たとえば俺が、チャンピオンから王女のヒモにジョブチェンジしたとして。【増量試し読み】
藍藤 唯/ファンタジア文庫
◆
――コロッセオ。それは円柱をくりぬいたような鉄の牙城。
しかして人々の目が向くのは、外ではなく内。広大なフィールドに舞うは熱砂。火花を散らすは鉄と鉄。歓声は都度響き渡り、蒼天に突き抜けるが如く弾けてゆく。
闘う剣士は一対一。獰猛な牙を剥きだし、互いに互いを倒さんと銀の刃を閃かせる。
蝶のように舞い、蜂のように刺すレイピア使い。重剣を振り回し、相手諸共大地を割らんとする大男。異国情緒漂う反り返った刃を片手に、流麗に立ち回る武人。
皆一様に華があった。
この地に集った者であれば、大地に立つ者も見下ろす者も、同じく戦いに熱狂した。
観客は口々に、誰が強いかを語り合った。誰が一番優れているかと激論を交わした。
だが、彼らの言葉の中には暗黙の了解があった。
――そう。ただし、一人を除く、と。
『勝者、チャンピオン・フウタ!』
本日最後のプログラム。
無論それはトーナメントを勝ち抜いた挑戦者と、王座を防衛するチャンピオンの戦い。
だが、およそ最終決戦には似つかわしくないほど目立つ空席と、漏れ出るような落胆の溜め息は、本来あるべきチャンピオン防衛戦の決着とはかけ離れた光景だった。
昨日にあった、チャンピオンに挑む挑戦者を決める戦いの方が圧倒的に盛り上がった。
観客たちは“事実上の決勝戦”と揶揄しながらも、闘剣士たちの紡ぐ戦いに没頭した。
砲撃のような歓声が巻き起こり、勝者を賞賛し敗者をねぎらった。
今日は違う。どうせこうなると思った、とでも言うような呆れ交じりの雑音は、歓声とは呼び難い。フィールド中央に立つのは、一人の青年。いつものようにフィールドへと投げ込まれるゴミを眺めながら、それでも尚諦めのつかないような表情で俯く。
慣れきった光景だった。
『お前は闘剣士ではない』『個性のないパクり野郎』『挑戦者を虚仮にする戦い』
エトセトラ、エトセトラ。
手を振る気力もなく、まるで敗者のように彼はフィールドを去っていく。
その背に、聞き知った声が響いた。いつも、自分に挑戦してくる、永遠の第二位。
或いは、"事実上のチャンピオン"などともいわれる、一番人気の闘剣士。
振り返れば、彼は血を吐くようにただ一言、こう言った。
「次は、絶対に勝つ!」
その言葉に返事をしないのは失礼だ。だが、もう、何と言えばいいのだ。
――十日前も、二十日前も、三十日前も、聞いた台詞だというのに。
鍛錬を積んだ。デビュー当初は、これでもそこそこ期待された。
鍛錬を積んだ。相手と同じ武器を使って勝つことが、批判され始めた。
鍛錬を積んだ。同じ武器などではなく、そもそも戦闘スタイルを模倣していると知ったコロッセオの常連たちが、フウタを叩き始めた。
鍛錬を積んだ。対戦相手を愚弄する行為だと、指を差して罵られるようになった。
鍛錬を積んだ。最高位の闘剣士たちに交じっても同じことの繰り返しだ。彼らのファンが、フウタのアンチになった。
鍛錬を積んだ。誰もフウタに勝てなくなった。観客が苛立ちをぶつけるようになった。
鍛錬を積んだ。彼の戦いは、次第に見られなくなっていった。
そして最後に吐き捨てられた。
『〈無職〉の癖に』と。
フウタは、〈無職〉だった。
この世界では、ありとあらゆる人間に〈職業〉という力が宿っている。皆が皆、生まれ持つ〈職業〉によって得意なこと苦手なことがあり、天職を捜し適材適所生きていくのだ。
しかし稀に、〈職業〉を持たない者――即ち無職が存在する。どんなことをやらせても、並以下とされる者たち。発生条件は解明されていないが、覆しようの無いレッテルだった。
