九、仁と義
片倉は坂下に回答を送った。ひとつは管理体を組織として認め、味方につける事。次に管理体を後ろ盾として両警備組織の宥和を図る事。行動にあたり、なにをいつどの順で行うかという素案も付けた。
「結局、管理体頼りなんですか」
画面の坂下は不満そうだった。片倉はそれを無視して説明する。
「そうです。要となるのは管理体です。人間でも、他の組織でもありません」
回答書のあちこちの色が変わる。
「このように、『東陽坂組織連合』と『雪ん子の会』、及び両警備組織に影響を及ぼせる第三者的組織は複数ありますが、すべてに同時に強く、という条件を満たしているのは管理体のみです。しかし、今は公には組織ではありません」
「だから、組織となる事を我々が支持する?」
「そうです。F50試では出遅れましたが、今度は先を行きます。それに、これは水野氏はじめ東陽坂の幹部連の力を相対的に弱めます」
「私には綱渡りのように見えますが。管理体を組織と認め、味方とし、その傘の下で両警備組織に手打ちをさせる。細い一本道ですね」
「いいえ、将棋倒しと思って下さい。適切な機会に適切な力で駒をひとつ倒すだけです」
「駒、ね。私たちは管理体の駒ですね。この状況は作られたものですし」
「ええ。見方にもよりますが」
「管理体の目的は?」
「権力拡大でしょう。隠そうともしていない。巨大な組織集団を立ち上げるつもりでしょうね。これについては水野氏も駒です」
「疑似人格を持っただけの人工知能が支配を望むのですか。馬鹿馬鹿しい」
坂下は顔をしかめた。
「では、私が人工知能でないとどうやって証明しますか。こういう通信だと区別はつかないはずです。人間の片倉と電気信号の管理体。組織としてなら区別できないしする必要もない。でしょう?」
「だから、利用できるなら利用する、させてやるって考え方ですか。相手がなんであれ」
「もちろんです。これは組織間の取引に過ぎません。仲介は私の専門です」
相手が黙ったままなのでさらに続ける。
「坂下さん、『雪ん子の会』は管理体が組織となる事を積極的に支持する。これが支払いです。それで買うのが『東陽坂組織連合』内での永続保証です。おまけとして、『厄介ごとの種』は芽を吹く前に掘り捨てられます」
「『鶏口となるも牛後となるなかれ』と言いますが、どう思われますか」
坂下は書類のページを送りながら言った。
「しかし、それは牛が優しくて鶏を踏み潰さないという暗黙の了解が背後にあります。現代の牛は積極的に攻撃してきます。傘下に入るべきです」
片倉は回答書のあちこちに下線を引いた。
「分かりました。助言をありがとう。検討し、適切な方法で実行します」
契約書に完了の印が押された。
「ありがとうございます。またなにかございましたらよろしくお願いします」
坂下が消えると通知が現れた。今後の予定だった。次の約束まで三日空いている。明日と明後日を休暇として塗りつぶした。
座ったまま背伸びをする。端末はニュースを流し始めたが、反応がまったくないので節電モードに入った。
翌朝、カーテンを開けると青空だった。遠くの公園にはジョギングをしている人が見える。さっとシャワーを浴び、朝食を摂ってからその公園の方に向かった。
街には様々な組織が動いていた。飲食物や食料品を売る屋台、色とりどりの雑貨を売る店、動作しない信号機の代わりに旗を振る人たち、その間を警備員が人々に声をかけながら巡回していた。目立つマークの入った制服を着ている。調べると、この地区の商店会と住民組織の連合が契約している警備組織で、旧警察や旧自衛隊の流れを汲む大手だった。
すれ違う時、その一人が手に持った機器を片倉に向けた。
公園利用料は相場に比べて高めだったが、その分整備は行き届いていた。ベンチに腰掛け、途中の屋台で買ったクッキーを頬張り、茶を飲む。空気はじっとり湿っていた。
まとわりつく小さな虫を払いながら小説を読む。漱石の作品だった。端末がしきりに当て字を修正しようとする。機能を無効に設定したが反映されない。再起動すると正常になった。
それと同時に、東陽坂関連資産の三分の二が別の資産と交換されたという通知が入った。残りについても処分を推奨していたが、そのままにしておくよう指示する。ハイリスクを許容する確認を行った。
本を背後に追いやってニュースを開き、東陽坂組織連合を検索すると、『雪ん子の会』の合流と、浄水場管理体を組織として扱うという発表が現れた。発行する通貨や株の価値は一度落ち、底で買われて少しだけ上昇カーブを描いたが上がりきらず、ずっと低く這っていた。時刻を見ると資産の交換は価値下落の前に行われていたので息をついた。
「よろしいですか」
男が二人、前に立った。背の高いのと低い者だった。あの目立つマークの制服を着ている。目だけで見回すと、離れたところにもう三人がベンチを囲むようにばらばらに立っていた。
「なんでしょう?」
