第二章 第二話 上位精霊


 俺は精霊使いとして長い時間──ざっと二〇〇年近く──を過ごしている。

 だからだろう、ルデールト召喚士学園で受けた授業は、知っていることの方が多かった。ただ、学園に来なければ知ることはなかったであろう興味深いものも多かった。とりわけ面白かったのが、戦闘訓練である。

 俺にとって召喚術は日銭を稼ぐための手段でしかなかったが、一般的に召喚術は強力な武器の一つとして見なされていた。それはそうだろう、火の矢を放ち、岩の雨を降らせる召喚術は、人を傷つける手段としては最適だ。

 実際、召喚士養成学校とはようするに軍人養成所だ。なにせ奨学金を受けて入学した平民の生徒は卒業後に軍役が待っていたし──騎士と同等の扱いなので好待遇ではあるが──エフェリーネのような貴族はもともと戦争に参加する義務を負っている。

 そうでなくとも優秀な精霊使いの血筋は貴重で、酒場のケンカで命を落とすようなことがあってはならない。自衛手段を学ぶことはすべての召喚士養成学校に共通する方針らしい。うなずける話ではある、俺だって死ねば二〇〇年ものけんさんが無駄になるのだから。

 また、この公国を含む一部の勢力圏では、〝精霊騎士〟と呼ばれる軍人がいる。召喚士は言ってみれば遠距離から召喚術を行使するだけだが、精霊騎士は最前線で武器を振るいながら召喚術を駆使して敵を倒すという、まさに戦いの専門家だ。

 俺は誰よりも長い時間、召喚術を使ってきたという自負はあった。だが、こと戦闘と召喚術を併用する技術においては、専門家たる彼ら精霊騎士の足元にも及ばないことを思い知らされた。

 たとえば元精霊騎士だったという戦闘教官は、ノームに命じて足元の岩を浮かせることで大きく跳躍し、空中から攻撃するという方法を見せてくれた。俺は「そんな戦い方があったのか」と思わず感動してしまい、後に長い時間をかけて猛練習に励むこととなる。

 もっともその教官は着地に失敗して足の骨を折ってしまい、俺たちはそうはくになったものだ。だがさすが経験豊富な元精霊騎士だけあって、

「骨折には地の精霊の術が有効だ」

 と、《石の壁》で骨折した足を覆うという応急処置をしてみせたが。


 俺にもっとも鮮烈な印象を残したのは、ある非常に若い臨時女性教官だった。本来は精霊騎士として同盟国であるリーンバル王国に派遣され、日々帝国と戦っているという。


「名前はシルビア。この学園の卒業生」


 彼女は非常に無口で、必要なことしかしゃべらなかった。幸いシルビアには騎士らしく従者がおり、そのおしゃべりな彼女のおかげでどうにか授業の体裁が保てたという有様だ。

「シルビアさまはすごいんです! あなたちより二つ三つ年上なだけだというのに、すでに戦場に出て帝国軍と戦っているんですから! それもすでに一〇〇を超える首級をあげているのです!」

 従者は自分のことのように彼女の功績を延々話し続けたものだ。

 シルビアが印象深かったのは、鮮烈な青い髪とぐな瞳、そして流麗な戦い方のためだ。別名〝戦場の蒼雪〟と呼ばれているらしい。そんな恥ずかしい名前を付けたのは誰だ──と思えたその二つ名は、むしろ名前の方が負けていた。

 彼女が操る武器はレイピアだ。剣技そのものも当然非凡ではあったが、戦場で屈強な男たちを何十人も相手にできるものではないだろう。

 精霊使いとしても決して突出しているわけではない。契約できた精霊は、ウンディーネたった一体。ただそのウンディーネとの相性がきわってよかったらしく、無詠唱でいくらでもその力を行使することができるという。

 シルビアの強さの秘密は、そんな剣術と召喚術の完全なる融合にある。彼女は正面からレイピアを繰り出しながらウンディーネを召喚し、子供の頭ほどもあるような大きな氷のやりを四方八方から敵にたたきつけることができた。前からはやいばが、後ろから──いや、後ろと横と上から氷塊が飛んでくるとすれば、どんな熟練の戦士でも勝てるわけがない。

 俺が契約した精霊の中には、もう二〇〇年以上扱い続けているノームなどもいる。これだけ長期間扱い続けると、今では無詠唱・触媒なしで即時に召喚できる。彼女と似たような戦い方は俺にも可能なはずで、できればもっと教えを請いたかった。だが無理だった。臨時教官であったシルビアは間もなく戦線に復帰、その後、帝国軍との戦いで捕虜になり、消息不明になるからだ。


