうのは。
「う~ん……『今年は雨が降りませんねぇ』とかですかねぇ」
去年の今頃といえば、大雨が続いてとんでもない被害に頭を悩ませていた時期だ。
教会のガキどもが汚水で体調を壊し、それで俺たちは下水を作った。
一年前は、いやというほど雨が降っていた。
なのに今年は全然雨が降っていない。降る時はもちろん降るのだが、去年のように長雨になることがないのだ。
話によれば、この街では多少のズレはあるにせよ基本的に同じ時期に同じ気候、同じ天候になることが多いのだそうだ。四季はないが、同じスパンで天候は移ろっていくのだという。
つまり、今年は異常気象と言える。
「けど、店長さんが特に雨好きという話は聞かないです。むしろ天気がいいと洗濯物が乾きやすいって喜んでたです」
「だよなぁ」
雨が降らないから元気がない……ってことは、ないよな。たぶん。
「お兄ちゃん、なんかしたです?」
「なんかってなんだよ?」
「お風呂を覗いたとか、着替えを覗いたとか、スカートの中を無理やり覗き込んだとか」
「はっはっはっ。ロレッタ~、口元にケチャップが、目の上に眉毛が付いてるぞ。取ってやろう」
「眉毛は取らないでほしいです!」
慌てて両方の手で眉毛を押さえたため、右手のフォークに絡まっていたパスタが顔面にべしゃーっと引っついて、ロレッタの顔を赤く染める。……大惨事だな。
「はぅ……お兄ちゃん、酷いです」
「俺のせいかよ……」
しょうがないのでハンカチで拭いてやる。
あ~ぁ。またムム婆さんに頼まなきゃいけねぇじゃねぇか、これ。
「むふふ……くすぐったいですぅ」
「甘えた声出してんじゃねぇよ」
イチャイチャしてるように見えるだろうが。
「……ロレッタは幸運」
いつの間にか俺たちの隣に立っていたマグダが、まだ少しケチャップが付着しているロレッタに言う。
「……これがカルボナーラだったなら、ロレッタの顔はチーズ――腐った乳の匂いがこびりついて『腐れ乳娘』と呼ばれていたところ」
「そんな危険があったですか!? 間一髪ですね!?」
「……ロレッタは幸運にも、腐れ乳娘になり損なった」
「なんかそう言われると、なりたくてなれなかったみたいですごく嫌です!」
マグダのヤツ、一人で働いてるから拗ねてんだな。
「マグダ。一口食うか?」
「…………」
野菜炒めを箸で摘まんで持ち上げると、マグダの動きが一瞬止まった。
少しの間考えた後……
「……今は仕事中」
「まぁ、そう言わずに。一口だけ」
「…………ヤシロがそこまで言うのなら」
口を開けたマグダに、野菜炒めを食わせてやる。
静かに咀嚼して、ゆっくりと飲み込む。
「……乙な味」
「どこで覚えてくるんだよ、そういう表現」
「マグダっちょ! あたしのも食べるです? すごく美味しいですよ」
「……今仕事中なんで」
「そう言わずに、あたしのも食べてです」
「……いえ、仕事中ですので」
「他人行儀さが増したです!? 物凄い壁を感じるです!?」
「……職務に戻る」
「マグダっちょ!? 食べてです! 美味しいですからー!」
そんな二人のやりとりを見て、思わず笑ってしまった。
一緒に食べられなかったのが相当悔しいらしい。可愛い仕返しじゃないか。
へそを曲げた幼い子供のような反応だ。
陽だまり亭に来て、マグダは随分と感情が豊かになったと思う。最初は、本当に無表情だったからな。
この変化を、ジネットも嬉しく思っているようで、「マグダさんが笑いました」「マグダさんが拗ねました」と、事あるごとに俺に報告してくるようになっていた。それもすごく嬉しそうな顔で。
そんなジネットが最近元気がないわけで……具体的には、ここ一週間くらいか。
一体何があったんだ?
