第10話 隊商

「ゆっくり、こちらへ」


 女性にしては低い、落ち着いた声。


 いくつもの銃口を向けられてハルは、言われたとおり肘を肩の高さまで上げて手を広げ、背にしていた塔から二、三歩踏み出した。

 隊商? それとも、砂漠に時々現れると聞く盗賊だろうか?


「武器はないか?」

 銃をこちらに向けながら、女はうかがうように目を細める。


 すぐさま一列後ろに馬をつけていた男がその馬を降り、駆け寄ってきてボディ・チェックよろしく服の上から体を改め始めた。


 手を上げた体勢のまま、ハルは女に向かって、


「あんたたちは?」


 首を傾げる。


 女は答えずに銃を下げて馬を降り、こちらに一歩踏み寄った。

 同時にハルの体を改めていた男が、女に向かってひとつ頷く。


 すぐに塔の周囲を回ってきたらしい三・四人の男たちが女の後ろに馬をつけ、ハルのほかにはだれもいない旨を報告する。

 ようやく手を下ろすことを許されて、ハルは肩でひとつ息をついた。


「夜の砂漠を、武器も持たずに? なぜ?」

 女は眉を寄せて、聞く。


 なぜ、と言われても、困る。今の今までは必要を感じていなかったから。今は、持ってきた方が良かったなと思っているけれど。


「馬もないようだが――歩いてここへ来たのか?」


「そうだけど、あんたたちは?」

 馬に乗っている連中をひと渡り見回して。塔と自分を取り囲むように並んだそいつらは、いつでも発砲できる体勢でハルに銃口を向けている。

「商売の移動? それとも盗賊?」


 聞き返すと、女はフッと笑って片頬を上げた。さっと宙を薙ぐように手を上げると、後ろの列の男たちも構えていた銃を下げる。


「すまない。我々は商売の者だ」

 十メートルほど離れて対峙して、女は張りのあるハスキーボイスで答えた。

「おまえは……子供ではないか。ここで何をしている? 近くで暮らしているのか?」


「まあ、近くかな。ちょっと夜の散歩中だけど」

「この近くに、村があるのか?」


 しばし返答に迷う。ヤマトの村にとって、こいつらは安全な人間たちなのだろうか?

 ハルの心にある疑いを察したかのように、女は一歩前に出てまたピンと張った声を出した。


「われわれはツルミの村からやって者だ。私はリン。この隊商を仕切っている」


「ツルミって――」少し考えて。「海の近くの?」

 たしか神奈川県の、横浜だったか川崎だったか、そのあたりにそんな地名があったような気がする。東京にしか暮らしたことはないから、おぼろげな記憶ではあるけれど。


「ほう」女は眉を上げた。「知っているのか?」


「あ、っと。名前を聞いたことがあるだけだけど……それより隊商が、なんでこんな時間に移動してる?」


 夜の砂漠を渡るなど、そう滅多にすることではないとヤマトの村で聞いたことがあった。よほどの急を要するものか、あるいは闇に紛れて悪事を働こうとしている者か――。あんたたちは、どっちだ?


 首を傾げると、リンと名乗った女はわずかに肩越しに後ろを振り返って、

「ケガ人がいる」

「ケガ人?」


「ああ」

 リンはさらに声を張り上げる。

「我々はまっとうな商売の者だ。この東に商売の先があって、今朝ツルミの村を出てやってきた。馬なら半日の距離だが、隊を組んで荷馬車を引いて来ると一日がかりだ。商売を済ませ砂漠で一夜を明かして村に帰る行程だが、露営の場所に『毒虫』が住んでいて、一人刺された」


 毒虫。ハルはそれそのものをまだ見たことがなかったが、それは砂の土地に住み着く脅威らしい。

 グンジとルウが中野坂上の廃墟の裏手でハルを見つけた日。その日も二人は、ほかの村の人々とともに、廃墟の近くに巣を作った毒虫を駆除しに来ていたと言っていた。

 村から離れた砂漠のどこかであれば放っておくが、近くまで立ち入ったり通ったりする可能性のある場所で繁殖されると非常に厄介なのだとか。

 何しろ刺されれば、数分で体に毒が回って死に至るというのだ。


『あの場所で倒れてたのに、あんたは毒虫に刺されなくて幸運だった』

 後からグンジは感心したように、そう言った。


「幸いにして指先を少し刺された程度で、毒は少なかった。すぐに処置したから命は助かるだろう――が、腕を片方切り落とした」


 特段の感情も込めずに、リンは淡々と言った。


「今は露営の場所を移す途中なのだが、もしも近くに村があるならばケガ人だけでもまともな屋根の下に寝かせてもらえまいかと思って、村を探して移動していたところだ」


 リンが小さく肩越しに振り返った先。幌のない荷馬車に、人間が寝かされているのが見えた。

 この砂の世界でも、季節は着実に冬へと向かっているらしい。明け方は冷え込むから、野宿はケガ人には堪えるだろう。


「おまえの村は、ここから近いのか?」

「ここから歩いて二十分ってとこかな」

「二十分……? それはお前の村の、距離の単位か?」

「あー、っと。パンが焼けるくらいの時間……かな」


「そうか」リンはわずかに安堵したような声色で、「われわれは外でも構わない。ケガ人だけでも、村に入れてもらうことはできないだろうか? 許されるならば、まともに動けるようになるまで彼を逗留させてもらいたい」


 ハルは少し考えて、


「けど、武器を持った人間は村に連れていけない」


 答える。毒虫と武器を持った人間は、村に招いてはいけない。それも、この世界のルールらしかった。


「すまなかった」

 リンはそう言って、馬具に取り付けてあったケースに銃を収める。それを合図のようにして、ほかの連中も同じように銃をしまった。

「こちらも盗賊を警戒して、あんたを疑った。武器は移動中の護身用だ。あんたたちとコトを構えるつもりはない」


(けど――)

 ハルはもう少し、考える。こいつらを信用してもいいものか?


