第31話 進軍


「ひゃ、120以上もの魔術結界……奴は偏執狂なのか……?」


 いざ進軍と意気込んだ矢先、展開された魔術結界によって足止めを食らうことになった男は、雇い入れた数十人の魔術師でもってその破壊を試みたのだが、その先に待っていたのは幾重にも張り巡らされた、ここまでする必要があるのかと問いただしたくなるような数の魔術結界だった。


 キャロラディッシュ当人が100は無いと言っていたその数は100を優に超えて、120を超えて……そこでようやく打ち止めとなった。


 そうしてかなりの時間をかけて結界を破壊し終えた魔術師達は、これで魔力が尽きたと、契約分の仕事は果たしたと、そう言って踵を返し男の下を去ってしまう。


「キャロラディッシュめぇぇぇぇ、逐一俺の邪魔をしなければ気が済まないのか!!」


 去っていく魔術師達の背中を見送りながら、そんな風に言葉を続けた男は、魔術結界群の向こうへと一歩足を進めようとして……何か仕掛けがあるに違いないと察して足を止める。


 周囲を慎重に見渡し、目を細めて……そうしてから手を振り上げ、振り上げた手を勢いよく振り下ろし、歩兵達に進軍せよとの合図をする男。


 歩兵達もまた、この先に何かがあることは察していたが……既に金を受け取っている手前、文句を言うことが出来ず、貴族や騎士に逆らうことが出来ず、渋々と言った様子でゆっくりと、慎重に足を進める。


 何度か馬車が通っているのだろう、綺麗な轍(わだち)が出来上がった、踏み固められた道をゆっくりと進んでいって……時たま手にした剣や槍でもって進む先を突いたりする。


 後方の貴族や騎士達が早く進めと、さっさと行けと苛立っているようだが、そんなことよりも安全が優先だと慎重に足を進めた歩兵達は……突然目の前に現れた大きな岩を見るなり驚愕し、硬直してしまう。


「……は?」


 そんな声を歩兵達が上げてしまうのも仕方のないことだった。

 まっ平らな平野を貫く道の向こう……地平線の向こうまでが先程まで見えていたはずで、そこにこんな大岩は無かったはずなのだ。


 そこに無かったものが突然現れるという驚きと恐怖と困惑で歩兵達が何も出来なくなっていると、すかさず大岩がぐわりと動いて、いつのまにやら生やした大きな岩の手を伸ばしてくる。


「うぉぉぉぉぉぉ!?」


 それを見てそんな悲鳴を上げながら、手にした剣や槍を振るう歩兵達。

 だが剣や槍で大岩をどうにか出来るはずもなく、歩兵達は次々と伸びてくる岩の手に掴まれ、捕獲されてしまう。


「い、いつのまにこんなに!?」


 岩の手は一つや二つではなく、数え切れない程の数の岩達が周囲を囲っていて……捕獲を逃れた歩兵達が、岩と岩の間をすり抜けなる形で逃走し始める……が、逃走したのがいけなかったのか、そこに足を踏み入れたのがいけなかったのか、地面に生えていた雑草が、何でも無いはずの草達が、するりと伸び上がって歩兵達の身体に絡まり……厳しく締め上げる形で捕獲し始める。


「ゴーレムか!!」


 その様子を少し離れた場所で見ていた男は、そんな大声を上げるなりに歩兵達を見捨てる判断を下し、すぐさまに連れてきていた馬に騎乗し、騎士達を引き連れてその場から逃げ出す。


 道を離れ、平野へと逃がれ、大きく迂回する形で先へと進む男と騎士達。


 男達はそのまま逃げ帰ることも出来たはずだが、大金を使ってここまで来てしまった以上、今更逃げられるものかと、先へ先へと進んでいく。


 馬達に何度も何度も鞭を入れて、乱暴に拍車を当てて、男達が懸命に先へ先へと進んでいると、その頭上から、


「チュリー!」


 との鋭い声が響いてくる。

 その声に引かれて男が頭上を見上げると……そこに居たのは無数の、常識外の大きさをしたコマドリ達だった。


「ば、化け物ぉぉ!!」

 

