オードブルの霊、メインの肉、デザートの私

鈴元

相生初の食事風景

 人間、生きていれば飯を食べる。

 当然私や諸君らも例外ではないだろう。

 しかし私は食事をせずとも生きていける人間を知っているし、人間とは違う食事を行う人物も知っている。

 それによって何が変わるということはない。

 いわゆる海外の食事風景を見るのとそう変わらない。

 私はそのような食事をしないが、彼女はそのような食事をする。

 良いも悪いもなく、ただただ事実として存在し続けること。

 今日は少しばかりそんな話をしよう。

 私たちの知らない食事というのを。


「次、ここー?」

「そうですね」

 街灯に照らされている手帳を見ながらそう告げる。

 来たのはとあるマンションの前。

 体に合わない大きさのジャージを着た女性、相生初あいおいういが私の隣に立ってる。

「心霊スポット周りって楽じゃないねー過書に車だしてもらったら良かったー」

過書かしょさん、出してくれますかね?」

「いけると思うけど?」

 件の人物の顔が浮かぶ。

 まぁ、頼めばそうしてくれるだろうけれど、それを考えていながらも二人とも頼んでいないあたり思うところはあるのだろう。

 その内情については彼の名誉のためにも伏せることとする。

「あ、いた」

「……マンションの十階?」

「飛び降りした人のー霊だって言うしね」

 闇夜に浮かぶものがある。

 首があらぬ方向に曲がってしまった男性の姿が見えている。

 この世のものでは無い、霊やら妖の類だ。

 私たちは彼を目的としてここにやってきたのだ。

 肝試しをしに来たのではない。

 これは、食事のためだ。

「じゃ、いただいてきまーす」

 相生さんは体から糸を生み出すことが出来る。

 それは彼女が妖である土蜘蛛の血を……正確に言うならば土蜘蛛をベースに人間の血の混ざった存在だからだ。

 マンションの外壁にへばりついてよじ登っていく姿は本当に蜘蛛のようだ。

「お」

 壁に引っ付いた相生さんの手から糸が伸び、浮かぶ霊の体を捉えた。

 瞬く間に霊は糸で簀巻きにされてしまった。

 こういう時に思うのは霊というのは浮いているのかあの場所に固定されているのかどちらなのかという話だ。

 地縛霊の類はある程度その場に留まるが浮遊霊ならどうか。

 その分類分けはどこで決まるのか。

 ダーウィンやファーブル先生たちもこのようなことを考えていたのだろうか。

 などと思っているうちに中に出来上がった糸の塊に相生さんが飛び乗り、頭から糸の中に突っ込んでいく。

 彼女は霊を食べる。

 人間よりも妖の部分の多い彼女は人間の食事だけでは生きてはいけないらしい。

 もちろん、人の食べるものは食べる(それも大量に)けれどそれとこれとは違うらしい。

 栄養素の違いなのだろうか。

 なので彼女は時々こうして心霊スポットなどを回って霊を食べる。

 あの糸の塊の中で何が起きてるのか私は知っている。

 豆腐でも食べるかのように人の形をしたものを食べるのだ。

 それを怖いとは思わない。

 ただ、少々衝撃的な光景だったのは覚えている。

 霊は人間だったもので人間でない。

 姿そのものが人間でも、人間としては扱えないし扱ってはいけない。

 魅入られれば取り憑かれる。

 地縛霊が縛られる先が己になるなど求めるべきでは無い。

 だからこれは踊り食いと同じようなものとして処理している。

 案外、人に近い形をしているこの霊という存在こそ一番気後れするかもしれない。

 明らかに異形の存在である妖とは違うのたがら。

「……ん」

 ポケットの中で振動。

 連絡が来ている。

 画面に映る名前は『雁金空也かりがねくうや

「もしもし」

「おぉい、少年。どぉして部屋にぃ来てくれないんだよぉ」

 妙に間延びしたような酔った声。

 彼女はいつだってそうだ。

 今日も存分に飲んでいるのだろう。

 彼女は私を少年と呼ぶ。

 それにはそれなりの事情があったりなかったりするが割愛する。

