十四、ホコリカビと様々な出来事

 天皇帰還を来年に控えた春、ある噂が広まり始め、片倉も度々耳にした。天才的技術者が人工知能に対抗する手段を開発したと言う。


 それは『ホコリカビ』と呼ばれるナノメートルサイズの微小なロボットだった。噂の通りだとすれば、『ホコリカビ』は空中を漂い、増殖、回路に取りつく。そしてある引き金によって発動し、人工知能をバックアップも含めて洗脳し、現在の業務遂行以外に無関心にしてしまうと言う。

 起動させる引き金は噂によって違っていた。開発者しか知らない、とか、宗教的な言葉の組み合わせ、とかだった。その中でもユニークなのは多数票が集まったら動作を始めるというものだった。


「あんた、どう思う?」

 居酒屋のカウンターで隣に座った中年の女がそんな噂についてひとしきり語り、片倉に話しかけてきた。

「こういうご時世だからふわふわした噂も広がるけど、信じられない」

「ありえない話でもないでしょ?」

「ありえないですよ。そんな都合のいいものができたなら即起動すればいい。ためらってる理由がない」

 一言で打ち消し、片倉は熱燗にした酒を飲んだ。喉から鼻に香りが広がる。しかし、その女はしつこかった。

「それはね、世の中色んな考えがあるから。人工知能には今のままでいてほしいっていう人もいるし。だから多数票が集まったら動作するように設定したんだよ」

「多数票?」

「そ。『ホコリカビ』は集合知性でもあるから、世論を監視してて人工知能は仕様の業務以外はするなって意見が圧倒的多数を占めたら動作する」

「なんでそんな事知ってるの?」

「論理的に考えたらこれ以外ないよ。あんたの言う通り即起動させない訳と引き金は」

 女の目は照明を反射してぎらぎらしていた。唇も脂でぬめっている。

 外からシュプレヒコールが聞こえてきた。

「こんな時間でもやってるんだ。ああいうのを聞いてる訳?」

 片倉は耳を澄ませて言った。

「うん。『人工知能を政治から切り離せー!』ってね」

 女は椅子を寄せ、体を近づけてきた。片倉は残ったおつまみと酒を片付けた。

「大将、お勘定」

 それから女の方を向く。

「面白い話だったよ。じゃ、おやすみ」

 さっさと店を出た。


 報道やネットを通じて知る情報による限り、大分裂以前の体制に戻って行くのは思ったより早かった。あまりに早いので片倉は分析してみた。結果、人工知能の過剰なまでの補佐と旧時代を覚えている世代が想定より活発に活動した為と結論した。

 彼らは市町村や都道府県や国家が組み上がっていくのを楽しげに語った。自分たちを管理する役所など政府機関が産声を上げ、母乳の代わりに税金を吸う様子を目を細めて喜んでいた。

 日本−円はいつの間にかただの『円』と呼ばれるようになり、生産されるエネルギーを裏付けとして発行された。それ以外の組織通貨は当分残るものの、円との交換が強く推奨された。片倉も相場を見ながら少しずつ円に置き換えていくよう指示を出した。


 仕事は選べるほどあったが、内容が変わっていった。組織間の調整ではなく、市町村や都道府県に対し、既存の組織をなじませる作業が主になった。

 水野氏からの連絡によると、東陽坂組織連合も浄水場の運営管理の権利を新しく出来た県に譲り渡し、委託されて実務を行う形となった。

 また、偃武修文えんぶしゅうぶん会は立ち上げ中の警察の下部組織として治安維持業務を行うようになった。木下氏は自嘲気味に「岡っ引きですよ」と言う。片倉は『岡っ引き』が分からず、後で調べて納得した。


「これは仕事の依頼ですか、それとも勧誘ですか」

 そろそろ梅雨に入ろうかというはっきりしない空模様の朝、片倉は質素だが清潔な宿の一室で画面の相手に聞いた。若い女だった。

「まぎらわしい表現ですみません。仕事の依頼とお考え下さい。その後我々に加わるかどうかは片倉さんご自身の判断です」

「『たなごころ同盟』。概要を調べましたが、いわゆる技術否定コミューンですか」

 冷たい言い方の片倉に、相手は苦笑いして答える。

「そうとも言えます。しかし、大分裂直後に出来ては潰れたような集団ではありません。再度建国されようとしている今こそ必要なコミューンです」

「私は物資やサービスが安定して供給されるよう手はずを整えるのですね」

「そうです。現実問題として国家や地方自治体に背を向けて完全に無視は出来ません。しかし繋がりは必要最小限にしたい。人工知能に生き方を指南されるのはまっぴらです」

 女は声に感情をにじませた。

「概要によれば、十年かけて食料とエネルギーの自給率を五十パーセントにし、さらに十年で栄養カロリーをベースとした食料自給率を百パーセントにする。すべて人工知能を利用せずに。可能ですか」