 それを見るなりそんな声を上げる男。


「チュリー!!」


 鋭く怒りを含んだ声を返すコマドリ……ロビン達。


 ロビン達の怒りの原因は、男達がこの地に足を踏み入れたことでも、その暴言でもなく……男達が乗っている馬達への鞭入れと拍車当てであった。


『お馬さん達になんてことを!』


 そんな怒りを抱き、空から厳しく睨み、獲物へと狙いを定めるロビン達。


 男と騎士達はその目からどうにか逃げようとする……が、相手は空を自由に舞い飛ぶロビン達だ、地を駆ける男達に打てる手立てなど存在していなかった。


「チュリー!!」


 そんな声を上げて急降下してきたロビン達は、まるで海鳥が海の中の魚をそうするかのように、素早く鋭く動き、ぐわりとその足で騎士達を掴み、お馬さん達から引き剥がす。


「た、助けてくれぇぇぇぇえ!?」

「い、いやだぁぁぁぁ!?」

「殺さないでくれぇぇぇぇぇ!?」


 ロビン達に食べられてしまうとでも思っているのか、絶望の悲鳴を上げる騎士達。


「チュリー!」

『失礼な! 紳士淑女の私達がそんなことする訳無いでしょうに!』


 なんて言葉を返しながらロビン達は羽ばたいて、何処かへと……騎士達を自らの巣箱へと連れ去ってしまう。


「チュリ~」

『お説教を終えたら、縄張りの外に連れていってあげますよ』


 そんなロビン達の声が騎士達に通じることはなく……騎士達はその喉が枯れるまで絶望の悲鳴を上げ続けるのだった。



 

 まさしく冥界の光景と呼ぶにふさわしい、惨たらしく残酷に過ぎるその光景を、怯えきった目で眺める一人の男がいた。


 その男は騎士達がロビン達に捕まっている最中、さっと馬から飛び降りて、草むらの中に身を潜めることでロビン達の目から逃れることに成功していたのだ。


 そうやって男は、地面に頬ずりしながらこれからどうすべきかを考える。


 すぐにでも逃げるのが最善策……なのだろうが、馬を失ったこの状態で後退したとしても、待っているのはあのゴーレム地帯だ。


 馬無しにあの一体を突破出来ようはずがなく……かといって道も指針もなしに、この平原を彷徨というのも論外だ。


 であれば答えは一つ、道の先を……キャロラディッシュの屋敷へと繋がっている道の先へと進むしかなく、男は道の脇の草むらを、土まみれ草まみれになりながら這いずっていく。


 最早男には目的も何も無く、失いかけていた貴族としての誇りも綺麗さっぱりと、完全に失ってしまっていた。


 ただただ生きたい、なんとしてでもこの絶望の淵から生還したい。


 そんな想いでもって前へ前へと這いずっていく。


 そうやってどのくらい前に進んだのか……ふいに男は、愛しい地面が、我が身を隠し守ってくれている地面が揺れていることに気付く。


 最初は小さく……次第に大きく揺れて、ズシンズシンと確かな振動を男に伝えてくる。


 それはまるで巨大な何かの足音のようで……ズシンズシンと伝わってくる振動が、その巨大な何かがすぐ側に居るぞと報せてくれる。


 報せを受けた男に出来ることはなかった。

 絶望の文字だけを抱えて、声を上げることも、身を震わせることも出来ず、これから起きることを受け入れる男。


 すると何かが……巨大な何かが太陽の光を遮り、男の周囲に影を落とす。


 そうして男が見上げると……そこに居たのは牛の頭をした農夫だった。


 麦わら帽子に白いシャツに青色のオーバーオール。

 大きなフォークを肩に担いで……ぎょろりとした目で男のことを見つめている。


「ヘッラスの大英雄、ミーノータウロス!?」


 雷光の担い手、迷宮の主、悪辣たる騎士を討ち果たした少年少女の守り神。


 そこに居たのはあくまでキャロラディッシュが魔術でもって変化させただけの普通の牛、だったのだが……自らを悪だと、少しだけ、ほんの少しだけ自覚していた男は、あまりの絶望で自らを失い……そのまま意識を手放してしまうのだった。


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