第59話 ロナルドからの申し出

「ん……は……ケル…」


「まだですよ」


 それは一度で終わらず、ケルトは何度も角度を変えてアレクの唇をふさぎ続ける。少し苦しそうに眉を寄せるアレクの瞳は徐々に熱を帯びて潤み、最後は受け入れるようにそっとまつげを閉じた。


 ロナルドはドアの隙間から信じられない思いでそんなアレクをみつめる。ドクドクと鼓動は大きな音を立て、無意識に握りしめた手は小刻みに震えていた。


 いくらケルトが従者であったとしても、バレリアの呪力に影響された人間をアレクが受け入れるはずがないと思っていた。それなのに目の前で起きているこれはいったいなんなのだ。


 なぜアレクは受け入れる? ケルトが好きなのか? だから一緒に住まわせてくれと頼んだのか? 毎晩こうして口づけを交わすために? まさか自分のいない間にもこんなことを?


 次から次へとわいてくる疑念がロナルドの心をむしばんでゆく。それは嫉妬にほかならず、胸を締めつけるその痛みに奥歯を噛みしめロナルドはそっとその場を後にした。


 翌朝――


 小鳥のさえずりを聞きながら、キッチンに肩を並べて立つロナルドとケルトの背中をダイニングテーブルにひとり腰かけ、困った顔でみつめるアレクの姿があった。

 

 ロナルドはアレクを家に招き入れたことによって、使用人に休暇を与えた。

 

 ロナルドによればもともと家事は嫌いではないし自分でやることも多かったから問題ないというが、きっと使用人に気兼ねせずにここで過ごせるように、自分に気を遣ってくれたのだろうとアレクは思う。


 そのぶん家事をこなさなければならないわけだが、そこで問題が発生したのである。アレクの食事作りに関してロナルドもケルトも両者ともに譲らず、結果ふたりで分担しながら作ることになってしまったのだ。


「アレク。きみは熱が下がったばかりだろう。もう動いて大丈夫なのかい?」


 腕まくりをしてキッチンに立ち、パンを切り分けながらロナルドが問いかける。その隣ではケルトが鼻筋にしわを寄せながらサラダを作り始めていた。


「はい。治癒魔法もかけてもらいましたし、大きな怪我などもありませんでしたから。熱さえ下がればあとは大丈夫です」


 いまにもロナルドにかみつきそうなケルトと、そんな視線には気づかないフリをして至って穏やかな表情で肩を並べるロナルド。その表情はまったくもって相反するものだ。


 爽やかな朝だというのにどこかピリピリとした空気の中、ケルトがちらちらとロナルドの手元を見ながら野菜を切り分け、小さく舌打ちをする。

 

「おい。アレク様はそのオリーブは好きじゃないんだ。抜けよ」


「そうなのかい?」


「アレク様の好みなら俺が全部知ってる。それよりパラミスを多めに入れろ」


「パラミスね。わかったよ」


張り合うようなケルトの態度にアレクは内心ため息をつく。


 自分で作れれば一番よかったのだが、残念ながらアレクははいままで料理をしたことがない。そのうちケルトに料理を教えてもらおうか。そんなことを考えていたときだった。


「アレク。体調がよくなったのなら、きみに頼みたいことがあるんだけどね」


 背を向けたままロナルドがそう口にしたのは。


 アレクはきょとんとした顔でその背中を見つめる。


「はい。なんでしょうか」


「マーリナスの容体が気になるだろう? 見舞いにいきたいだろうが、かといってきみが外に出歩くのは容認しできないし、俺もいまは忙しくてなかなか時間が取れない」


「はい……」


 アレクはそっとまつげを伏せる。


 マーリナスの現状はケルトから聞いていた。聞いたときは心臓がつぶれるかと思ったし、想像したら体中が震えた。


 傷は完治したというが、やはり問題はゴドリュースだろう。あの毒に侵されて一命を取り留めたことは奇跡に近いが、いまや解毒剤は容易に手に入らない。


 大丈夫なのだろうか。


 不安に胸を押しつぶされる思いで、いますぐにでもマーリナスのもとへ駆けだしたかったが、アレクはその衝動をなんとか抑えこんだ。住む場所が変わってもマーリナスと交わした約束は守るべきだと思ったからだ。


 衝動的に飛び出して呪いが発動してしまったら、ロナルドの管理責任が問われる。マーリナスの代わりに面倒をみてくれているのに、そんな迷惑はかけられない。


 だからこそアレクはロナルドの帰りを待ちわびた。ロナルドが付き添ってくれれば、マーリナスのもとにいけると思っていたからだ。


 だけど昨日は激務で疲れて帰ってきたばかりのロナルドに休む暇を与えず、そんなことを頼むのは酷だと思っていいだせなかった。


 一体いつになったらマーリナスに会えるのだろうか。


 わがままをいえる立場じゃないのはわかっている。だからこそ、もどかしい。


 そんなアレクの胸にロナルドから突き立てられた言葉はひとつひとつ重くのしかかる。


「自宅に帰ってくることも難しくてね」


「はい……」


「きみの仕事をみてあげることも難しい」


「はい……」


「だから」


 ロナルドはできあがったパラミスのサンドイッチを皿に綺麗に盛り付けると、アレクを振り返りテーブルの上にことりと置いて言葉を重ねた。


「俺と一緒に働いてみないかい」


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