背信のマータダム

コトリノことり(旧こやま ことり)

noname



「火を! 異端者には火を! 救済を望むものは灰を踏め! 燃やせ、踊れ!」


 それは一人の少年が全てを失った日に聞いた言葉で、

 それは一人の青年が全てを奪った日に発した言葉であった。





「城はすでに暴徒に囲まれ、突破されるのは時間の問題かと」

「そうか」


 部下の進言を聞きながら、黒い、漆黒の手袋がはめられた自分の手を見る。

 いま、己のいるこの王国は数日前になくなった。他でもない、自分自身の手によって。

 己の剣で、手で、この国の君主たる王を――仕えてきた自分の主を殺したからだ。

 この国は国王は『神』の化身とされている。だからこそ、自分は謀反を起こした逆臣であり、神殺しを行った大罪人であった。

 この国で忌み嫌われる黒髪と褐色の肌を持ち、王を弑して以降、黒衣の騎士服に身を包んだ謀反人を、民衆は『黒の背信者』と呼んでいる。

 城のバルコニーから城下を見下ろせば、夜から朝へ移り変わる薄闇の暁の中で、裏切り者への怨嗟が荒れ狂う波のように聞こえてくる。


――背信者に死を!

――所詮は異教の民、陛下に命を拾ってもらった恩を忘れた裏切り者!

――我らが王、我らが神に仇名した背信者に死を!

――火をかけろ、燃やせ、踊れ、異端者は楽園に至る道など無し!


 先導しているのは、何代も前に只人へと賜姓降下した王族の傍系の男。

 最下層の身分の卑しい自分によって神の一統を侮辱の行為をもって絶やした自分を殺しに、正しき国を取り戻すためにあの男はここまでくるだろう。


「今ならば、隠し通路を使えば逃げられます。先導しますので、こちらに」

「それはできぬ」

「な」


 なぜ、という言葉が部下から紡がれることはなかった。

 一寸の狂いなく、部下の心臓を剣で貫く。スラリ、と剣を抜けば息絶えた部下だったものが崩れ落ちる。その死体の手には短剣が握られていた。


「私の首を持ってあいつらのもとへ下ろうとしていたか。神殺しに加担したものを許すわけがなかろうに。無駄なことを」


 己を暗殺しようとしていた死体を冷たく一瞥したあとで、玉座の間へと向かう。

 喧騒は近づいてくるが、城内は静まり返っていた。

 使用人のたぐいは背信者の味方とみられたくないと、すでに民衆のもとへ投稿している。国王につき従っていた聖騎士団は早々に自分の手で排除していた。彼らは狂信者と同じであり、彼らが崇める神を弑した自分を許すことはない。また、その後に邪魔になることを考えて、国王を殺す前に毒を盛って全員殺していた。


 この国で、王とは人間の体を借りた神の化身、神そのものと信じられている。


 王の言葉は神の言葉であり、天の声を伝える代弁者。現世に生きて存在する神を信じ、守り、尽くすことで死後楽園に行けるのだと、民衆たちは信じていた。

 王は絶対不可侵のものであり、決して人間と同じ場所に並ぶことはない。

 それを知らしめるように玉座は、二十三の階段の上、高御座に置かれていた。

 神たる王を直視することは只人には畏れ多く、王のみに坐することが許された玉座は、幾重にも重なった白絹の帷帳によって隠されている。

 只人には許されぬその階段を上る自分、その光景を見ただけで狂信者は憤死するであろう。神のみに許された場所へ、血で汚れた、人ですらない自分が至ろうとするのだから。

 御座へと辿り着き、黒の手で、白で覆い隠された帳を、開く。

 今は誰も座るべきものがいない、空の玉座。

 自分の主を、この国の王を、神を殺し、仮初の頂点に立ち、自分は其処に至った。

 そして玉座を目の前にして――跪いた。


「お待たせして申し訳ありません。ですが、もうすぐ貴方の御下命を果たせます。――我が主よ」


 神殺しの背信者が額づき、臣下の礼をとるのは。

 空であるはずの玉座、そこにいる――王冠を被った、純白の髑髏されこうべだった。


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