死に神ちゃん再起不能-リタイア-
渡貫とゐち
その壱 霞がかる日常編
第一話 幽霊に愛された少年
当時の『ぼく』は、幽霊と人間の区別がついていなかった。
幽霊、という存在もまだ知らない頃だったので、出会う子供の全員が、生きている人間だと思い込んでいたのだ。
区別なんて触ってみれば分かる、簡単じゃあないか、と思うかもしれないが、残念なことにそんな分かりやすい判断基準はない。
なぜなら、触れてしまうのだ。
幽霊は普通、透けて見え、触れないもの……いや、そもそも普通の人からすれば見ることすらできないのか。
感じ取ることはできる?
霊感がなくても、近くにいそうな気がする……、
そんな感覚はあったりするのだろうか。
シチュエーションという思い込みに左右されることもあるから、縁がない人はとんと会わないのかもしれない。
いる気がするだけで、そこに実際に、幽霊はいなかった、って場合も当然あるのだから。
でも、その方がいいと思う。
幽霊は、怖い。
心霊写真にゾッとするのは、普段見えないものが見えてしまったから。
ぼくも同じだ。
怖さの種類はまた違うが、未だにこのトラウマは消えない。
はっきりと見えてしまうから、突然、通り魔に襲われるのと変わらないのだ。
あの日も、ぼくは山で出会った女の子に手を引かれて、一緒にいきたい場所がある、と誘われてついていった。
人が通れるように舗装されていない山道を、何時間もかけてだ。
小学生の足でも数時間も歩けば、山道だろうとそこそこ高い場所へ到達できる。
女の子が案内した場所は、景色が一望できる、木々を抜けた先の開けた空間だった。
日も傾き、夕日が現れた頃だった。
この景色を一緒に見たかったのか、と当時は思ったものだけど、もちろん、違う。
夕日という景色に目を奪われてしまうが、案内された開けた空間には、柵が一つもなく、足場を踏み外せばそのまま崖下へ真っ逆さまに落ちてしまう危険な場所だったのだ。
女の子は幽霊の友達を欲しがった。
だから、ぼくを殺して手に入れようとした。
ぼくの体を強く押して、崖から落としたのだ。
こうして過去を振り返ることができているのも、ぼくは死ななかったからである。
あの日、目を醒ました時には既に夕日が落ちていて、月が上がっていた時間だった。
数時間も気絶していたのだそうだ。
そう、ぼくの命の恩人であり、それ以来、ずっと一緒にいる幼馴染みの女の子……
急死に一生、だったらしい。
それ以来、元から幽霊を呼び寄せる体質だったらしいが、さらに呼び寄せてしまうようになり、しかも人間か幽霊か区別がつかない。
もはや見える人、全員を避けなければ安心できないぼくに寄り添ってくれたのが、初だった。
「わたしが守ってあげる」
それからだ。
初がいれば、『おれ』は、人間だろうと幽霊だろうと、怖いとは思わなくなった。
呪いの人形が保管されている箱を興味半分で叩いてみたら、その帰り道に交通事故に遭った――人形には本当に呪いがあるのだ!