   ◆


「なんとかシルビアを助けてやれないだろうか」

 次の《過去転移》のとき、俺は異界でクロノスにそう切り出した。

「へえ、無意味なことを考えるね。でも難しいかもしれないよ? 歴史改変には違いないんだから因果律の修正対象になるかもしれない」

「死ぬはずだったティアナが生き延びた例もある。因果律の動きなんてやってみないと分からないだろう」

「だとしても、キミは今後も《過去転移》を繰り返すつもりなんだろう? たとえキミがその人間を助けたとしても、《過去転移》する度に彼女は帝国軍に捕まることになるんだよ?」

「だったらその度に助ければいいだろう。時間はいくらでもある」

「そうかい、まあ好きにすればいいさ。でもようは荒事に首を突っ込むわけだろう? 死んだりしないようにね。キミが死んだ瞬間、これまでの長い年月も無駄になるんだから」

「……そうなんだよな。どうせ上位精霊と契約するには俺も強くなっておく必要があるし、少し時間をかけて鍛え直すことにするか」

「なるほど、いいことだ。でもキミの〝少しの時間〟って長いんだよねえ」

 クロノスは少しだけ嫌そうだった。


 俺が戦いのすべを学ぼうとしたことには、シルビアを助ける以外にもう一つ理由があった。そもそも俺が学園に入った最大の理由は、魔晶石を手に入れ、上位精霊と契約することにある。魔晶石が貸与される条件は二つあった。一つは学園で優秀な成績を収め、上位精霊と《融合契約》を行える見込みがあると認められること。当然ながらその条件は簡単に満たせる。すでに俺より召喚術にけた者は教師の中にもいなかったし、《過去転移》しても筆記試験の内容は変わらないのだから高得点は取り放題だ。

 問題なのは、学園の運営母体であるグラストル公国の許可が必要だということだ。

 上位精霊との契約には、上位精霊をこの世界に呼び出し、自らの力を示さなければならないという。だがもし失敗すれば、上位精霊はこの世界にとどまって暴走するらしい。魔晶石が厳重に国に管理されている理由だ。

 そのため上位精霊召喚の際には、戦闘に慣れた多くの召喚士・精霊騎士を用意しておく必要がある。もはや国家事業だ。だが帝国との戦争が泥沼化している最中ということもあって、熟練の召喚士は前線を離れられず、上位精霊召喚の儀式を行うのは危険過ぎると判断されたのだ。

 戦力が足りていないというのなら、増やせばいい。〝戦場の蒼雪〟シルビアが敵に捕まる運命を回避し、さらに俺個人が強くなることで戦力を増やすのだ。

 こうして《過去転移》一六回目からしばらく、俺は学園には入学せずに戦闘の訓練を積んだ。剣術や弓術の達人に師事してその技術を学んだのだ。しかもふと思い立ち、一二歳になったジレンと一緒に学ぶことにした。

 これが思わぬ相乗効果を呼んだ。物事を学ぶとき、大人は経験に基づく理屈で、子供は本能や体で学ぶものらしい。つまり俺とジレンが《融合契約》をすることで、一つの修練に対して二倍の経験値を得ることができたのだ。

 俺に戦いの才能があったとは思えない。だが時間だけはいくらでもあったため、幾人もの師を超えるのは文字通り時間の問題だった。

 一通りの武術を学んだあとは、召喚術を組み合わせた戦闘訓練も行った。実際に戦闘に出て盗賊を斬ったこともあった。命の危険を感じて時空の精霊クロノスの元に逃げ、そのまま《過去転移》したこともあった。

 戦士としての人生が俺に向いているとは思えない。だが新しいことを学ぶのは新鮮だったし、なにより武術を召喚術を組み合わせることは非常に楽しかった。



 再び学園に入学したのは《過去転移》二五回目のときである。俺はまずいつも通りジレンと一つになり、優秀な生徒として周囲に認識させた。そして、シルビアが敵に捕らわれる運命を変えようと試みた。

 シルビアはある戦場において、自分が所属する部隊を逃がすため、殿しんがりを務めた挙げ句、帝国軍に捕らわれることとなる。

 そこで俺は風邪と適当な理由をつけて学園を休み、王国まで移動。一兵卒に混じって戦場に紛れ込んだ。流れ矢の一本にでも当たればこれまでの苦労がすべて水の泡となりかねないが、すでに俺は一〇〇年以上を費やして様々な武術を学び、実戦も積んできた。それにジレンと融合した後の俺なら、即死さえしなければ時空の精霊の元へ逃げ出し、《過去転移》することができる。戦場に出ることは決して怖くはない。

