3
「最っ悪! 信じられない!」
ヒイロは怒りに任せるまま、石畳の道を突き進んでいた。
「なにあれ! いきなり首突っ込んできたと思ったらそのまま追っ払っちゃうなんて! ありえないんですけど!?」
どこにも行く当てなどない。
ただ怒りの元凶から離れるため、遠く遠くへと足を延ばしていた。
「確かに世の中良い人ばっかじゃないかも知れないよ。知れないけどさ!」
世界が善良な意思で満ちているわけでないことくらい、ヒイロだって分かっている。
孤児院にも色んな子がいた。
善悪は表裏一体であるということだって、その身でもって知っていた。
「それにしたって普通わざわざ邪魔しに来るとか思わないじゃん! うがーっ!」
口に出しても冷めやらぬ怒りに、ついには吠え出して地団駄を踏みだす。
背負ったバックパックはぶおんぶおんと揺られていた。
「はーっ、はーっ」
そうしてバックパックを振り回していると、当然のことながらスタミナが切れる。
荒い息をつきながら、ヒイロは地面に座り込み、そして苦々しく呟く。
「お父さんの守った街なのに、こんな……」
九年前、ヒイロの父親は【大侵蝕】にて命を落とした。
最後の最後まで、騎士としての務めを果たしたという。
ただ、それも伝え聞いただけの話。
ヒイロの中に父と過ごした幸せな記憶はない。
それどころか家族に関する記憶、その一切が存在していない。
なぜなら――真っ白なその身体と同様、記憶も漂白されてしまったからだ。
気づいた時には、孤児院でおばあさんとおじいさん、それと弟妹たちに囲まれて暮らしていた。
何も知らない無垢な少女のまますくすくと育ってきたヒイロだが、十二歳のある日、決定的な出来事が起きた。
『あの、大丈夫ですか?』
山菜を採りに行った帰り、ヒイロは道を間違えた冒険者と出くわした。
ふらふらと覚束ない足取りで、明らかに尋常でない様子だから声をかけた。
すると、ヒイロの姿を見た冒険者は血相を変えた。
『ひっ⁉︎ よ、寄るな化け物!』
『ばけもの……? わ、わたしが?』
たじろぐヒイロに、冒険者は口の端から唾を飛ばして吠える。
『お前のように白い女がいるものか! 魔獣が人に化けて俺を食おうとしているんだろう⁉︎ 正体をあらわせ!』
『……っ!』
『ま、待て! 逃げるな!』
後で分かったことだが冒険者は魔桜の下を歩き、かなり錯乱している状態だったという。正常な思考を持っていれば、訝しむことはあれど化け物などと言うことはなかっただろう。
それでも、ヒイロの常識、価値観はその時確かに壊された。
孤児院に戻ったヒイロは帰宅の挨拶もせず、おばあさんの元へ走った。
『教えてください、どうしてわたしはこうなんですか? なんで何もないんですか!?』
編み物をしていたおばあさんは小さくため息をつき、額に手をついた。
『成人するまでは言わないつもりだったんだけどねぇ』
そうして語られたのが――
ヒイロが死にかけた際、父親は死に行くヒイロを何らかの方法で救い、その際に命を落としたということだった。
ヒイロを預けに来た母親はそのことを伝えて姿を消したという。
『あんたの父親は自分の命と引き換えにあんたの命を繋いだのさ。……手前の命だけじゃあ少々足りなかったみたいだけどね』
ヒイロの透けるような髪と肌を眺めながら、おばあさんはそう締めくくった。
『そう、だったんですか……。わたしは、お父さんに』
『アンタを預けに来た母親がそう言ってたのさ。けど、その話を鵜呑みにするならアンタの父親は死者蘇生とそう変わらないことをしてる。そんなバカげた魔法、ババアは見たことも聞いたこともないよ。そんな見た目に生まれたアンタを押し付けに来たって言われた方がまだ信じられたね』
『………………』
おばあさんの身も蓋もない物言いにヒイロが俯くと、おばあさんはハッと鼻で笑った。
『ただの疑り深いババアの世迷言さね。アンタの父親は確かにアンタを救ったさ。それは変わりない事実さね。アンタの母親の目を見て、そう確信したさ』
ヒイロが騎士を目指すことになるのは、半ば必然であったろう。
(そうだよ、頑張らなきゃ。こんなところでへこたれてる場合じゃない、どうにかして王都に行く方法を見つけないと!)
