第63話 新たなる目標と迫る魔性

 医療棟の人間と話があるといって席を外していたロナルドが戻り、アレクはその後彼の案内で第一警備隊基地内へと移動した。

 

 さすがに行き交うひとの数は多い。


 ロナルドはすれ違うたびに隊員たちと軽い挨拶を交わしていたが、相手がロナルドだったためか、その隣に並ぶローブを纏った不審な人間アレクに対し訝しげな視線を向けつつ誰もそのことを指摘することはなく、アレクは内心安堵の息をついていた。


「医師はなんといっていたのですか?」


 通路を歩みながらアレクがそう問いかけると、ロナルドは少し難しそうな表情を浮かべる。

 

「医師の話によればマーリナスの回復にはもうしばらく時間がかかるそうだよ。問題なのはギル殿が押収した解毒剤が残りわずかだということだ。いまある解毒剤だけでは難しいかもしれないと」


「そんな」


「一刻も早く解毒剤を調達する必要があるね」


「ですがゴドリュースの解毒剤は製法が禁じられています。手に入れるといっても……」


「そう。製造はモンテジュナル王国が禁じている。それなら既存品を入手するしかないだろうね」


「また地下街の闇商人から手に入れるのですか? でも地下街の制圧は行わないのがこの国の暗黙の約束のはずでは? モーリッシュの確保はベローズ王国警備隊の協力もあってうまくいきましたが、そう何度もできるでしょうか」


「できるさ。ゴドリュースとその解毒剤の確保は現時点で我が国の最優先事項だ。なんせ、王命だからね」


 勝ち誇った笑みを向けたロナルドにアレクは目を丸くする。


 王命。


 そうか。どういった経緯かわからないが、今回の件が国王の耳に届いたのだ。そして国王は危惧した。かつて貴族や王族の権力争いに用いられたゴドリュース。それが自国の地下街で使用されたとなれば気が気ではないだろう。


 王命であれば堂々と地下街を取り締まれる。だけどゴドリュースも解毒剤もいまとなっては稀少な品物だ。いくら闇商人といえど簡単に手に入れることは難しい。


 まずはモンテジュナルと関わりのある闇商人を探し出さなければならない。


 アレクはフードの下で表情を引き締める。


 悲しみ嘆いている場合ではない。マーリナスを助けなければ。せっかくギルがつなぎ止めてくれたマーリナスの命。絶対に死なせたりするものか。


「ここが今日からきみが働く場所だよ」


 心の中で堅く決意したアレクはその声にふと顔をあげる。


 案内された部屋のドアには「隊長室」のプレートが掲げてあった。おそらくここがマーリナスの部屋なのだろう。

 

 笑顔でロナルドがドアを開き、アレクを招き入れる。部屋の中は大きな窓をバックに立派な執務机と椅子があった。その椅子に微笑むマーリナスの幻影を映し、アレクは目を細める。

 

 いまは空席となってしまったあの椅子。けれどマーリナスがあの椅子に戻るときは必ずやってくる。それまで自分はロナルドの力となり解毒剤を手に入れて、元気になったマーリナスを迎えるんだ。

 

「はい。お任せ下さい」

 

 悲しげに揺らいでいた瞳が強い意志をもって自分を見つめたことに、ロナルドは打ち震える気持ちを押し殺し、黙ってうなずきを返した。

 

 アレクの能力に不安などない。湧き上がるのは喜び。紫色アメジストの瞳がただ真っ直ぐに自分をみているという喜び。これからの時間をアレクと共有できるという喜び。アレクのすべてを自分の手の中に。その頬に触れて、その髪に触れて、その唇を再び自分の物にしたい。

 

 ロナルドの手がアレクの頬に触れる。少しだけひやりとして滑らかで、まるで陶磁器のようなその肌。指をかすめる細い髪は柔らかく輝いて。魔性の瞳が少しだけ不思議そうに自分を見上げている。

 

「ロナルドさん?」

 

 自分の名を紡ぐ声は心地よく、小さく動く唇は瑞々しい果実のよう。アレクから香り立つほのかな甘い香りが鼻腔をくすぐり、かろうじて残るロナルドの理性をいとも容易たやすく流してゆく。


 そういえば初代王の遺跡でアレクを発見したときも、これと同じ香りが充満していたな……と、そんなことを思いだす。もう一度あの味をあじわいたい。引き込まれる。吸い寄せられる。あの熱を、あの吐息を。

 

 もう一度――

 

「ロナ……」

 

 ロナルドの腕がアレクの細い腰に回り、軽く引き寄せた。つんのめるようにしてロナルドの胸に飛び込んだアレクの顔は目と鼻の先。驚きに目を丸くするアレクの小さな息づかいを肌に感じる距離。そのあごを軽く指で持ち上げ、ロナルドは紫差した瞳をそっと閉じて顔を近づけた。薄く開かれた唇がアレクの唇をふさぐ――

 

 そのときだった。

 

 コンコン!

 

 ノックが部屋に響き渡ったのは。


 

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