変異体ハンター、つりをする。

オロボ46

釣り人はエサをまいた。それに気づかない者は、すぐに食いついた。

「“晴海はるみ”先輩、釣りってしたこと、あります?」


 信号待ちの中、助手席に座っている男性がスマホをつつきながらたずねる。


「したことないよう。興味だってないんだからあ」


 “晴海”と呼ばれた女性はかったるい声を出しながら、ハンドルに手を添えていた。


「それなら、今日の釣りでぜひ楽しさを味わってくださいね!」

「“大森おおもり”さん、なんか先輩っぽい言い方じゃない? 知識でマウントとるのお?」

 “大森”と呼ばれた男は晴海の返事に首を振り、頭をかいた。

「いや、決してそういうつもりじゃないんですけど……晴海先輩って、趣味よりも仕事に打ち込むタイプですよね」

「……」

「あ、もちろん晴海先輩に趣味がないって思ってはいませんよ。ただ、この機会に趣味の時間も大きくとってもらいたいなあって……」

 晴海はカップホルダーに置いてあるカップから、スティックニンジンをつまみ上げた。

「大森さん、あなたどのぐらい釣りをしているのお?」

「へ?」

 スティックニンジンを加えながら聞き返された晴海に、大森は目を丸くした。

「大森さんがどのくらい釣りをしていたのかには、興味をもったんだけどお……ごくん、答えないのお?」

 今度は理解したものの、大森はうつむいて口を小さく動かす。

「……半年前に友人に誘われたのがきっかけで、その後、休日に1回ほど……」


「……にわか」


 晴海は小さくつぶやき、青信号を確認してアクセルを踏んだ。






 人気のいない、小さな港。


 ここに訪れる船は、見当たらない。


 桟橋の前には、ふたつの赤コーンに鎖でつながれた“立ち入り禁止”の簡素な標識。臨時で立てたようだ。


 それをふたりの影が乗りこえていった。


 標識のことなどとっくに知っていたように、標識を無視するように。




 緑色の海に、ふたつの釣り糸が飛び込んだ。

 浮かんだウキを中心に波紋を作りだし、目玉のように広げていく。


「これでいつまで待てばいいんですかあ?」


 釣りざおを手にしている晴海が、隣の大森を見る。

 パイプイスに腰掛けている晴海の服装は、ロングヘアーに、薄着のヘソ出しルック、ショートパンツにレースアップ・シューズと、素晴らしいスタイルに非常に似合っている。

 彼女の足元には、大きなハンドバッグが置かれている。


「そんなにすぐには来ませんよ。焦らずじっくり待つ。これが釣りを行うにあたってもっとも重用であり、かつ、釣りの最大のだいごみ……らしいです」


 同じくパイプイスに腰掛けている大森の服装は、ショートヘアーにキャップ、横に広がった体形に合うポロシャツ、ジーパンにスニーカー。その背中には大きなリュックサックと、太めの体格にはピッタリだ。