自らのルーツと行動理由を思い出したヒイロは瞳に光を宿して立ち上がる。
「あれ?」
そして寂れた路地の只中に一人、ぽつねんと立っていることに気づいた。
「どこ……ここ。誰もいないし……」
それも当然。
この辺りは九年前の〈大侵蝕〉で大きな被害を受けて放棄された区画だった。
元は
「も、戻らなきゃ……」
ヒイロが慌てて来た道を戻ろうとすると、見計らったようにふたつの人影が現れた。
「また会ったなぁ、嬢ちゃん」
「偶然だねえ」
ギルドで声をかけてきた二人組の冒険者だった。
「偶然って……」
そんなはずはない。
ヒイロがここに来てしまったこと自体が偶然であるというのに、彼らがここにいることまで偶然のはずがない。
『王都に行く方法は確かにある。けどあいつらは君の身を狙っていて――』
『無法者だらけで嫌になることばっかりだ』
思い出すのは小生意気な顔をした青年と、名も知らぬお姉さんの言葉。
(もしかして、本当だったの?)
あの言葉が急速に現実味を帯びてヒイロの脳内を支配する。
背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、ヒイロはなんとか言葉を絞り出す。
「あなた方はどうしてここにいるんですか?」
「いやなに、こっちに来るお嬢ちゃんの姿が見えてね。この辺、誰も来ない場所だもんで心配になって追いかけてきたのさ」
「それに君かわいいし珍しい
「っ!」
最後まで聞かぬまま、ヒイロは駆け出した。
(信じられない、あの人の言ってたことが正しかったなんてっ!)
だが、体力が切れた状態でいきなり重い荷物を持ったまま走り出そうとすれば、当然ながら姿勢を崩す。
結果。
「どべっ! ぐえっ!」
ヒイロは派手にすっ転び、上から降ってきたバックパックに追い打ちをかけられた。
「おいおい大丈夫かよ!」
「怪我はねえか?」
「いやっ、来ないでぇっ!」
駆け寄ってくる二人を前に、ヒイロは神にすがるように叫ぶ。
「…………」
「…………」
すると、二人はピタリと立ち止まった。それどころか、
「に、ににに逃げろぉっ!?」
回れ右をしてあっという間にいなくなってしまった。
「………………ふぇ?」
まさか祈りが通じたのかと本気で神の存在を信じかけたヒイロだが、流石にそうじゃないと首を振る。
先ほどの二人はヒイロではなく、ある一点を見つめていた。
具体的にはヒイロの後ろ。
いったい何があるのかと、ヒイロは背後へと振り返る。
「なん――」
そこあったのは、黒く、黒く、全てを呑み込む虚無の泥。
「え、あ」
ヒイロの思考が空白に染まる。
◇
その時、僕はギルドの真上――五十メートルほど上空にいた。
浮かせた杖の上で腕を組んで仁王立ち、寝不足か不機嫌か、はたまたその両方かというような目つきで街を見下ろしていた。
実際はそのどちらでもないのだけれど、これにはワケがある。
何せ、探しても探してもさっきの子が見つからないのだ。
中心街の人の多さでは〈風〉による声の判別もつかないから、歩いて探すしかない。
そうしてギルドの周りを三周もしてみたけれど、影ひとつ見当たらなかった。
あんなに目立つ容姿をしているのだから見逃すはずはない。
それなら遠くに行ったのではと推測して、上空から遠くの声を聞くことにしたのだ。
「あんなバカでかい荷物持ってどこまで行きやがった……」
思わずぼやきながら、まだらに雪の残る山脈と抜けるような青空を背景に、レンガ屋根の街並みを見下ろす。
目視できる可能性も捨てきれないため目を光らせつつ、耳元にも神経を尖らせて〈風〉の届ける音を判別し続ける。
いくら春とはいえこの高さだとさすがに空気が肌寒い、なんてことを思ったその時。
「きゃあああああああああああああっ!!?」
「!?」
〈風〉に頼らずとも、叫び声が耳に届く。
方角、声の大きさから概算すると叫び声の上がった場所は――そこか!