「早く来てよぉ寂しいだろぉ」

「よく言うよ」

 甘えたようなことを言うが普段は私が手のひらの上で転がされている。

 これだって私を誘い出そうと語りかけているだけなのだ。

 ……悪い気はしない。

 いつも振り回されているし、ふらっと現れたりふらっと消えたりする人だし。

 なにより、私の恋人であるし。

 彼女は酒臭いが美人だ。

 スタイルもいい、愛嬌もある。

 しかし空也の真に好ましいの点はその精神性だ。

 優しく、しなやかで強い。

 鷹揚としてして……細かいところを気にしなさすぎて私の頭が痛くなることもあるが、ともかくあれはあれで細かいところを見ている人であるし。

 聖人ではないが悪人でもない。

 なにはともあれ、『いい人』だ。

 ……少々超越的だが。

 保存という霊能力を持つ以上、それも仕方ないが。

「誰から?」

 糸に支えられて空中から相生さんが降りてくる。

「空也です」

「……やばいなー怒られるかなー」

「まさか……代わりましょうか?」

「お願い」

 端末を受け渡すと、糸に引っ張られるようにするすると彼女の体が昇っていく。

 まるで掃除機のコードのようだが本人に言うと怒られるだろうか。

 しばらく見ているとまた彼女が降りてきて通話の終わった端末が私の手に戻る。

「帰ろ」

「空也は何か言ってました?」

「何も言わないはずはないけどー……んー……ま、いいや。さっさと帰ろう幸せ者」

 含みのあるような言い方に首を傾げつつ、手を差し出す。

 この時間はもう電車もない。

 私はタクシーで帰るほどの金銭を持ち合わせていない。

「はーい。飛びまーす」

 私の手首に糸が巻き付けられ、それをしっかりと掴む。

 強度と弾性。

 相生初の糸の性質は変幻自在だ。

 ぐっと引っ張られ、体が浮いていく。

 糸を使った移動。

 建物から建物へ飛び移る。

 実に爽快だが少々揺らされて気持ちが悪くなる。

 一時間は無理だろう……三十分も少々厳しい。

 夜の街は静かで、所々騒がしい。

 生身でいるはずなのに車窓越しに世界を見ているようだ。

 それくらいに早く、景色が変わっていく。

「はーしんど」

 口ではそう言うものの、相生さんの横顔はなんだか楽しそうで。

 脱力したような性質のため分かりにくが、最近は比較的分かるようになってきた。

 人のような妖、相生初は人の世界に思うところはありつつも、彼女のあり方は人間の女性だ。

 美味しいものが好きで、その嗜好が一般的でないものも含むだけで。

 霊を食べるなど、ゲテモノ食いの範囲に収まるものだろう。

 私は、そう思う。

「はい着いたー」

「お疲れ様でした……」

「おつかれ、おつかれー。じゃ」

 私に軽く手を振って再び彼女が宙を舞う。

 なんとか空也の住んでいるマンションの前に着いた。

 電話がかかってきてからそう時間は経っていないはずだ。

 早めに帰ってこられた。

「だーれだぁ」

「うお……」

 後ろから抱きつかれた。

 目が手で隠される。

 ……ここまで答えがわかりきった問題があっていいのだろうか。

 大学の課題もこれくらい簡単なら助かるのだが。

「空也」

「おかえりなさい、咲良さくらくん」

「……ただいま」

 酒臭い匂いと柔らかな感触。

 間違いなく雁金空也だ。

「……自分で歩ける」

「どぉだろうねぇ……またフラフラしてたら困るしぃ」

「今日のことは言ってあった!」

「ふふふ」

 ずりずりと引きずられながら私はマンションの中に足を運んだ。


「……空也、空き缶は片付けて」

「ちょっとぉ、今手が離せないなぁ」

「……ゴミ袋!」

 机の上やら床に並べられた缶をゴミ袋に放り込む。

 相変わらず酒屋の仕入れかと見間違うほどの量である。

 これを一人で飲みきっているのだから恐ろしい。

 私は下戸だ。

 雁金空也は先程少々触れたように保存という霊能力を持っている。

 その効果を受ければ豆腐はダイヤモンドよりも砕けない。