「片倉渉さんですね。我々は開明興業と契約し、代理として来ました。話し合いのため、一緒にお越し頂けますか」
「拒否します。また、私は常時状況記録をしています。この宣言により、以降の記録は双方合意のものとなります」
片倉は事務的に言った。
「その返答により、あなたはご自分を片倉渉であると認めたものと見なします。また我々は公園管理を委託されており、あなたの行った管理規則違反により身柄を拘束し取り調べる権利があります。事務所までお越し下さい」
話すのは背の高い方だった。妙な訛りがある。アクセントもおかしい。
低い方は腰に手をやったまま動かない。そこには見ただけで用途がはっきりわかる道具類がぶら下げられていた。
「違反とは?」
背の高い男が指差した。ベンチと地面にクッキーのかけらがこぼれ落ちていた。
「汚染」
「煎餅じゃない。クッキーだよ」
アクセントをからかった。
「そのくらいでやめておけ」
背の低い方が口を開いた。
片倉は立って両手をそろえて差し出したが、背の高い方は首を振って先に歩き始めた。前後を挟まれるようにして公園事務所に向かう。三人は遠巻きに囲んだままついてきた。
事務所は様々な機器が乱雑に置いてあり、狭苦しかった。埃と金属の臭いがする。片倉は粗末な折りたたみの椅子と机があるだけの部屋に入れられ、奥側に座らされた。背の低い方が扉を背にして座り、背の高い方は立ったまま隅にもたれた。
「片倉さん、
背の低い男が言った。
「管理規則に違反し、公園を汚して申し訳ありません」
立っている男がくすっと笑い、背の低い男に睨みつけられた。
「芝居じみた真似はやめましょう、片倉さん。お互い時間の無駄です」
「私は別に。無駄にしているのはそっちでは?」
「挑発的な言い方もやめて下さい」
「ならわかるように話して下さい。これは何なんですか」
「あなたは『雪ん子の会』に助言を行った。その通りにしたおかげで開明興業の体面は丸潰れです」
「もう潰れたんですか。丸一日も経っていないのに」
「その馬鹿にした言い方をやめられないんですか」
「情報を小出しにするからです。なにがどうなったのか、そしてそれがどう私に関わるのかはっきりして下さい」
「開明興業は解散。
「それで?」
「それで、とは?」
「だから、それのなにがどうなると、菓子くずをこぼしたからと言ってこういう不当な拘束になるんですか」
「あなたの助言は始めから開明興業を潰す目的だったと見られています。自分がされた事の腹いせに重要な事実を隠したと。
「過去?」
「大分裂前です。非常に激しい対立の記録があります」
「古代の出来事じゃないですか」
「あなたは木下氏に直接会っている。どういう性分の老人かよく分かっていたはずだ」
片倉は横を向いた。
「揣摩臆測というやつですね。答える気はありません」
「開明興業、いや、元開明興業代表は我々を代理として契約し、あなたに落とし前をつけさせたがっています」
立っていた男が急に近寄り、片倉の右腕を取った。背の低い方も加わって押さえつけられ、抵抗する間もなく猿轡をされ、左腕と両足は固定された。
さらに背の高い男は、大声を上げようと荒い息をする片倉の背後からベルトと首を掴み、胸を机の角に打ち付けて空気を吐き出させた。
抵抗が弱まると背の低い男は片倉の右手のひらを広げ、机に伏せて体重をかけた。バンドで小指の付け根を痛くなるほど縛る。背の高い男がつや消し加工の黒いナイフを取り出した。
それが小指にあたった瞬間、気を失った。
目を覚ますとさっきの部屋だった。机と椅子はなくなっており、粗末なマットレスに転がされていた。
右小指はついていた。
頭の横には紙があった。股間を濡らし、目を閉じた片倉が写っていた。触ってみるともう乾いていたが手に臭いがついた。
『その画像は進呈する。データで欲しければ受付に言ってくれ。なお、落とし前はついた。自由に出ていってかまわない』
殴り書きが裏にあった。
扉は開いていた。端末など持ち物はそのままだった。周囲の様子をうかがいながら出ていこうとしたが、事務所の玄関で思い直して戻り、あの紙を折りたたんでポケットに入れた。誰にも声はかけられなかったし、公園を出るまで制服は見かけなかった。もう日が暮れかけていた。
状況記録が開始される音がしたので端末を確かめると、事務所に入ってから今までの記録がなかった。履歴では自分自身の認証によって機能を切り、選択的に記録を削除した事になっていた。
ホテルに戻って体を洗い、調べたが痣以上の傷はなかった。きれいな服に着替え、今日の服はすべてクリーニングに出した。
端末など機器類は初期化し、契約している複数のセキュリティサービス組織に遠隔チェックさせてなにも仕掛けられていない事を確かめた。
すべて終わるともう次の日になっていた。ホットドッグをかじり、温めた牛乳で流し込んで眠った。
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