 そしてその目には、普段付けているとは思えない、大きいゴーグルが装着されていた。


「普通に魚が釣れた時はどうするのお?」

「だいたいはこのバケツに入れて持ち帰りますね」

 ふたりの間には、海水を入れたバケツが置かれていた。

「持ち帰るって……家で飼うんじゃないんだよねえ」

「まあ飼うこともできるんですけど、俺の場合は普通に食しますね。特に焼いて食べるとこれがうまいのなんの……」

 大森はヨダレを垂らしそうな表情をしていたが、すぐに晴海の顔を見た。

「す……すみません。晴海先輩、魚はダメだったんですよね」

「別に気を遣わなくてもだいじょうぶだよお」

 晴海は先ほどから涼しい顔をしていた。

「ところで、だいたいは持ち帰るって言ってたけどお……必ず持ち帰る必要がある、というわけじゃないんだねえ?」

「はい。キャッチアンドリリースっていうんですけどね……」


 プクン


「!」

 大森の持つ釣りざおのウキが、水の中に沈んだ。


 すぐに釣りざおについてあるリールを巻き上げる。


 現れたのは、大きくも小さくも言えない、そこそこのサイズの魚。


 大森は魚の口に刺さった針をのけると、バケツの中の水に魚を入れた。


「結構ちっちゃいねえ」

 晴海はバケツの中で動き回る魚を見つめた。

「大きさとかは特に気にしていませんよ、俺は。とにかくうまけりゃあそれでいいんです」

「もしかして、釣りを始めたのも魚が食べらるからあ?」


プクン


「!?」

「晴海先輩! リールを回してください!」


 大森に言われたまま晴海は釣りざおのリールを巻いた。


 現れたのは、大森の釣ったものよりも一回りほど大きい魚。


「その調子ですよ、晴海先輩」

「うん、それはいいんだけどお……ここからどうするのお?」

 晴海は、釣り針が口に引っかかって体を揺らす魚を眺めていた。

「先輩、キャッチアンドリリースします?」

「それって確か……釣った魚を殺さずに元の場所に逃がすことだよねえ。別にあたしはいいけど、大森さんはいらないのお?」

「いいんっすか!? それじゃあ、いただきます!!」

「そんなことよりもお、どうやってとるのお?」

「ああ、それはですね……」


 大森が釣り針から魚を外してバケツの中に入れると、ふたりはまた釣りの姿勢に戻った。




「……もうこんなに時間がたっているんだねえ」

 釣りざおを片手に、晴海は自分の腕時計を眺めた。

 時計の短針は既に13時を越えていた。バケツには、数匹の魚が泳いでいる。

「ここに来たときは9時でしたもんね。そろそろ昼飯にしましょうか」

「もうちょっとまってくれない? もうちょっとで釣れるからあ」

 釣りざおを片付け始めた大森は、まだ釣りざおから手を離そうとしない晴海を見て笑みを浮かべた。

「晴海先輩も、ようやく釣りの楽しさに目覚めたんですね! それでしたら、今度の休日は海釣りに……」


 大森の言葉を遮るように、晴海は首を振る。


 そして、すぐに釣りざおのウキに注意を向けた。


 釣りざおのウキの元に、大きな魚影が近づいてくる。




「今日は仕事でここに来ていること、忘れていたのお?」




 ウキが勢いよく沈むと、強い力で引っ張られ釣りざおがしなる。


 それを見ていた大森は、すぐに背中のリュックサックを地面に下ろし、ファスナーを開けた。


 晴海は釣りざおを引き上げ、リールを巻き上げる。


 立ち上がってパイプイスを蹴っ飛ばしてのも無理はない。

 本来ならば魚の動きに合わせて釣りざおを動かすべきなのに、晴海はほぼ力任せにリールを巻いている。この釣りざおがひと昔の釣りざおだったら、とっくに糸が切れているだろう。


「……っ!!」


 大きな水しぶきを上げて、なにかが水面から飛び出した。


 それは、巨大な魚だった。

 普通の魚と違うのは、魚の頭に人間の鼻と耳が生えていることだ。もっとも、穴はふさがれているが。


 晴海はその魚を、地面にたたきつける。


「イディッ!!」


 それとともに大森は巨大なクラッカーを取り出し、魚のような生き物に向けてヒモを引っ張った。

 クラッカーから飛び出した網は、パニックになって暴れる魚を包み込んだ。




「チョ……チョ……チョットマッテヨ!? 何スルツモリ!?」


 網の中で、魚は叫んだ。

「なにって……自分の置かれている状況がわかるんですかあ?」

「見リャワカルワヨ!! 誰ナノ!? アンタ誰ナノ!? 警察!?」

 魚は人間とは違う声帯ではあるが、はっきりとした言葉を話していた。

 口の形しか見られないが、人間の顔で例えるなら突然の理不尽に対する怒りの表情を表していた。


 もっとも、晴海がハンドバッグから取り出したものを見ると、おびえるように口を開けたままになったが。


「変異体ハンター……ですよう」


 晴海は手にした拳銃を魚に突きつけた。

「変異体……それはあなたのような化け物の姿になった元人間……本来ならば警察が捕獲、または駆除をするのですが、とある理由で警察に相談できない、警察でも手に負えない変異体……それを処理するのが、あたしたちの仕事なんですよう」

「……」

 魚の口は震えていて、何も言葉を発することはなかった。

 晴海の後ろで、リュックサックを背負った大森がメモ帳に目線を落とした。

「1カ月前の夜、この港に釣りに来ていた男が行方不明となった。その数日後に、彼の持ち物と思わしき衣服が港の海に浮かんでいるのが発見された。警察はこの港に変異体が出るというウワサを元に、その変異体による犯行と見なして捜査をしたものの、発見されずに捜査は打ち切り。男の家族はそれに納得がいかず、俺たち変異体ハンターに依頼した……というわけだ」

 メモ帳をしまい、魚に対して大森はゴーグル下の目を鋭く細めた。

「本当にあんたがやったのか?」


「チ……チガウ……」


 魚の変異体は、声を震えさせた。


「チガウ……アタシジャナイ……確カニ人間ニ姿ヲ見セタノカモシレナイケド……アタシジャナイ……アイツガヤッタノヨ……」

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