第一章 天狗連 その4
『亀の湯』での集会から数日後、私は近所の病院を訪れた。目当ての病室には、豊子が入院している。豊子も私のように病弱で、体調をくずして入院していた。私が初めて惚れた女であり、共に死のうと誓いあった同志でもある。
私が病室に顔を覗かせたとき、豊子は「ひょっとこ」のような顔をして驚いてみせたが、すぐにいつもの愛らしい笑顔を見せてくれた。梅干しが、お茶に合うのだと言い訳を添えて、私の来訪を喜んでくれた。
「体の具合はどうだ?」
何気なく聞いてみると、豊子は力なく微笑んだ。
「しばらくは大丈夫だろうって、いつ容体が悪くなるかはわからないけど、安静にしていれば、問題ないそうよ。」
「そうしているうちに、特効薬なんかが、できるかもしれないしな。今の医学の発展は速いから、元気に退院できる日もくるさ。」
「七郎さん、ありがとう。それが夢でも、私、嬉しい。」
豊子の後ろ向きな考えに、私は少し怒気を含めて諫めた。
「そんな弱気でどうすんだ。親御さんを悲しませるようなことをしちゃあいけない。何が何でも生きようと努めなきゃ、治るものも治らないんだぜ。」
豊子は怯えたような表情を見せ、俯いてしまった。
「ごめんなさい。私、やっぱり死にたいって思ってるのかもしれない。毎日を一生懸命生きようと言いながら、どこかで死ぬことを願っているのかも・・・。」
「それ以上言うな。」
私の脳裏に、岸壁の波濤に身を投げようとした、あの日の夜がよみがえった。二人で抱き合って、この世の苦しみから逃れようとした夜のことだ。だが、できなかった。母の顔が浮かんだとき、私は泣き崩れていた。豊子と一緒に死んでやれなかった。
きっと豊子は、今も死ぬことを考えているのだろう。私のことを気遣って、生きようと口にはしているが、本当は苦しみから逃れたいはずなのだ。
今日は、それを告白しようとしたのだろう。しかし、それを認めてしまったら、豊子は本当に死んでしまうかもしれない。私は自分が死ぬことよりも、豊子を失うことを恐れていた。私は豊子のことを思っているようで、己のことしか考えていないのかもしれない。それよりも、自分の死にたいという思いを肯定したくないだけなのかもしれない。いや、そうではなく、豊子に、この世はまだまだ捨てたもんじゃないというのを、見せてやりたい、教えてやりたいと意地になっているだけなのかもしれない。
どちらにしても、豊子に死ぬという選択肢を選ばせたくはなかった。その思いを豊子も感じ取っているだろう。それが強い脅迫になっていたとしても、これが最善なのだと自分に言い聞かせた。
「もしおまえが死んだら、俺も死ぬ。おまえだけを逝かせん。だから死のうだなんて考えるな。死ぬのはいつだってできるんだ。俺が、必ず生まれてきて良かったと思わせてみせる。だから、それまで死ぬな。」
強い眼差しで豊子を見据えたつもりだったが、豊子にはどう映っているだろうか。豊子は泣きそうな目をしながら微笑んだ。
「ありがとう、七郎さん。でも私が死んでも、七郎さんは生きてほしい。私の分も生きてほしいの。」
そう言って、豊子は目に浮かぶ涙を拭った。
「心配しないで、七郎さん。自分で命を絶つようなことはしない。命のつづく限り、懸命に生きようと思ってる。だって、私には七郎さんがいるんですもの。本当にありがたいことだって思ってるから・・・。」
豊子の目から幾粒もの涙が流れ落ちた。そして、堪え切れなくなったのか、ベッドに顔を埋めると嗚咽を漏らし始めた。
私は、豊子の肩をさすってやることしかできなかった。一緒に死んでやれなかったことが、まるで罪であるかのように思えた。いつかは償わなければならないことだと、私の心が叫んでいた。
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