「銃を、渡して」

 手を差し出す。


「なに?」

 リンは目を細める。


「おれはハル。ヤマトの村の客だ」

「客? 子供がか?」

「ああ」


 手を差し出したまま、ハルは頷いた。


「困ってるんだったら村まで案内してもいいけど、こっちにはあんたたちのことを信用する材料がないからな。連れて帰って、世話になってる村に危険があったら困る」


 こちらを値踏みするような視線を送ってくる、リン。が、それは一瞬のことだった。すぐにフッと表情を緩めて。


「もっともだ」

 馬の尻を軽く叩きハルの前まで進ませて、顎をしゃくる。

「いいだろう、取れ」


「はっ、リン様っ? それは――」


 隣の男が慌てた声を上げながら、馬を降りてハルとリンの間に割り入ってきた。


「急いだほうがいいんだろ?」

 そう言ってハルは銃を取り、ちょうどよく目の前にやってきた男の背中に銃口をつける。


「な! 貴様!」

 引きつった声を上げた男の横で、リンは「クッ」と小さく笑い声を上げた。


「大した度胸だな、子供――いや、ハル。案内を頼むぞ」

 そうして銃を突きつけられて固まっている男へと、ニッと口元だけで笑って見せた。

「ミツを助けるためだ。しばらく背中を貸してやれ、ヒサ」


 ヒサと呼ばれた男の背中に銃を突きつけながら歩き出す時に、荷馬車に寝かされている男の姿が目に入った。

 左腕の肘から先がなく、そこにぐるぐると巻かれた布は真っ赤に染まっていた。








「おはよう、ハル。冷えてきたねえ」


 寝起きしている建物の、斜め向かいの三階建て。その入り口の階段脇で、子供を抱いてあやしている若い女に声を掛けられる。


「ああ、ミラ。おはよ」


 手を上げて建物の中に入ると、ミラの夫が顔を出した。

「おお、ハル。今日も様子うかがいかい?」


「うん。どんな感じ?」


 聞くと、男――トウマは親指で肩越しに背後を示す。

「だいぶ正気が戻ってきたみたいだな。気になるなら会っていけばいいじゃないか。もう話くらいは普通にできるよ」


 毎朝ケガ人の様子を確認しにくるハルに、トウマは苦笑するように言った。

 言われてハルは、示された廊下を歩いて奥の部屋に向かう。

 ドアのない戸口に立つと、ベッドの脇の椅子に座っていた男が立ち上がった。


 動けるようになるまで逗留することを許された、ケガ人と介抱の者。二人の客のうちの、シマが戸口まで歩いてきてハルを出迎える。


「ああ、あんたか。――おい、ミツ」

 シマはベッドを振り返って、

「この人が助けてくれたんだぞ。ハルって言ったよな」


「うん」


 ベッドの上に起き上がって朝食を取っていたらしいミツは、右手に持ったスプーンを置いて目を見開いた。


「ああ、あんたが……助かったよ、本当に……恩に着る。ありがとうな」

「いいよ、お互い様だし。だいいちおれは、案内しただけだしさ」


 言いながらベッドに近寄るハルの視線は、その左腕に吸い寄せられていた。


「残念だったね。その――腕は」


「ああ……だがまあ、命が助かっただけでも儲けもんだ。本当に、感謝している」


 その顔には、本当に片腕を失ったことへの失望は感じられず、ハルは砂漠の男のタフさに感心した。

 腕を落とすと言われたら、おれはその場で殺してくれと懇願するだろうな……。


「少し、話してもいいかな」


 首を傾げて聞くと、横に立っていたシマがぽんぽん、と肩を叩いて椅子を示した。

 ハルは勧められるままに、その椅子に腰を下ろす。


「あの夜さ、この東のほうに、商売に行ったって言ってたね」

「おお、そうだよ」

「それって、シンジュクか?」


 ツルミの村――それが鶴見であって横浜か川崎のあたりなのだとしたら、東京からはほとんど真南のはずだ。ヤマトの東の方角で商売をしていて帰り際にこの近くを通ったのだとしたら、その商売先はヤマトから相当近距離の場所。そしてシンジュクの周囲二、三キロ以内にはほかに村はないはずだから、彼らが東からやってきたのだとしたら、それは新宿の可能性が高いと思った。


(商売の者は、あの都市に出入りできるのか?)


 ミツはシマとひとつ顔を見合わせて、


「ああ。そうだよ。おれたちは、シンジュク行った帰りだった」

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