「魔力充填・
杖の頭にある〈
瞬間、景色がブッとび、音すら消え去り、全てが研ぎ澄まされていくあの感覚が訪れる。
条件反射で笑みが浮かぶ。
足元の杖を掴み取り、上体を思いきり反らす。
それはさながら、槍を投げ下ろすような姿勢だ。
今まさに少女を呑み込まんとする黒い泥に狙いを定め――
俺は、魔法行使の呪文を叫ぶ。
「ブッ飛ばせ! 《風光》(オーバーレイ)ッ‼︎」
◇
無形の鉄槌が飛来した。
その瞬間のヒイロにはそうとしか形容できなかった。
「わびゃあああああああああああああ!?」
背後から超巨大なハンマーで押されたような圧力を感じながら、ヒイロは為す術もなくバックパックと一緒に転がされる。
「何が起こってるのおおおぉっ!!?」
目も開けられず、ぎゅっと縮こまって嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
だが、数秒ほどすると風は嘘のように収まった。
「お、おわった?」
目を瞬かせつつ顔をあげると、目前に手が差し出される。
「立てるか」
「……な」
そこにいたのは他でもない、ギルドでヒイロの邪魔をしてきたあの青年だった。
呆気にとられながら、ヒイロは改めて青年の姿を見る。
ボロボロの
足は膝下ほどまで丈のあるレザーブーツを履いているが、
「なななな、な」
尻餅をついた状態でズザザザと後ずさるヒイロ。それを見た青年は「それだけ動ければ問題なさそうだな」と微笑した。
ヒイロは困惑の声を上げる。
「なんであなたがここに! さてはまたわたしの邪魔をしに来たんですか⁉︎」
「邪魔って君、まさか死のうとしてたのか? あれに呑まれて死ぬくらいなら
「してないですっ! 真っ黒いのが目の前に来てちょっと動けなかっただけ――って、そうだ! あの黒いのは!?」
「黒いの……〈黒い
「ぼるぼろす? ってことはあれが……それに取り除いたって、もしかしてさっきのはあなたが?」
「そうだよ。ほら」
「ほらって――え?」
青年があごで指し示した先を見たヒイロは目を疑った。
「何もないんですけど」
ヒイロの後ろ、黒い泥があったはずの場所には何もなかった。
民家や雑草の生い茂っていた空き地も――何もかも。
地面は巨大な蛇が通り抜けたように抉られて、破壊の限りが尽くされている。
「そりゃ〈黒い侵蝕〉に対処するならこれくらいやらないと」
「い、いくらなんでもやりすぎでは……」
遠くに見える屋根だった物の残骸を目にしたとき、ふと一つの仮定にたどり着く。
(この人の機嫌を損ねたら自分もあの屋根みたいにバラバラにされるんじゃ……?)
スッと頭が冷えたヒイロは穏便に、かつ可及的速やかにこの場を離れることにした。
「助けてくださってありがとうございました。ギルドでのことももう怒ってませんしこのご恩は忘れません。それでは!」
「ちょっと待てや」
「グェェッ」
後ろ襟を掴まれ、
「おごっふぇっ……なにするんですか!」
「なにするんだはこっちのセリフだよ。そんなに急いでどうするんだ。どこか行く当てでもあるのか?」
「別に……わたしがどこへ行こうと勝手じゃないですか」
「うん、僕も勝手だと思う。で、どこに行くつもり?」
「はい?」
意味がわからないという顔をするヒイロに、青年は真面目な表情で淡々と語る。
「行くべき場所、行きたい場所があるなら行けばいい。ただ、王都に入れない君がどこへ行くのか僕には見当もつかない」
「! なんでそれを知ってるんですか」
ギルド内の喧騒では普通の声量ですら聞き取りにくい。
だというのに、目の前の青年はヒイロの事情を知っている。
いったいどうしてと首をかしげるヒイロに、青年は己の耳を指差しながら答える。
「昔から耳が良いんだ。それでなくても君の叫び声は大きかったからね」
「叫び……」
その発言でヒイロはギルドでの一幕を思い出し、再び赤面する。
恥ずかしさで涙目になりながらも、なんとか言葉を返す。
「〜〜〜〜っ! 邪魔して来たのもそれが理由ですかっ」
「邪魔……だからあれは違うんだって。悪い大人に引っかかりそうな子どもがいたから助けただけで、」
