第24話 痴漢ですか?

「敗者は何も語るつもりはない」


 ドクター中森は顔をそらして、それだけを独白していた。

 しかし何か思うところがあるのか、すぐにまた言葉を続ける。


「だがあえて言うならば、妻が言っている事は間違っている。悪は妻や娘を実験体にしようとした私であって、妻には非はない。もっともあのおかしな宗教から離れてくれるのであれば、それに越した事は無いがね」


 顔を背けたまま告げたドクター中森に、優羽の母が再び涙をこぼす。


「あなた……ごめんなさい……ごめんなさい……」


「何を謝ることがある。私が悪いと言っているのだ。お前のすべき事は私をなじる事であって、謝罪など必要はない」


 ドクター中森は顔を背けたままではあったが、その目頭に涙が浮かんでいるのは隠せていなかった。


「……今のお父さんは、昔のお父さんが戻ってきている。そう思えます」


 優羽がぽつりと呟く。


「お父さん、お母さん。私からのお願い。もういちど家族みんなでやり直してほしい。今のお父さんとお母さんならやり直せる。財産はみんななくなってしまったかもしれないけど、二人がいてくれたら私それだけでいいよ」


『優羽……』


 二人の声が重なる。

 一人はつぼの中に入ったままではあり、シュールな姿ではあった。しかし家族の心はつながっているようにも思えた。


「この家族はなんとかやりなおしがききそうだな」


 誠は少し遠巻きにして優羽とその家族達を見つめていた。


 最初は優羽の記憶探し、幽霊の正体探しだったはずなのに、全く予想していない方向に話しは進んでいった。


 実際かなり危険な事もあり、どうして赤の他人である優羽のためにそこまでしたのだろうかと不意に頭をよぎる。


 最初はただ部屋にいたからに過ぎなかった。とりつかれてしまったから仕方なく力を貸してあげていただけだ。


 ただ優羽とふれ合ううちに、少しずつ彼女の優しさも知っていた。

 一緒に過ごしているうちに一緒にいる事が当たり前のようになっていた。


 だけど考えてみるとそれほど長い間という訳でも無い。ほんの一週間程度の事件だった。実際まだ休みも終わっていない。


 しかしその一週間の間が、とても濃い時間を過ごしていた。


「まさかマッドサイエンティストと戦う事になるとはなぁ……」


 口の中で声には出さずに呟く。

 当たり前のようにとらえていたが、あまりといえばあまりの展開だった。この事件がなければ美朱が術を使えるなんて事も知らなかっただろう。


「……まぁいい経験だった……かな」


 無理矢理自分の心を納得させると、辺りを見回してみる。


「佐由理さん。あの様子をみる限り、優羽達はたぶんもう大丈夫じゃないか。霊体発生装置も壊れて実験も出来なくなった。危険はもうない、と思うのだけど」


「そうだな。私が知る限り、霊体発生装置はそれなりに高額な装置だ。予備はもうないはずだし、簡単に新しいものを作るという訳にもいかないだろう」


 佐由理は淡々と答える。

 それからその言葉に継ぐようにして、美朱が口を開く。


「ま、それに何かあったら叔父さんがすぐに感知できると思う。いちおう叔父さん経由でしばらくは監視してもらう事になると思うけど」


「うむ。もうすでに連絡はついておる。この戦いには間に合わなかったが、こういった事態に備えた手練れを数人派遣してもらう事になっておるでな。もう近くまできておるはずじゃ。そしてドクター中森から事情を聴取して、くだんの団体を破棄する事になるじゃろう」


