第12話 上司は突然にキレ散らかして逃げる

 だがノゾミでも、さすがにこの状況は理解に困るところであるらしかった。

「……あんたもしかして、キリンじゃなくて別の幻覚見てるの?」

「ああもう違うんですってば!! たねもの屋が言ったんですよ、この子は育て主を幸せにしてくれる花なんだ、って。この子が喜べば、俺も幸せになるんだって」

 しばしの沈黙があって、ノゾミはとりあえずいま目に見えている状況を飲み込み、トオルの言い分を信じてみることにした。

「で、何。あんたはこの子喜ばすために、休みとったって訳? キリンの幻覚見てるって嘘ついて」

「……です」

「そのために喜んでないのがここにいるんだけどね。唐突に土日込み十日も休みをとられて!」

「いや、それは、……すいません……」

 シイコはこの一連のやりとりを、不思議そうな顔で見つめていた。最初こそ時々笑顔を見せていたものの、次第にその顔は泣き顔に変わっていった。いまにも涙がぽろぽろこぼれそうなその様子に、トオルは即座に気がついた。

「うわっ! ごめんシイコ、違うんだ、大丈夫、よしよし。びっくりしたんだな」

 トオルはとりあえず新聞をシイコに渡した。シイコはすぐ、新聞に目を落としたが、それでも不安そうな表情だけは変わらず、時々トオルとノゾミを見つめた。

「……なにこの子、新聞好きなの?」

「文字読むのが好きらしいんですよ。マンガよりは新聞のがマシかなと思いまして」

「絵本くらい読んでやんなさいよ、あんた親でしょ」

「いや親って、だからですね、」

「いいわ、私の実家にまだ絵本があったと思うし、あげるわよ、あんたに」

 それは突然の申し出だった。正直な話、トオルは戸惑いを隠せなかった。

「はい?」

 もう一度聞こうとしたトオルにかぶせるように、ノゾミは言い放つ。それは一種の照れ隠しにも見えた。

「とりあえず一週間の休暇は許すわ! そのあと本気でどうするのか考えなさい、うちだってそんなに暇じゃないのよ!」

 言うだけ言って、彼女は逃げるようにトオルの部屋をあとにした。

 残されたのは大量の食料品だけだった。トオルとしては大変ありがたかったが、ここまでしてもらう理由はとにかくどう考えてもなかった。

「……なんだったんだ……」

 シイコは、さっきまでの泣きそうな顔はどこへやら、にこにことトオルを見ていた。ただし、トオルはそれに気がついていなかった。



 翌日には、袋いっぱいの絵本を抱えたノゾミがトオルの部屋にやってきた。

「……ほら絵本! これ、その子に読んであげて」

「わ、ありがとうございます。よかったなシイコ、主任が本たくさんくれたぞー」

 シイコは手をたたいて喜んだ。トオルが読み聞かせようとしたが、それより早く、シイコは好きな本に手を伸ばして、自分で読み始めていた。

「ね、シイコって、その子の名前?」

「そうですよ。ハッピーシードから生まれたから、シードからとって、シイコ。俺が考えたんです。なー、シイコ」

 シイコもにこにこと喜びの顔を見せる。言葉は話せないものの、名前は気に入っているらしかった。

「もっといい名前なかったの? タネコとか」

 タネコて。トオルはあきれたようにつぶやくと、目の前の人間がノゾミであることを忘れたかのように批判した。

「……俺の発想と大差ないしそっちのがダサい気がしますが」

「うるさいわね!」

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