無事に生きている奇跡
悪意の吹き溜り
「おかしいですねぇ……
確かこの辺だったと思うのですが……」
ジルに連れられて行った場所、
そこは有り体に言えば
スラム街のようなものだった。
酒を飲んだ酔っ払いが
そっちこっちで大騒ぎしており、
浮浪者が次々と押し寄せ
物乞いをして来る。
女達は派手なケバい化粧で
街頭に立ち、客を引く。
その中には明らかに子供も居るし、
どう考えても不釣り合いな老婆まで居る。
そういう人達の姿を見ると
胸が痛む。
どう見ても貧困が生んだ
スラム街そのもの。
今にもナイフや銃を手にした
少年ギャングが強盗して来そうな、
そんな雰囲気がにじみ出ている。
ちょっと怖くなって
あたしはジルの腕を強く握り、
後ろに隠れるようにして歩く。
「大丈夫ですよ、
お嬢様には指一本触れさせませんから。
私こう見えても元軍人ですので」
そのジルの軍人設定が
本当なのかどうか、
未だにあたしはよく知らない。
–
「あっ、ここですね……
見た目が変わっているので
気づきませんでした……」
建物の前には
娼婦と思われる女達がたむろしている。
性風俗など知らないあたしでも
一目で分かるぐらいの娼館。
なんでジルはこんなところに
あたしを連れて来たのか?
「ここが、どうかした?」
「ええ、
覚えていないとは思いますが……
お嬢様が日本に来た時、
最初はここに住んでいたんですよ」
こ、ここが、
あたしの居た街……?
あたしが昔住んでいた?
確かによくは覚えていないのだけれど
こんなところだっただろうか?
もっと普通の街だったような……
そんな風に思っていたのだけれど。
いつの間にか
脳内で補正されて、美化されていた?
–
「あんた、
珠代さんが連れてた子かい!?」
娼館の前に立っていた
年配のお姉さんが声を掛けて来る。
確かに私を引き取った叔母さんは
珠代という名前だったような……。
「あんた、あの時の子だろ?
こりゃまた、
ドえらい美人になったもんだね
あんたがここに居たのは
短い間だったけど、
よく覚えてるよ
なかなか忘れられない見た目だからねえ、
あんた」
どうやら
あたしを引き取った叔母さんは
この娼館に住み込んで
娼婦をやっていたらしい。
「珠代さんはよく、
口癖のように言っていたよ
『あんな子なんか
預かるんじゃなかった』
『まったく、なんであんな子、
預かっちまったんだろう』
ってね」
そこはあたしの記憶と合致している、
やはり私はここに住んでいたのか……。
「そうだねえ、
こんなことも言ってたかねえ……
『あの子は、上玉だから
もう少し大きくなったら売り飛ばす
きっとあの子は高く売れるから、
それで大儲けしたら
ここから出て行くんだ』
そんなことも言ってたかねえ
まぁ、本人を目の前にして
今更そんなこと言うのもなんだけど」
あのクソババア、
あたしのことを
売ろうとしてやがったのか!?
「あんた、あの頃
五、六歳ぐらいだったかい?
あん時でも充分
高く売れたと思うんだけどねえ
珠代さんも
儲けそこなっちまったもんだねえ
おまけに死んじまうしさぁ……」
もしかしてあたしは
あのクソババアに
『売らないでくれてありがとう』とか
感謝しなくちゃいけない訳?
『売らないでくれてありがとう』とか、
どんだけヤバいとこなのよ、ここは
人が死んで喜ぶような人間には
なりたくはないけど……
これに限っては、あの時
クソババアが死んでくれたことに
感謝するしかない。
さもなければ、遅かれ早かれ
私は誰かに売られていた……。
そして、今目の前に居るババアが
あたしの反応を見ながら
ニヤニヤしているのも腹が立つ。
こいつは人が不幸になるのを
喜ぶタイプの人間だ。
男を見る目が無かった
あたしが言うのもなんだが、
それだけは間違いない。
ここは悪意の吹き溜りでもあるのか……。
「ここで、
あんたみたいな子が、
数か月の間、攫われもせず、
売られなかったのは
奇跡みたいなもんだと思うよ」
ババアはしたり顔で言う。
「私がお嬢様の後を追って
この街までやって来た時、
ここにお嬢様はいませんでしたが、
もうすでにどこかへ
売られてしまったのではないかと
私は生きた心地がしませんでしたよ」
「実際に
あんたがいなくなった後も、
あんたのことを調べに来た
怪しい男連中が居たからね」
一体なんなんだろう?
あたしはまったく知らなかったのに、
私が中心になっているこの話は。
どうにも気持ち悪い……。
これじゃあまるで、
あたしが売られなかったのが
奇跡だとでも
言いたいみたいじゃあないか……。
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