第48話 クロノスタシス

 サフェバ虫は野山に生息するこの国の固有種であることをトマスは知っていた。


 夜行性の昆虫で夜になると羽が発光する。光のない高原で一斉に発光しながら飛び立つサフェバ虫を目にするのはとても希なことであり、それはそれは夢のように美しい光景なのだとか。


 トマスはサフェバ虫を目にしたことはなかったが、そのたった一匹のサフェバ虫の光に思わず目を奪われた。


 温かみのあるオレンジ色の発光。ゆっくりと闇の中を舞うように浮遊するその姿。それが次第に高度を下げ通路に降り立つ。


 こんな地下街にサフェバ虫に紛れ込んでいたことにも少々驚いたが、トマスはさらに信じられない光景を目にする。


 一匹のサフェバ虫が降り立ったその場に、何匹ものサフェバ虫が密集していたからだ。何度も点滅を繰り返し、その場で光り輝くサフェバ虫。


 通りに人の姿がないことを確認してトマスはその場に歩み寄った。


「なぜここに……」


 そこはなんの変哲もない水路の蓋マンホール……であるが、他にもサフェバ虫がいるのかと何気なく横に視線を流したトマスはあることに気がついた。


 縦横無尽に走る地下街の道。何度も増設と取り壊しを繰り返し、地図など作れたものではないが、ひとつだけ変わらぬものがある。


 そう、地下水路だ。それだけは誰も手をつけず、昔と変わらぬ位置にある。


 だがこの蓋の並びに他の蓋は見当たらない。思い起こせば、この探知妨害魔法のかけられた範囲内で他に水路の蓋マンホールなど見かけなかったのではないか。


 恐る恐るトマスが蓋に手を伸ばすと、集まっていたサフェバ虫は一斉に空へ飛び立った。


 鉄製の蓋はずしりと重かったが、長年閉ざされていたものとは思えないほどなんと引っかかりもなく、やすやすとその口を開いた。


 そして現れたのは、下へと伸びる階段――


「見つけたぞ……!」


 思わず歓喜に打ち震え叫んだトマスは満面の笑みで後方を振り返り、仲間に大手を振って合図をだした。


 その背後で、キラリと光る刃物がまっすぐにトマスの背中に向けて差し向けられる。


「――トマスッ!」


 走り寄ろうとした仲間の視線がトマスの背後に移り、目を大きく見開いて手を差し伸ばす。


 それはとてもゆっくりとした時間の流れだった。


 叫ばれた言葉のひとつひとつがゆっくりと耳に流れて聞こえ、驚いたような仲間の表情も動かす唇の動きも、一歩一歩駆け寄る足の動きも、靴底から弾かれた砂塵も。


 何もかもがスローモーションで鮮明に見てとれる。


 そして仲間の視線にうながされ、後ろを振り返った自分の動きは、どこかそんな自分を遠くから見ているような不思議な感覚で、自分のものとは思えなかった。


 突然マンホールから現れた黒色のターバンと骨ばった顔立ち。その顔の中で狂気に満ちた黒い瞳がすっと細められ、自分をとらえる。


 その手に握られているのは、ぎらりと鈍い光を反射する包丁――


 まるでそこに死神が現れたようだった。


 避けようと思った。とっさに身をひるがえしたが、やたらと動きはスローモーションで突き出された包丁はトマスの脇腹をかすめた。


 その痛みと熱さに一瞬ひるんだトマスに追い打ちをかけようと、さらに包丁は軌道を変えて襲いかかる。


 その切っ先が、トマスの瞳に向かってまっすぐに突き出された。


「モーリッシュ!!」


 耳をつんざく怒号。そして目の前に迫った切っ先を蹴り上げてモーリッシュに飛びかり、砂塵さじんをまきあげながら上乗りになって取り押さえたのはマーリナスだった。


「マ……マーリナス殿……」


「無事か!」


「あ……へ、平気です!」


 脇腹の傷はちくりと痛むもののたいしたことはない。トマスは脇腹を押さえつつ、マーリナスに歩み寄った。


「この地下にモーリッシュのアジトがある。そこから遺跡に続く通路が伸びていてバロンの屋敷とつながっているようだ。わたしはまた地下に戻る。モーリッシュの身柄はギル殿に預ける。頼めるか」


「はい!」


「それと、この入り口に厳戒態勢を敷け。モーリッシュの他にもここから誰か出てくる可能性がある」


「了解しました!」


 闇にひそんでいたベローズ王国警備隊が次々と姿を現し、モーリッシュを拘束したのを確認してマーリナスは再び地下へと足を向ける。再びアレクを探すために――

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