第16.5話 さやかの想い
私は大学を卒業後、市内にある中堅映像制作会社に就職することができた。
大学で映研サークルに所属し、活動するうちに、この業界に興味を持った。
入社式、新入社員研修が終わり、制作部へ配属された。
私はここで運命の人に出会った。彼は私の1年先輩で指導役だった。
最初は丁寧な先輩だなとしか思っていなかった。身長は180cmくらい、顔は悪くはない、普面。声は低めで結構好きな感じ。
几帳面な正確なのか仕事はとても丁寧に教えてくれる。先輩として、とてもいい人だった。
私が彼を気にし始めたのは2ヶ月くらい経ち、この環境に慣れてきた頃だ。
私は自慢では無いが、外見に自身がある。
これまで彼氏を切らしたことは無いし、私から告白もした事もない。大体向こうから言い寄ってくる。私も特に好きでなくてもフリーであれば相手をしたし、嫌になったら別れたりしてきた。男なんて少し媚びていれば、良いように操れていた。
でも、彼は違った。私があの手この手でアプローチしても、なしの礫、のれんに腕押し。全く反応が無い。こんな男初めてのだった。
そっちの世界の人なのかしら。
私は気がつくと彼を目で追うようになっていた。彼を観察しているといくつかの事が分かってきた。
彼は自分のこと何も話さない。
彼は自分というものを持っていない。
彼は笑わない。
彼は女の人に必要以上に近づかない。
彼は無気力な人。
他にもたくさん。総じて彼は自分の世界に他人を入れないようにしているからのだと気づいた。
私は彼の特別になりたい。そう思う様になっていた。気づいたときにはもう惚れてしまっていた。
そんな折に偶々参加した飲み会で彼に関する気になることを聞いてしまった。彼には忘れられない別れた彼女がいるという噂だった。
「その話本当ですか?」
「ほんとだよ。あいつが入社した頃酔って喋ったんだよ。あいつ酔うと性格かわるからな。陰キャから陽キャに」
どうやら本当の様だ。だから私になびかないの? 私なら何でもしてあげるのに。悔しい。過去の女に負けるなんて。
絶対に彼を落としてみせる。
私は本気になった。今までの男性の交友関係を全て整理した。そして空いた時間は全て彼の為に使った。用事が無くても会いに行き、話しかけた。それでも彼の態度は変わらなかった。
それから1年ほどがたったある日、彼の様子が激変した。携帯を見ながらニヤニヤしている。
先週までと別人だ。この週末に何があったのか。嫌な予感がして、彼に話しかけた。
「先輩、何かいい事あったんですか? すごくご機嫌ですけど」
「おう、柳。おはよう。そうなんだよ。めっちゃ嬉しいことがあったんだ。世界が変わったよ」
明らかに別人だ。先週までなら「別に。お前には関係ないだろ」って感じだったのに。
本当に何があったの?
「先輩。本当に何があったんですか? 教えてくださいよー」
「えー。どうしよう。うーん。まぁ柳ならいいか。これ見て」
先輩が携帯を見せてくる。
「可愛い女の子ですね。先輩、そっちの世界の人だったんですか」
「だろー。可愛いだろ。俺の娘なんだ」
!!!
私は激しいショックを受けた。その場にへたり込んでしまいそうだ。
「先輩、結婚してたんですか?」
私は今にも倒れそうになりながらも、彼に問うた。
「柳、顔色悪いけど大丈夫か? いや、結婚はしてないんだけどさ。昔の彼女が俺に預けに来たんだよ」
何それ? それって普通嬉しいことなの? 普通は面倒ごとなんじゃないの?
「先輩はその昔の彼女とよりを戻して結婚したってことですか」
「違う。違う。彩花だけ置いてった。でも彩花可愛いだろ。天使みたいだよな。あ、もう就業開始だ。じゃあな」
彼は仕事のために行ってしまった。
何それ! 信じられない!
その週の金曜日、部長から更に信じられないことが発表された。
彼が今月一杯退社するとのことだった。彼も一身上の理由によりと言って説明していたが私は娘さん云々が理由なのだと推測した。
駄目だ。このままだと、彼との関係が切れてしまう。まだ何も始まっていないのに。
でも、どうすればいいのか。私は彼の事を知らなすぎる。
私はその日から彼の事が気になって仕事にならなかった。取り敢えず、昨日は後をつけて彼の家を特定した。
めちゃくちゃ豪邸だった。高見という名前だった。彼と名字が違っていたのが気になったがこれ以上は分からないので仕様が無かった。
今日も後をつけようか? 後1週間しかない。
「先輩、後1週間ですね。最後に一緒に飲みに行きませんか?」
「柳、ゴメンな。娘が待ってるからさ。早く帰りたいんだ」
「そうですか。残念です。先輩ともっとお話したかったのに。先輩は仕事辞めてどうするんですか?」
「次はさ、娘と少しでも一緒にいるために、在宅でできる仕事をしようと思ってさ。実はもう始めてるんだ」
そう言って、彼はU−Tubeのサイトを見せてきた。美味しそうな料理が並んでいる。
「美味しそうですね」
「だろ、俺が作ったんだ。料理が趣味でさ」
「先輩、料理できたんですね」
「一人暮らし長かったからな。幸い、貯えはあるから、稼げるようになるまで、じっくりやっていくさ」
「先輩。頑張ってください。私もチャンネル登録しておきますね」
「柳、ありがとう。見てコメントくれると嬉しいよ」
「はい。分かりました」
こうして、彼は退職してしまった。彼がいなくなって、仕事に何のやる気も起こらない。彼は私が求めても初めて手に入らなかった人。その関係は今にも切れてしまいそうだ。
さやか、貴方簡単に諦めてしまうの? その程度の想いだったの。違うでしょ。いつ動くの? 今でしょ。
私は暴走した。
正気に戻ったのは、会社に辞表を提出し、スーツケースに身の回りの物を入れ、社宅を飛び出した後だった。
え。私はこの後どうすれば……。
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