 あらゆるものの影響を受けず、ただそこに存在し続ける。

 ……私含め、霊能力を身に持つものはその反動を受ける。

 彼女は無意識のうちに保存されていた。

 老いすら置いていった。

 髪は伸びも抜けもせず、足りない栄養素は勝手に補充され、取りすぎたものは無に帰る。

 常に同じ状態。

 常に同じ人間。

 姿も心も不変。

 大人の体のまま保存されているからいいものの、もしも彼女が幼児の姿で保存されていたらと思うとぞっとする。

 彼女がこれだけ酒を飲むのは、保存を行う機能がアルコール分解を常人の何倍も早く行うからだ。

 飲み続けなければすぐに酔いが覚めてしまう。

 酔った感覚を味わうために部屋を缶や瓶で埋めるのだ。

 究極的には食事も睡眠も必要ない存在。

 人のような妖の相生初、妖のような人の雁金空也。

 私の大学の先輩にしてサークルの先輩でもある。

 それぞれ、違う領域での超越者であった。

「どれぐらい食べるぅ?」

「空也の作ったのならいくらでも」

 そんな彼女が台所に立っている。

 作れるものは酒の肴になるものばかりの彼女だが得意料理というのがある。

 ハンバーグだ。

 そしてそれは私の好物でもあった。

 ……好きな物を聞かれて、答えた次の日には作れるようになっていた。

「五百グラムぐらいあるからね」

「……そんなに買ったの?」

「たくさん食べて」

 食べるとも。

 ただ、限界というのがあることも考えて欲しい。

 ……食べ切れるだろうが。

 それに空也の顔を見ては食べられないなど言えるはずもないだろう。

「さぁ、どんどん」

 皿の上に大量にハンバーグが盛られている。

 まだ次があるらしく慌ただしく彼女が戻っていく。

「……いただきます」

 出来れば空也にもいて欲しいのだが。

 焼く仕事がある以上、我慢がいる。

 山の一番上のものにフォークを刺す。

 弾力があるが硬くはない。

 ゆっくりと切り分けて口に運べば甘めのソースの味わいとしっかりとした肉の感触が広がっていく。

 やはり、美味しい。

「はい、次ぃ」

 また皿に更に盛られる。

 ……なかなかの量だ。

「空也」

「なに?」

「美味しい」

「……よかった」

 笑う。

 お互いに顔を突き合わせて。

「まだまだあるからねぇ、満足するまで作る」

 ……やはり断れない。


「ご馳走様でした……」

 いくら好物とはいえたらふく食べればしばらくいいかという気持ちになる。

 机に突っ伏しそうになってる私を見て空也は微笑んでいた。

 ……疲れた。

 心身ともに満たされているが。

「お粗末さまでした」

 瓶入りの酒を飲みながらそんなことを言っている空也を見る。

 いつもと変わらない。

 本当にいつ見ても同じ人間だ。

 なのに、日によって綺麗に見えたり可愛く見えるのはなせだろうか。

 ひいき目か。

 いや、事実だ。

「んふふ」

 唇に柔らかな感触。

 酒臭い。

 いい匂いに混じるエチルアルコールの成分。

「空也」

「私はメインいらないからぁデザートぉを頂こうかなぁ」

 捕食者め。

 断れないのを知っていてそんなことを言う。

 肩を掴まれる。

 匂いが強くなる。

 空也の目を見ている。

「飲む?」

「今日は気分じゃない」

「えぇー」

「酒がなくても酔える」

 床が硬い。

 そのうえにちょっと冷たい。

 やさしい力で撫でられて目を細めた。

 上は洪水、下は大火事。

 そんな気がしてる。

 暖かい感覚と緩やかな優しさ。

 まな板の鯉のように動かずにただ与えられるものを受け止める。

「少年、大きくなったねぇ」

 反応に困る。

 なんの話をしているんだ。

 昔の話をしているのだと思いたいが?

「じゃあ、いただこうかな」

「……言い方を考えろ」

「はっはっは!」

「……酔っ払い」

「でも好きなんでしょ」

 ……否定できない。

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