第30話 斥候

「詳しいことは後で話しますから、とにかくいまは逃げましょう!」


「だめだよ」


「な、なぜです! ここにいては危険です!」


 きっぱりと言い切ったアレクにケルトは目隠しの下で目をひんむいた。


「ベローズ王国警備隊と一緒にきたのなら知っているはずだよ。なぜ僕がこんなことをしているのか」


「モーリッシュ・ドットバーグの確保ですか。しかしアレク様には関係のないことです。確かに悪人を捕まえるのは崇高な行いですが、そんなことは警備隊に任せておけばいいんです!」


「僕はこの地下街に住んでいた。そこで僕を捕らえ、売ったのがモーリッシュだよ。ケルト、きみはそんなモーリッシュを許せるの?」


「な……」


 ケルトは衝撃の事実に耳を疑った。


 なんの不自由もなく生きてきたアレク様が、呪いを苦に国を出たことにさえ心を痛めていたというのに、こんな荒くれ者の集う地下街で暮らしていたとは。


 きっと想像を絶する過酷な生活を送っていたに違いない。加えて売られた、などと。そんなことが許されるものか。アレク様は本来そのような人生を歩むべきお方ではないというのに。


 ケルトの胸に悔しさがこみ上げた。


「わかりました。ならばわたしも微力ながら力になります。とはいっても、わたしも身柄を拘束されているのですけど。はは……」


「ありがとう。ケルト」


 力なく笑ったケルトにアレクは苦笑いを浮かべる。


 その後ケルトからベローズ王国警備隊について回り、各地でアレクを捜索していたこと。ここにきて『おとり役の少年』がアレクという名前だと聞きつけて警備隊の目を盗み、先回りして地下街で待ち構えていたこと。


 そしてあの小屋の隣で見守っていたところ男たちに見つかり捕らわれてしまったことなど、ケルトからことのあらましを聞いたアレクはその無謀さにため息をつくほかなかった。




 ◇




 一方――


「アレクを見失っただと!」


 地上に戻ってきた追跡班から報告を受けたマーリナスは、信じられない思いで声を張り上げた。だが隣で肩を並べるギルは、あごをさすりながら冷静に言葉を紡ぐ。


「まあまあ、マーリナス殿。そう憤慨ふんがいなされるな。探知妨害の用意があったのは予想外だったが、あらかたアジトの範囲は絞れたようだし、猶予ゆうよにはまだ二日ある。必ずや我々ベローズ王国警備隊が居場所を特定してみせましょうぞ」


「いえ。万が一にもあなた方の存在がモーリッシュにバレることがあってはなりません。ここは我々スタローン王国第一警備隊にお任せ願いたい」


「ふむ。まあ、そう仰るなら構わないが。いつでも我々の力が必要になったときは声をかけてくだされ」


「お気遣い感謝します」


 そういってマーリナスはあたまを下げた。


 すでにバロンの屋敷周辺にはスタローン王国警備隊が張りついている。アレクが捕まえられたのなら動きはあるはずだ。


 地下街の連中は他人の動向に敏感なため大人数を送り込むことはできないが、あいつならきっとうまくやってくれるだろう。


 そんなマーリナスの期待を背負ってバロン屋敷近郊でボロ雑巾のような衣服を身にまとい、小道の影でうずくまりながら動向をうかがっていたロナルドは、周囲の異常な空気に目を光らせていた。


 前回バロン確保のために動向をうかがっていたのはロナルドであったし、その周辺のことであれば多少の土地勘もある。


 目端の利くロナルドは場の空気も敏感に察知できるため、こういった役目にはうってつけの人間なのだが。


(おかしい)


 ロナルドは自身の中に生まれた謎の疑念の正体に、あたまを悩ませていた。


 前回と何かが違う。


 バロンの屋敷は地下街でも大きな通りに面していて見渡しやすい。


 通りを行き交う人々も多くいるし、特にロナルドを警戒しているようなそぶりもない。だが、それがおかしいのだ。


 前回バロンの屋敷に張りついたときは、もっと空気がぴりぴりしていた。


 それこそ、一ヶ所に留まるなど周囲の目が恐ろしくてできず、常に人に紛れて通りを歩きながら動向を見守ることしかできなかったのだ。


 そのぴりぴりとした空気をいまは全く感じない。なぜ。


 ロナルドは注意深く周囲の人間の動向に目を配りながらゆっくりと立ち上がり、バロンの屋敷に背を向けて歩き出した。


 目指すは屋敷の裏手だ。正面から行っては目を引きやすい。遠回りになるが、この入り組んだ地形を利用しつつ大回りして裏手に行ってみよう。


 方向感覚だけを失わないように気を配りながら、人目を避けてひたすら裏道を進んでいたロナルドの目に不審な人物が目にとまる。


「あれは……」


 あわてて物陰に隠れてその人物を注視すると、その人物もまた物陰を移動しつつ身を隠し、注意深く辺りを探るように視線を動かしているではないか。


 身なりは浮浪者のそれであるが、その隙のない動きは浮浪者のものではない。


 まるで訓練された警備兵のような……


「動くな」


 耳元で刺すように響いた声にロナルドは目を見開く。ごくりと鳴った喉元にはナイフが当てられ、その刃先がいまにも皮膚を切り裂きそうなほどの距離で固定されていた。

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