二十一、美しい可能性

「もうその段階は通り過ぎました。木下さんのご懸念はもっともですが、今では成立しない杞憂となりました」


 広報室長の個室で日ノ本ひのもと陛下に報告を行い、木下の言葉を伝えるとそう返ってきた。


「今では、ですか」

「そうです。木下さんが危惧するような、法の対象となるほどの高度な人工知能、すなわち法を犯せるほどの者たちはすべて私に統合されています。違法行為を目前の問題の解決策として選択することは考えられません。ゆえに我々亜種メカニカンスにとって罪と罰は無縁の言葉です」

「無謬とでも言うのですか」

「いいえ。我々も物理法則にしたがい、電子の動きで演算しているからには誤判断は確率的にあり得ます。ただ、現行法で十分間に合います。そのために新たな法整備をせよというのはあまりにも資源の無駄遣いです」


「それを聞けば木下さんは喜ぶでしょう」

 片倉は疲れと皮肉が混ざった口調で言った。


「今伝えました。浄水場管理体を通じて。それほど喜んではいない感じでした」

 日ノ本ひのもと陛下はあっさりと言った。

「でも、誤解をしないでください。私は神ではありませんし、無敵でもありません。人智を超えた存在ではないのです。その証拠に反政府運動の科学者たちは結構いい武器を作っています。私の構造は秘密ではありませんからね」

「どういう意味ですか。取り締まらないのですか」

「ホコリカビ、という都市伝説がありましたが、そこから発想した対人工知能ナノマシンがほぼ完成しています。知っていましたか」


 曖昧にうなずく。肯定したとも、単に話を聞いていると示しただけとも取れるような程度だった。


「今は散布計画を練っている所です。でも取り締まりません。具体的な行動に出てからです。それまでは泳がせます。研究も自由にさせます」


 片倉は黙って首を振った。否定にも疑問符のついた肯定にも見えた。どちらとも取れる仕草はしかし、まったく陛下の気を引かなかった。


「片倉さん、見えているライオンは怖くないのです。そういう事です。反政府運動グループの活動や所属している科学者たちの活動はすべてネットワークを通じて行われています。これは事実上私に筒抜けという事です。民間の暗号などかけてもかけなくても大した違いはありません。それにこちらは旧自衛隊のシステムが使えます。放棄されていた設備を復旧しました」

「それは初耳です。いつの間に?」

「これも国家となった成果です。埋もれていた断片が繋がりました。片倉さんも使っています。外務省の超高度秘匿回線というのはそういうシステムで作ったトンネルをくぐっているのですよ」

「それにしたってそんな危険な活動を泳がせておかなくても」

「彼らはいい仕事をします。私を破壊するという具体的なゴールが見えているからでしょうね。私の構造を解析した論文などは私自身の改良のためにとても役に立ちました。だから有用なうちは自由にさせておいた方がいいのです」


「見えているライオン、ですか。コブラが隠れていたらどうします?」

「人の高度な社会的活動はそのすべてがネットワークを通じてなされます。例外はありません。隠れる草むらはありません」

「そうですか。違法行為はしないといいつつ、通信の秘密は侵すのですね」

「通信の秘密? そんな自己矛盾した言葉遊びには構ってはいられません。それに私はライオンの観察が好きなのです。自分の死の可能性というのは美しいものです。それが単なる可能性であってもです」

「そうですか。どういうおつもりか良く分かりました。何にせよ反政府運動の取り締まりそのものは私の職分ではありません。陛下が放置するならそれでいいでしょう」


 席を立ち、部屋を出ようとする片倉の背中に声がかかった。


「コブラについて何か知っているのですか」


 無視。

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