「誰が子どもですか! 今年で十八になる十七歳です成人間近ですっ!」
「成人してないなら子どもだろ……」
「むっかっ……! あなただって見た感じ似たようなものじゃないですか! どうせ十八か十九そこらでしょう!?」
「二十一だよ」
一瞬、二人の間に沈黙が降りた。
「その……童顔なんですね」
「どつきまわすぞおい」
「や、やめっ! あはははは! 杖でお腹を突くのはやめてください! わたしが悪かったでぇっあははは! 童顔なんて言ってごめんなさいぃっ!」
「ん、分かれば良し。……で、最初の問いに戻ろう。行く当てはあるのか?」
「ない、ですけど」
無理やり笑わされたヒイロは肩で息をつきながら苦々しく答える。「……でも、」認めてしまったのが悔しくて、グッと拳を握りしめた。
「行く当てがないからって立ち止まっても何にもならないじゃないですか」
「……そもそもどうして王都に? あんな場所、間違ってもただの子どもが行く場所じゃないぞ」
「騎士の入隊試験を受けたかったんですっ。子どもっぽくて悪かったですね!」
「子どもっぽいじゃなくて子どもだけど……なるほど、そういうことだったのか」
なるほどなるほど、と青年は腕組みをして何度も頷く。
「なんですか、女なんかに騎士はなれっこないとでも言うつもりですか。言っておきますけど、そんなの聞き飽きてますからねっ」
予想した言葉に先んじて反応したヒイロだが、青年は微笑みながら首を振る。
「言わない、というか言えないよそんなこと。現聖騎士のトップは女性だ」
「そうなんですか!?」
「ああ。それに、僕は人の夢にケチつけるような人間にだけはならないって決めてるんだ」
「へー」
青年が決め顔でそんなことを言うが、ヒイロとしては毛ほどの興味もない。
「……まあいいや。君、名前は?」
「言いたくありません。人に名前を訊ねる時はまず自分からって教わらなかったんですか」
そっぽを向くヒイロに青年が唸る。
「このガキ……。僕の名前はヴィルだ。で、君の名前は、」
「言いたくありません。なんであなたに教えなきゃいけないんですか」
「クソ生意気なガキだな!? えーと……そうだ、僕は王都に行ける方法を知ってる。名前を教えてくれたらその方法を言おう」
「……………本当ですか?」
数秒の沈黙の末、ヒイロが真偽を問うとヴィルは神妙に頷いた。
「天地神明に誓って本当だ。嘘をついたら桜の木の下に埋めてもらって構わない」
「ホントに埋めますからね? 文句言わないでくださいよ?」
「……ああ」
やや間があって首肯したヴィルに、ヒイロは訝る視線を向けながらも名を名乗る。
「ヒイロです。わたしの名前はヒイロ。訳あってファミリーネームはありませんが、それについてまで答えるつもりはありません」
「ひいろ……ひいろ……ヒイロ?」
「あの、そんなに呼ばれると恥ずかしいんです……」
口のなかで名を転がし続けるヴィルに、ヒイロが身悶えしながら堪らず声をかける。
「
突然、ヴィルが両肩を掴んできた。
顔が近い。
日を透かした葉のように鮮やかな瞳が間近にあった。
年の近い異性にこんな近距離まで迫られたことのないヒイロの顔が一瞬で赤く染まる。
(近い近い近い!)
とっさに離れようとするが、肩をガッチリと掴まれては動けない。
「ヒイロ」
「はっ、はい!」
しかもそのまま話し出した。吐息も届く距離だ。
「君が王都に行ける方法がひとつだけある」
「はい! …………えっ、えぇぇっ!?」
サラリと出された言葉にヒイロは耳を疑った。
突然の大声に顔を顰めながらも、ヴィルはその方法を告げる。
「僕の弟子になれ」
「……………………………………………はい?」
ヒイロがこの言葉の意味を理解するまで。
つまり、ヴィルの説明した事情を飲み込むまではしばらく時間がかかった。
また、ヒイロが事情を理解してから納得するまではさらに時間がかかるのだが――
それはこれから語られる。
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