フウタはそれを覆したかった。無職だからと弾かれ、省かれ、社会の隅に追いやられて静かに果てる、そんな同じ〈無職〉をフウタは何度も見てきた。だからこそ努力によって出来ることがあるのだと証明したかった。
フウタは、自分の才に気が付いたのだ。どんな人の動きでも真似られるという才能に。
しかし奇抜な発想や豊富な話術があるわけではないから、道化師にはなれない。
大道芸で稼ぐには、人としての魅力が物足りない。傭兵となると、〈職業〉による適正試験を突破出来なかった。癒師としても、騎士としても、立ちはだかる試験が邪魔をした。
だから、登録だけなら誰でも出来る闘剣士は、打ってつけだと思った。
闘えば勝つ自信があったのだ。けれど。――現実は違った。
本職の〈闘剣士〉には華があった。――フウタには、無かった。
個性のないパクり野郎が、神聖な戦いの場で調子づいている――そう、唾を吐かれた。
フウタは強かった。負けることはなかった。だがそれだけだ。どれだけ戦っても人気は着いて来ない。人気がなければ、闘剣士たる資格はない。強ければ良いわけではなかった。
「あ……チャンピオン!」
一人寂しく、選手専用通路を、控室に向かって歩いている時だった。声をかけてきたのは、フウタへの挑戦権を掛けて争っている選手の一角である、鎗使いの少女。
黒髪をツーテールにした活発な印象の彼女は、勿論フウタとは異なり絶大な人気を誇る闘剣士だ。
「えと……相変わらず常勝じゃん。今回はダメだったけど、次は私が挑戦するから。必ず。だから、覚悟してなよ?」
突き付けられた言葉は、いつもと同じ。無気力に一瞥すれば、彼女は嘆息した。
「まあ、眼中にないかもしれないけどさ。見てろよ、ちくしょう……!」
彼女の顔に浮かぶのは僅かな落胆と、それから向上心だろうか。一度溜め息を吐いて、それから気合を入れ直したように顔を上げ、手を振って去っていく。
それを見送って、フウタは思い返す。彼女とは、いつか一度手合わせをした。それから、公式戦でいつかフウタを倒すのだと、意気を巻いている様子だった。ああ、まったく。
羨ましい限りだ。職業〈闘剣士〉として生まれ、人気を博し、毎日歓声を浴びて闘っている彼女のことが。明日への希望を胸に駆けていく彼女とは対照的に、背を丸めて自らの控室へと引っ込んだフウタは、部屋に入るなり大きくため息を吐いた。
どうすれば、〈無職〉でも胸を張って生きていけると、証明できるだろう。
悩みは日に日にますばかり。いつも控室で、答えの出ない問いに頭を抱えていた。
助けを求める友も居なければ、生真面目さゆえに逃げることも出来なかった。
「やあ、フウタ選手。少し話があるんですが、いいですかね?」
部屋に、このコロッセオの〈経営者〉が顔を出したのはそんな時だった。金に光る入れ歯を見せびらかすように笑みを浮かべ、男はフウタの隣に腰かける。そして馴れ馴れしく肩を組んだ。議題は、どうしても伸びないフウタの興行収入について。
「分かってるでしょう。どんなに強くても、人気は着いて来ないと。貴方がどれだけ考えても、良いアイディアは出ませんよ。アイディアを出せるような〈職業〉じゃないんですから。こういうのは、私のような〈経営者〉に任せれば良いんです」
無職を小馬鹿にされていることに気付けないほど、フウタは疲弊していた。
「強いばかりで華が無い。よく言われているはずだ」
頷く気力も出ないほど、言われ続けた言葉だった。
「――だからね。貴方に華が無いなら、試合に華を持たせましょうよ」
だからその甘言が――〈職業〉による話術の力だとすら気づけず。
まさしく天啓を受けたように、彼の方を見てしまった。
そしてその日、チャンピオン・フウタの在位記録に終止符が打たれた。
同日――彼はコロッセオから追放された。
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