 錯乱坊主は合掌してなにやら祈りを向けていた。何に対する祈りかはわからなかったが。


「なら、俺たちはそろそろ行こうか。家族水入らずの時間を過ごさせてやりたい」


 誠の言葉に皆もうなずく。ドクター中森は縛られているため、どちらにしてもすぐ何を出来るという訳でもない。


 もともと誠は何が出来るという訳でも無い。ただいつの間にか優羽のために力を貸していただけだ。後始末は錯乱坊主の呼んだという手練れとやらに任せても問題ないだろう。


 誠達は静かにこの場を後にする。

 ただ優羽達家族がもういちどやり直せる事を祈って。






 あれから一週間ほどが過ぎた。今までの事が何も無かったかのように、平穏な時間を過ごしていた。


 変わった事といえば、ときどき美朱が連絡をとってくるようになったくらいで、大きくは何も変わらない。


 学校も始まり、毎日それなりに忙しい日々を過ごしていた。

 今日も学校が終わり、一人暮らしの部屋に戻ってきたところだ。


 部屋の鍵を開けて、そして扉を開ける。

 部屋の真ん中に少女がたたずんでいた。


 腰までのびた長い黒髪が、真っ白なワンピースを引き立てている。くりんとした大きな瞳に、整った鼻先。艶やかな紅い唇は、微かな笑みを覗かせている。


 すらりと伸びた細い足。右手には銀色の、左手には金色のブレスレットを身につけており、よりいっそう彼女の可憐さを引き立てている。


 どこか全体的に儚げな色彩を帯びて、触れれば消えてなくなりそうにも思えた。物憂げな瞳は、少女の柔らかな顔立ちをよりいっそうに引き立てている。まるでこの世の物ではないかのように。


 透き通るような白い肌は、どこか儚げで触れれば消えてしまうかのようだ。

 確かに見覚えがある少女は、誠が部屋の中に入るや否や大きな声で告げる。


「ち、痴漢ですかっ」


 どこかで聴いた唐突な少女の台詞に、思わず誠は咳き込んでいた。


「ぶはっ。げほっげほっ」


「あ。だ、大丈夫ですか。でもほら、痴漢とかしようとするから、そういう目にあうんですよっ。悪い事したらいけませんっ」


 少女はやや眉をつりあげて告げると、指先を一本たてて左右に振るう。


「だ、誰が痴漢だよっ。誰が」


 誠は何とか息を整えながら、目の前の少女に向かって声を荒げる。しかし少女は誠の言う事がわからないとばかりに眉を寄せると、上げていた手を降ろして、その腕を組みなおす。


「え、違うんですか。突然部屋の中に入ってくるからてっきり。えーっと、じゃあ」


 少女はしばらく首を傾けながら考え出すと、それからすぐにまた指を立てて誠へと向ける。


「私を助けてくれた、王子様ですか?」


 口元に笑みを浮かべながら、にやにやとした目元を覗かしている。


「いや、王子様なんかじゃねぇよ」


 溜息まじりに答える。心底呆れた声だった。


「ふふ。変わりませんね、誠さん」

「……お前もな。優羽」


 目の前で笑う少女、優羽は誠を部屋の中に待ち構えていた。

 だけど彼女はもう部屋の中で浮かんではいない。ごく普通の少女だ。当然霊体ではないので壁を抜けたりもできないはずた。


「どうやって部屋に入ったんだよ。鍵かかっていただろ」


 疑問を口にすると優羽はまってましたとばかりに口を挟む。


「錯乱坊主さんに協力してもらって、神仏の加護でちょちょっとですね」

「それピッキングによる不法侵入だろっ」

「まぁそうとも言います」

「そうとしかいわねぇよ!」


 思わずつっこみの声を上げる。それからふと思い当たって優羽へとたずねる。


「さっきの台詞は俺と優羽が出会った時の」

「はい。そうですね。誠さん。私と誠さんが出会った、あの時の台詞です」

「思い出したのか?」

「思い出したというか……」


 優羽は少しだけ顔を赤らめながら、俯いて告げる。


「実のところ忘れてなかったんですよね。てへ」

「おいっ!?」


 舌を出しながら告げる優羽に、誠は思わずつっこみを入れてしまう。


「正確にいうと起き上がってすぐは記憶が混乱していて、わかっていませんでした。なので最初は忘れていたのと同じだったと思います。でもあの後、私の家にいく途中でだんだんと少しずつ思い出してきたんですよね。それでどうしたものかなぁと思っていたんですけど、言い出すタイミングがなくてですね。まぁ、私の趣味的にもちょっと面白いかなと思いましてっ」


