学校へ行こう。
学校へ行くことはメリットが多い。もちろん教職員にとってもメリットは計り知れない。では私が中高生の時は何をしていたかというと勉強はあんまり得意ではなくて、ずっと楽譜の譜読みをしていた記憶がある。中高一貫校だったので、幸い高校受験がなく、また小学生の頃は神童と呼ばれるくらい勉強ができたので楽勝だった。中学受験にしては当時珍しく英語の試験があったのだけれどほぼぼぼ満点だった。算数も図形問題も計算問題も簡単だった。中学に入ってからは堕落し続けたといえよう。語学系は得意で国語と英語は常に満点に近い数字で、試験が終わると順位表が出されるのだけれど必ず語学はトップだった。とはいえ数学は順位表に載ることはなく、また歴史や理科も勘弁願いたいくらいの点数だったのを記憶している。もし高校受験があったなら私は今こうして大学に所属していることはなく、ギリギリ高校に行けたとして大学は難しかっただろう。もし、学校の勉学が嫌というのなら逃げてしまえばいい。これが私の結論である。赤点を繰り返しとっても必ず補習で再テストがあるので再テストさえ潜り抜けていればいいのだ。けれども何にも熱中しないのはいけない。勉強に熱中する人ほど私は使えないものはないと思うが、遊びにも熱中してなければさらに使えない。こんなこと言ったら香川県知事に怒られてしまうのかもしれないけれどゲームに熱中するならしたらいいと思う。ただし全力で遊ぶことが大事。何作も何作もやって、そうして得られたゲーム開発者のメッセージを受け止めて、どのように自分が役に立っていけるのか。それを考えればいいだけだろうと思う。私は中学の頃はソフトガンにはまってばかりいた。そのころはまだ銃刀法も厳しくなくてチューニングするのに今のようにスピード計だとか弾の重さだとかを考えなくてよかったから一丁チューニングするのに数万から十数万で請け負ってチューニングをしていた。もちろんチューニングを学ぶには自分のガンが一番の勉強材料なので細かいところは割愛するけれど自分のが一番ピーキーなセッティングになっていた。残念ながら銃刀法の改正とともにバラしてしまったので現存しないのだが、あれを残していたとしたら明らかに武器になりうるものになったに違いない。だから問題になったのだけれど、特に覚えているのが大阪でのソフトガンでの銃撃事件だった。ガラスを割ったり大騒ぎだった。あれを大人がやるのは大人げないなと今でも思う。大人っていうのは少し余裕をもって物事を考えなければならない責務があるのでソフトガンを片手に街を歩いていたらどうなるかなんて自明だろう。あれは中高生だから許されるのだと思う。改正とともにかなり厳しいルールになったのでかなりのパーツが絶版になったがいくつか高いものだけはバラした時にとってある。バネは絶対に保管したらいけないので捨てたけれど。と、次に高校の話になる。高校では吹奏楽部に所属して楽器なんぞを吹いていた。もし今高校の部活の話をするならば私に一番似合わない楽器は何ですか?って言えば必ず正解が返ってくるから面白い。テナーサックスは残念ながら最近になって始めた趣味である。高校では授業中も楽譜を広げて、といってもスコアなので運指の話とかではなくて各楽器の絡み方をチェックして合奏でどこを引いて、どこで前に出ればいいのかを検討していた。いずれそれが楽器になっていって二年の後半なんて授業中に楽器をばらしていた。私の楽器がまた癖の強いチューニングを施しているのでなかなか万人受けする楽器ではない。毎週のように楽器屋に通ってはリペアマンに相談してキィの重さにつながるバネの強さや、ピッコロへのリングの溶接なんかもした。大半はクラリネットだったのだけれど、授業中に楽器をライターであぶりだすのだから今思えばこんなに危険な生徒はいないだろう。シェラックという部分を溶かすのに必要な工程なので楽器を吹くのならぜひ分解してみたらいいと思う。これもセルフケアができない人は楽器ができないという自論が前提なのだけれど。タンポ交換からキィ調整、注油に至るまで一通りやってきたと思う。ただやりたかったのはメッキ処理を自分でやってみたかった。当時色々ネットで探し回ったが電極をつかってメッキをかける技術の紹介しかしてなくて、自分で設備するのは大変難しいのであきらめた。今聞いてみると簡単にメッキ処理ができるようになってきたらしいので一度は手を出してみたいものである。モノづくりや、デザインといったキーワードが大好きだったので大学は建築を志望した。これだけやりたい放題だったので、まず行ける大学があるのかどうかという問題になる。ところが受験戦争のつらさを味わってこいと担任に言われた大学に入ってしまったので案外あっさりしたものだった。ということで受験戦争は修士まで経験しなかった。私は何かをいじるのが好きなのか、大学ではまず二輪免許を取って二輪を分解し始めた。3年の春休みに四輪もとったのだけれど、四輪もやはりエンジンからばらした経験がある。チューニングはあんまりしなかったけれど、メンテナンスは人一倍だっただろう。少なくともエンジンはかなり高額で取引されただろう。あんなにきれいなエンジンは私自身ほかに見たことはないのでかなりレア度が高い逸品だった。それからというものタイヤがついているものは大半いじれるようになった。車は電装品を除けば一から組み立てられるだろう。ここで注意してもらいたいのは建築学科だったという点である。行きたかった専門課程に進学できたので学力は申し分なかったし、大学生というのは暇が多いものだ。またお金がかかることなんて親はわかっているので就職までに自分はなにがしたいのか、どういうことができるのか、考えてみるとよい。
さて冒頭に触れた教員にとってのメリットだが、多種多様な学生が一年にどさっと入ってくる。当然皆右にならえという教育はできないので多様性を重んじて教育に当たることになる。研究室なんかいい例だと思う。最終的に持っていくのは先生が好きな研究ということもしばしばだけれども考え方は人それぞれなので非常に面白い。今もゼミは楽しみにしている。議論して、議論して、時には喧嘩のような議論もあるがそれはそれで面白い。私の立場からしてみれば私の知らない事を教えてくれるのがとても面白みを感じている。私自身が偏った人間だったので、ほかの先生からしてみたら面白かったのではないだろうか。最終的に卒業時には哲学の世界に入ってしまったが、まぁまぁよしとしよう。
卒業して今までも紆余曲折あったが面白い人生を送っていると私は思っているしこれからも面白いと思っている。ので皆さんもつまらない勉強なんかしてないで興味のある方向へ向かって歩んでほしい。
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