 そしてシルビアが帝国軍のただ中に孤立したそのときを見計らい、俺はひそかにサラマンダーとウンディーネを二〇体ずつ召喚。火と水を干渉させることで膨大な蒸気を作り出した。

 このとき唯一俺が恐れたのは、シルビアを救うという俺の行動が因果律によって修正されることだった。だが孤児のティアナがそうだったように、殺すならともかく生かすことには因果律もそれなりに寛容らしい。俺の作り出した蒸気によって視界を遮られた帝国軍は大混乱に陥り、シルビアは撤退に成功したのだ。

 ただ一つだけ失敗もあった。シルビアが包囲網から脱出するときに、俺の正体がバレたことだった。

「あなた、学園にいた生徒じゃ……?」

 シルビアは俺が作った包囲網の穴を通って脱出してきたのだ。俺と出会うのは避けられなかった。ただ幸いそのときはシルビアもろうこんぱいだったし、なにせ戦場だったのでいくらでも逃げる方法はあった。俺は無言でその場を早々に立ち去り、兵士の中に紛れてしまえばよかった。

 ところが話はそれで終わらなかった。シルビアは思っていたよりも根気があったらしく、その後わざわざ学園を訪ねてきたのだ。俺を探しに。

「やっぱり、あのとき助けてくれたのはあなただった」

 俺は誤魔化すよりも理由を知りたくなった。

「なぜ分かった? 生徒として何度か会っただけの俺が、わざわざ隣の王国まで赴き、戦場であなたを助けたなどと普通は考えないだろう」

「あなたには初めて会ったときから異質な感じがしてたから」

 もともと無口な性格のせいか、どうも彼女の話は要領を得ない。だが彼女もウンディーネの扱いに長けた優秀な精霊使いだ。俺がすでにウンディーネ二〇体以上と契約していることから、なにか感じるところがあったのかもしれない。

「それより、教えて欲しい。なんでわたしを助けてくれたの?」

「理由は二つある。俺は上位精霊と契約をしたい。そのためには多くの精霊騎士の助けがいる」

「そう。それなら納得。もう一つは?」

「正直に言うが、初めてあんたの戦い方を見せてもらったとき、れたんだ。〝戦場の蒼雪〟とはよく名付けたもんだよ」

 シルビアは風に舞う花びらのごとく氷塊を生み出し、標的に降り注がせながらレイピアの連撃を叩きつける。あれ以上流麗な戦い方を俺は知らない。

「別に、大したことじゃない」

「俺はそうは思わないな。そんなあんたが帝国軍に傷つけられるようなところは見たくなかった。それだけだ」

「……変なこと言うのね」

 シルビアの反応は少しおかしかった。顔がみるみる赤くなってしまったのだ。

 これでは〝戦場の蒼雪〟の二つ名も形無しである。

「わたしはただの精霊騎士。男も女もない、戦って死ぬのが仕事。わたしのことなんか気にしない方がいい」

「それがあんたの選んだ道ならとやかく言う気はない。だが俺も好きにやらせてもらうだけだ、助けたいと思えば助ける。それだけの話だろう」

「……そう。不思議な人。一体何者なの、あなた」

「召喚術を極めたいだけの、ただの生徒だ。これは本当だ」

「そう」

 シルビアは俺の前から立ち去った。「上位精霊の件は任せて。借りは返すから」と言い残して。


   ◆


 そして、彼女の言葉は正しかった。

 俺が以前から事あるごとに申請していた、上位精霊との契約儀式に、ついに許可が出たのだ。

 言うまでもなくシルビアが手を回してくれたおかげである。俺にはついに魔晶石のついた腕輪が貸与され、吉日を選んだ上で大地の上位精霊タイタンとの契約儀式が行われた。

 魔晶石の力は本物で、俺は今まで三百数十年以上かけてついに感知できなかった上位精霊タイタンとついに接触することができたのだ。


なんじには資格がある。ゆえに一度だけ我を召喚することを許そう。我との契約を望むなら、汝の力を我に示すがよい」


 異界で俺が接触したタイタンは、召喚士に伝わる伝承通り、力試しを要求した。俺は一度だけタイタンを召喚する権利を得る。そして現世に召喚したタイタンを打ち負かすことで、ようやく《融合契約》がかなうのだ。もっとも、もし俺が敗北すればタイタンは暴走し、多大な被害をもたらすことになるらしいが。

