天邪鬼の戯言

波留 紫苑

第1話デカルトに問う

 我思う、故に我あり。説明するまでもなく広く知れ渡っているこの格言。方法的懐疑により全てを疑った時に考えている自分の存在だけは疑えない、という意味。

 これに関して自分は昔から疑問に思っていた事がある。これは能動形でいいのだろうかと。受動形が正しいのではないかと。

 小説やマンガ、ゲーム、その中に登場するアンドロイド、善悪や状況判断もできる存在がいる。クローン人間、およそ他人の記憶を植え付けられている場合が多いが自分で考える事ができる。あるいはホムンクルス、人造人間ではあるが考えることができる。もし、彼らが、先の、我思う、故に我あり。その言葉を発した時、創造主である我々人間は、どんな目でそれを見つめればいいのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る