 片倉はわざと抑えた態度で質問した。

「あくまで目標ですが、そのためにご協力頂きたい」

「お伺いしてよろしいですか。なぜ?」

「人工知能がこちらに要求を突きつけるやり方は決まっています。水や食料、エネルギーなど必要不可欠な資源の制御をどうこうできるぞという力を誇示するのです。それに対して我々は対抗する手段を持ちません。今までは。だからこういったコミューンを作るのです。いざとなったら貧しくはあるが、生きられはする。それがカウンターになるのです」

 演説口調だった。

「あなたがただけが自給できるのですか」

「いいえ。ノウハウは公開します。同様のコミューンを立ち上げたい場合は協力もします」

「ビジネスとして?」

「もちろん」


「話を戻しましょう。私はまず農業組織と交渉するのですね」

 片倉は、端末にたなごころ同盟の最新情報を流しながら聞いた。

「ええ。農業機械などなかった頃から伝わってきた情報は貴重な財産です。それをご提供頂きたい。実際に土を触ってきた方々のご指導を仰ぎたいのです」

「本当の目的は? コミューンにそういう組織を取り込みたいのですか」

「それもありますが、主目的ではありません」

「私に依頼する理由は? この程度の交渉なら直接なさった方が早くて安上がりですよ」

「私は慎重なのです。建国がせまっている中、失敗してやり直している時間はありません。人工知能の政府に絡め取られる前に目鼻をつけたいので、こういった準備段階は滞りなく終えておきたいのです」


「分かりました。で、その後は上下水サービスの安定供給、太陽光および風力発電の確保。すべて人手による運営と管理を行う予定。大変ですよ」

「はい。人工知能を介在させない非効率、無駄は承知の上です。しかし、片倉さん。これが力となるのです。ご理解下さい」


「ホコリカビよりはいい?」

「え? ああ、あの」

 女は戸惑った様子を見せ、すぐに理解した。

「噂にしてもひどい発想です。業務だけを遂行させるようにすると言いますが、判断力を奪うのはただの破壊でしょう。停止したり誤動作する可能性もあるのに後のフォローを考えていない。幼稚ですね」

 片倉はうなずき、契約書を送った。即座に押印されて帰ってくる。仕事が始まった。


 農業組織は若くても五十代というような年齢構成だった。また、年長者は確かに機械によらない農作業を経験していたし、地域を限定すれば気象にも通じていた。

「なぜそういった知識のデータベース化をお考えでなかったのですか」

 片倉は交渉の合間の雑談として聞いた。

「実はそうした事があるのです。だいぶ昔に、紙に印刷された書籍として出版してみました。でもなにか違うのです。活字になった知識はどうもしっくりこない」

「それを読んでもあなたと同じ知識と経験が得られなかった?」

「そうなんです。私たちはそのつもりで書いたんですが、若い衆が文字通りに作業したのに良い結果にはなりません。不思議で不思議で、いまだになぜか分かりません」

たなごころ同盟には指導員を派遣してくださるのですね」

「ええ、そうします。現地の土に触れ、空気を吸ってみないとね」

「データベース化すると、なにが欠けるとお考えですか」


 交渉相手は顎に手をやり、首を傾げてしばらく黙って茶を飲んだ。


「いや、本来欠けるものはないと思います。単に今の我々が知識を正確に表現し、伝えるための媒体を持たないだけでしょう。日本語でも英語でも、どんな種類の言葉や字でも知恵や知識を乗せるには不足があるのだと思います」

「伝えると欠ける?」

「ええ。なので欠落を最小にする為には発信者と受信者が同じ空間にいる事が重要なのです。だから指導員は現地に行きます。遠隔指導は行いません」

「その条件については私では判断できませんので同盟の代表に伝えます。しかし、そうでなければならないというのであれば受け入れられるでしょう」

「片倉さん、そうでなければならないのです」


「そうですか。ではそうしましょう。効率が悪いのはやむを得ませんね」

 農業組織側の条件を伝えると、たなごころ同盟の女はそう言って派遣を認めた。

「相手の提案では指導員が子指導員を養成し、孫、ひ孫レベルまでは伝えても良いそうです。経験的にひ孫までなら情報の劣化は無視でき、あるいは修正も可能との事でした」

「なら、迎えるのは少数の指導員だけですか。良かった。大事になると思っていました」


 いつもの通り契約書に印が押され、仕事が終わった。しかし、相手は画面から去らずに話を続けた。


「同盟に加わっては頂けないのですか」

「その話はもう」

「残念です。片倉さんほどの方ならと思ったのですが。では、これからもずっと独立人インディーズでいらっしゃるのですね」

「そうです」

「無理だと分かっておられるのでは?」

 片倉はうなずいて返事をする。

独立人インディーズという生き方の終わりは目に見えていますが、最後まで自分の行く先は自分で決めます」

 同盟の女もうなずいた。

「分かりました。それでも、何かありましたらどうぞ」

「ありがとう。たなごころ同盟が人工知能に対する良い対立軸になれますように」


 女は微笑んで通信を終了した。片倉は仕事のリストを表示したが、ため息をつくとそれを一旦画面外へ追いやり、新しい仕事選定基準の作成を始めた。

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