 間もなくこの世界に召喚したタイタンは、城のように大きな巨人だった。契約の儀式は首都から離れた無人の平野で行われたにもかかわらず、多くの旅人や交易商人に目撃され、しばらくの間ウワサになったという。

《なに、上位精霊なんて人間たちが勝手に作った区切りさ。タイタンなんてボクに比べたら大したことない精霊だよ、気楽にやるといい》

 そう助言したのは、異界からわざわざ見学にやってきたクロノスである。

 彼女が言うならその通りかもしれない。だがそもそもクロノスの真の力を知らない俺からすれば比較のしようがない。

 実際、タイタンとの戦いは苛烈を極めた。大地の上位精霊と接触するには、大地の下位精霊ノーム数体と契約しなければならない。一方で上位精霊とは、下位精霊をべる存在だ。つまりタイタンに、ノームの力は通用しない。これが上位精霊との契約を困難にする理由だ。

 それでも俺は勝利した。タイタンとの戦い方を記した文献は残っていたし、俺は水や火、風といった精霊とも数多く契約を交わしていた。なにより、心強い味方がいたからだ。

「借りは返すから」

「あなたのためならば、わたくしも手伝いましょう」

 シルビアやエフェリーネを始めとする召喚士たちだ。

 彼女たちの援護を受けた俺は、ついにタイタンを打ち負かして契約を交わすことに成功することとなる。


 一応の母国であるグラストル公国は喜びにあふれたものだ。

「タイタンの使い手が現れたとなれば、帝国も腰を抜かすだろう。我が国への貢献を期待しているぞ。ところで私の娘の一人と結婚する気はないか?」

 この国の国主、グラストル大公から直々にそんな言葉を賜ったほどである。つくづく思うが、有力な精霊使いへの待遇はすさまじい。もっとも、俺はこのとき心身ともにボロボロで、返答どころではなかった。契約酔いのせいだ。下位精霊との契約でさえ重い風邪をわずらったかのような失調が表れる。上位精霊との契約酔いは凄まじく、俺は数日ベッドに寝たきりになるほどだった。

 しかも、どうにか契約酔いが収まった途端、すぐまた「うちの娘の婿に」という話が殺到することとなる。面倒になった俺は、例によって時空の精霊クロノスのいる異界に向かってしまった。


   ◆


「やれやれ、魔晶石の入手という目的を果たすなり《過去転移》かい? キミもひどい男だね、あのエフェリーネという少女がどれだけキミと寝たがってたか知らないのかい?」

 異界で再会したクロノスは、俺が知らないどうでもいい情報まで知っていた。

「エフェリーネが欲しいのは精霊使いとしての俺の血だろう、悪いがその気にはなれない。それより一つ試したいことがあるんだ、すぐ過去に転移してもらえないか?」

「へえ。いいけど、なにを試したいんだい?」

「せっかく手に入れた魔晶石を《過去転移》で過去の世界に持ち込めるのかどうかだ。もし持ち込めるなら、国宝とも言える魔晶石が複製されることを意味している。因果律が見逃してくれるのか心配なんだ」

「なるほどね。ボクが答えられるものでもないし、じゃあ早速《過去転移》の三つの制約について解説しようか──」


 幸い、俺の心配はゆうだった。過去に転移する際、俺も二人までは存在が許されるように、少なくとも一度の複製なら許されるようで、これ以後俺は魔晶石の腕輪を持って過去に転移することとなる。

 このとき俺は喜びつつも、疑問を持たずにはいられなかった。

「なあクロノス。精霊騎士シルビアの解放はともかく、上位精霊との契約は一つの国が沸き返るほどの出来事だった。国宝とさえ呼ばれる魔晶石の複製だって大事だ」

《そうだね。それで?》

「孤児のティアナが生き延びたこととはレベルが違う。なぜこれほどの歴史改変が許されるんだ? 因果律の修正基準というのは一体どこにあるんだ?」

《さあね。ボクがその疑問に答えることはできない。ただ因果律が修正を必要としないと判断したってだけのことだよ》

 クロノスの回答はそれが限界のようだった。

 ひょっとすると俺個人が行える歴史改変というのは、俺からして見れば大それた行為だが、全体の歴史で見ればそれほど大した行為ではないのかもしれない──。


 少なくともこの時点で俺はそう考えざるを得なかった。俺が真実に気付くのはもっと後ではあったが、実際のところその推測は、決して的外れというわけではなかった。

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