「……そういや、こいつ人をからかうのが趣味の悪魔のような女だったよ」


「わー。誠さん、ひどい事いいますね。それでも私の王子様ですか?」

「王子じゃねぇっつってんだろ。おい」


 誠は照れくさくなって顔を背ける。王子等と言われると背中がむずがゆくなる。


「そうですね。王子様じゃないですよね。だって」


 言いながら優羽は誠の胸元へと寄り添う。


「だって誠さんは、私の旦那様ですから」

「ちょ……おま……ま、まだ夫婦じゃねぇよ!?」


 慌てて優羽の言葉を否定する。

 それと同時に優羽はにやりと口元をゆがませて、誠へと顔を見上げる。


「まだ……なんですね?」

「え、いや」


 言いよどむ誠に優羽はにやりと笑う。


「言質とりましたよ。これで私と誠さんは、婚約者ですねっ」

「お、おい勝手に決めるな」


「だって決めましたもん。それとも、誠さんは私じゃ嫌ですか? 私じゃものたりませんか? まぁ確かに胸とかあんまりないですけど。はっ、さては巨乳愛好家ですか。巨乳お姉さんに赤ちゃんみたいにバブバブして甘やかされたいんですか? うわぁ、マニアックですねっ」


 あきらかにからかい半分で告げる優羽に誠はため息を漏らす。このまま言わせておけば、ずっと優羽にペースを握られたままなのは間違いないだろう。


「違うわっ。俺の好みはな、明るくて朗らかで、ちょっと天然入ってて、けど一生懸命で。誰よりも家族想いな長い黒髪の細身の女の子だよ」


「ずいぶん具体的でピンポイントな好みですね」


 優羽は少し渋い顔をする。何やら答えが気にくわなかったのだろうか。

 それでも誠は胸元にいる優羽をじっと見つめて、大きく息を吐き出したあと、はっきりと告げる。


「つまり、お前の事だよ。優羽。どうやら俺はお前の事を好きになってしまったみたいだ。夫婦とかはまだ早いけど、お前さえ良かったら俺とつきあってくれ」


「え。えええええええええっ!? えええええええ!? ええー!?」


 誠の精一杯の告白に優羽がすっとんきょうな声を上げる。あまりの驚きように、優羽の端正な顔立ちが少し崩れてしまっている。


「ちょ……おま。そこまで驚かなくてもいいだろ」


「だって、驚きますよ。そりゃあ。だって誠さん、そんなそぶり全く見せなかったじゃないですか。いつも告げるのは私の方で、誠さんは否定してばっかりで。あの時だって私まだ誠さんにお礼もいっていなかったのに、誠さんいつの間にかいなくなっちゃってるし。もしかしたら本当は嫌われているのかもって思ってましたよっ。なんですかいったいっ。私の気持ちはどうしたらいいんですかっ。もうもうもうもうもうっ」


 優羽は誠の胸元をぽかぽかと殴りつけながら、声を張り上げていた。

 でも次第に叩きつける力が弱く、ゆっくりとしたものに変わっていき、最後には誠の胸元にすがりつくように手をおいていた。


「誠さんのおかげです。誠さんが私を助けてくれたから。だから、こうして元に戻れたんです」


「まぁ俺はほとんど何もしてないけどな。美朱や錯乱坊主の力を借りてばかりで」


 照れくさそうに顔を背けて頬をかく誠に、優羽はゆっくりと首を振るう。


「違います。確かに美朱さんにも錯乱坊主さんにも力は借りました。お二人にも感謝しています。でもその力を借りられたのは誠さんのおかげです。誠さんが私のために私の正体を探そうとしてくれたから。誠さんが助けてくれたから。だから誠さんのおかげなんです」


 優羽は誠の胸元によりそったまま、上目遣いで誠の顔を見上げる。


「だから私は誠さんが好きです。誠さんが大好きです。誠さんが私でいいのなら……」


 優羽は言葉をいちどとぎらせる。

 少しだけ息を飲み込む音が聞こえた。


「よろしくお願いします」


 優羽ははっきりとそう告げる。

 誠と優羽の二人は、こうして確かに気持ちがつながり合っていた。


「でも私、天然じゃないですから好みとは外れてますよね?」


 優羽は少し首をかしげながら告げる。

 あまりその辺りの感覚はつながっていないようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る