なんて言われているが、いやいやそれって単なる当人の不注意なのではないか、と水を差すこともできる。
もしくは、当人は内心、箱を叩いたことで降りかかる呪いに怯えて、誤った判断の後に事故に遭ったとも言える(怯えさせ、まともな思考回路をさせなくさせた時点でそれはもう呪いか?)。
理由は色々と後付けで言えてしまえるが、それは見えない者がした想像。
呪いの人形が起こした間接的な呪い(攻撃)で、箱を叩いた人物が殺された――
しかし鮮明に姿が見えてしまうと、もう一段階、真実に近づける。
間接的なのはそうだが、意外と呪いというのは現場作業であるらしい。
朝の通学路でのこと。
隣を歩く初が、なにかを察知したようで、おれの手を握ってきた。
一拍も置かずに、ぐいっと引っ張って歩いていた方とは反対側の建物に体を寄せる。
遅れて聞こえてくるガラスの破砕音。
共に落下してくる、複数の花瓶。
おれたちが今さっきまで歩いていた場所だ。
「初、見える? ……今日は霧が薄いけど、うーん、やっぱり見えないや」
建物を見上げるも、人影も見えない。
だけど実体化した幽霊が自分の手で窓ガラスを割って、花瓶を落としたのは分かった。
実体化したがゆえに、足音や物音がよく聞こえるようになったのだ。
そう、見えない人からすると物が勝手に動いて見える、いわゆるポルターガイストに当てはまるのだけど、いざ見えてしまうとマジシャンの種明かしのように肩透かしを感じてしまう……幽霊が悪いんじゃなくて、こっちの勝手な言い分なんだけどさ。
「もう逃げられたよ」
襲われたというのに、相変わらず感情が見えない抑揚のない口調だ。
おれはいつまで経っても慣れないって言うのに……。
「じゃあ、追いかける?」
聞くと、初がおれの顔をじっと覗き込んできた。
ほんの少しだけ、初の方が身長が高く(二ミリくらいだったか?)見上げなければならない。
と言っても、初も高校生の平均身長に届くほどだから、おれが小柄なだけなのだ。
……成長期がまだきていない、と思うことにしよう。
「初?」
「じっとしてて」
ぴしゃりと言われて反射的に気を付けをして硬直していると、初の手が伸びて、おれの背後まで通り過ぎていった。
その先には建物の壁しかないが――振り向くと、まるでイソギンチャクのように大量の手が飛び出していた。
「おうわぁあっっ!?」
慌てて飛び退いたので、寸前で、相手の指先が制服に触れる前に離れることができた。
しかし、壁の手からおれを守るため、壁の手を掴んでいた初は、他の複数の手に体のあちこちを掴まれ、壁の中に引きずり込まれそうになっていた。
いくら初でも、掴まれている手の数から考えて……六人と綱引きをしているようなものだ。
勝てるわけが……。
「…………」
初に焦った様子は見られなかった。
一本一本、順番に、初の体を掴んでいる壁の手をほどいていった。
……え。
壁の手はまるで、熱いものを触って反射的に手を引っ込めたような動きを見せた。
次第に、手が壁の中へ引っ込んでいく。
とぷん、という音と共に、水面のような壁に波紋が一瞬だけ広がり、後はなんの変哲もない赤レンガの外装デザインが施された建物に戻った。
何度か壁を手で触れた後、初が振り向いた。
「もう大丈夫だよ、ひつぎ」
表情は変わらないが、それでも長年一緒にいれば見えづらい初の喜怒哀楽くらいなら分かってくる。
僅かに跳ねた声色から分かる通りに、今の初は、喜んでいた。
儚さと病的をイメージさせる初の細い容姿とは逆に、運動神経はすこぶるほど良い。
中学最後の運動会の全員リレーで、離された最後尾から先頭まで出るほどだ(次にバトンが渡ったおれでそのアドバンテージもぴったり使い果たしてしまったが。今でも思うがあれはおれが遅いのではなく他が速いのだ。責められようが半端なかったが……まあ、リレーだけを言っていたわけではないのだろう……)。
だから、初の「守ってあげる」にも説得力がある。
守れる、ということは見える、触れるということだ。
だから初もおれと同じ。
小さい頃からの幼馴染みであり、唯一の理解者だ。
並んで歩いているように見えても、ほんの少しだけ初が前を歩いている。
通学路を先行する初の後ろ姿を見て、気になることがあった。
「髪、切らないのか?」
腰まで伸びた、真っ直ぐな黒い髪。
そう言えば、短い時もあったが、昔から髪型を変えようとはしなかったな。
「ひつぎが言ったから」
「おれが?」
そうだっけ?
「結ぶより、真っ直ぐの方が似合うって」
そっか……、
一時、初がポニーテールやツインテールを試した時があり、その時に結ばない方が似合うよ、と言った覚えが微かにある。
別に、他の髪型が嫌いなわけではないけど、初には似合わないと思ったのだ。
初が今、ツインテールにしたら……それはそれで似合いそうだ。
「おれの好みに合わせなくても、初の好きな髪型にすればいいよ」
「ううん、これでいい」
その後、初はすぐに言い直した。
「これがいい」
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