何か、兆候はなかったか……思い出せ……何かなかったか……何か…………
「ヤシロ」
自分の記憶と向き合い、思考の海へと潜り込んでいたところ、背後から声をかけられた。
振り返るとまっ平らな胸が目線の高さにあり、視線を上げると真っ赤な髪をした美少女が立っていた。
「よぉ、腐れ乳娘」
「誰が腐れ乳娘だ!? っていうか、なんなのさ、腐れ乳娘って!?」
「ロレッタのことだ」
「違うですよ!? 誤情報の流布は控えてほしいです!」
俺の許可も取らず、エステラは呆れ顔で俺の隣へと腰を下ろす。
「一口頂戴」
「ごめん、今仕事中だから」
「その断り文句の意味するところが分からないんだけど?」
意味など分からんでもいい。自分で注文して食え。金を出してな。
「最近忙しそうだな。陽だまり亭にもなかなか顔を出さなかったし」
「あれ? 寂しかったのかい?」
「いや、別に……あ、そうだ。新しい工具が欲しいんだった。すげぇ寂しかったぞ、エステラ」
「君のそのゲスい性格は一向に改善しないよね。むしろ磨きがかかってきてるくらいだ」
違うんだよ。ノーマんとこで売ってる新商品が、結構クオリティ高くていい出来なんだ。あれがあれば、細かい細工も出来るし、安物を高級品っぽく見せてぼったくり価格で売りさばくことも……おっと、そんなことはいちいち言う必要もないな、黙っておこう。
「あっ! エステラさん!」
ジネットの声がして、次いでぱたぱたと駆けてくる音がして、『ガッ!』と短い音がした直後『ズデーン!』と派手な音と共にジネットが床に倒れ込んだ。
「ぅう…………痛いです」
「だ、大丈夫? ジネットちゃん」
「はい……転びました」
「う、うん。……見てた」
なんで何もない床でそうも見事に転べるのか、逆に知りたいわ。
「店長さん、大丈夫ですか?」
「あ、はい。ご心配おかけしてすみません、ロレッタさん」
「ナポリタンです、あ~んしてです!」
「えっ!?」
「元気が出る美味しさです!」
「ロレッタ。やりたいのは分かるんだが、急過ぎる。ここら一帯に漂う微妙な空気を感じろ、な?」
「はぅ……あたしもあ~んしたいです……」
目論見が外れ肩を落とすロレッタ。
こけていきなりスパゲッティ出されても「ありがとう!」とはならねぇって。
「あの、エステラさん。何かお食べになりますか?」
「そうだなぁ……」
「……たこ焼きがオススメ」
「うわっ!? ……ビックリしたぁ。もう、マグダ。気配を消して背後に立たないでよ」
「……陽だまり亭のたこ焼きは一級品」
「それは知ってるけども……ボクは今日『ご飯』な気分なんだよね」
「……なら、ポップコーンがオススメ」
「聞いてた、ボクの話!?」
「……大丈夫。ご飯もつける」
「合わないよっ!?」
なぜか、自分の得意料理をエステラに食わせようとするマグダ。
……あ、そういうことか。
「あの、マグダさん。わたしが作ってきますので、エステラさんの好きなものを食べていただきましょう」
「いや、ジネット。お前はここにいろ」
「へ?」
マグダの思惑を汲み取り、俺は席を立つ。ちょうど野菜炒めも食べ終わったところだしな。
「俺が作ってきてやるよ。その代わり、メニューは『シェフの気まぐれランチ』になるがな」
「何が出てくるかすごく不安なんだけど……」
「大丈夫だ。今日は真面目にやる」
「……普段から真面目で居続けてくれれば、ボクたちは今以上に友好な関係が築けていたと思うんだけどね」
今でも十分だろうが。
俺は空いた皿を持ち、テーブルを離れる。
……とはいえ、俺がこもっては意味がないから…………
「ロレッタ、テーブルの上を片付けてから厨房に来い。手伝ってほしいことがある」
「はいです! 任せてです! たぶんそれ得意です!」
また適当なことを……
まぁ、ロレッタでも出来る簡単な手伝いだ。問題はないだろう。
「あの、ヤシロさん。お料理ならわたしが……」
「エステラに会うの、久しぶりだろ?」
「へ? ……は、はい。そうですね。ここ最近お忙しいようで」
「なら、少し話をしていろ。適度な息抜きは、いい仕事をするためにも必要なことだからな」
「息抜き……」
言葉を反芻し、少し考え、そしてジネットは蕾がほころぶように笑う。
「はい。では、お言葉に甘えて息抜きをさせていただきます」
ぺこりと頭を下げてから、エステラの向かいの席に腰を下ろす。
そこへ、マグダがお茶を持ってやって来た。
おかしい……ついさっきまでここにいたと思ったのに、いつの間にお茶を?
「マグダ。お前、今さっきまでここにいたよな?」
「……ヤシロ。マグダのベッドの枕元には、こんな言葉が書かれている…………『残像だ……』」
「なんでそんなもんを枕元に書いたのかすげぇ気になるところだが……残像じゃなかったよな、さっきここにいたのは?」
「……ミステリアスな女。その名は、マグダ」
「俺の知ってるミステリアスな女ってのは、超人的な身体の力を駆使して謎を演出したりはしないんだがなぁ……」
まぁ、いい。
お茶が来てジネットも喜んでいるし。
俺はジネットとエステラに軽く声をかけてから厨房へと入った。
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