桜の朽木

さくらには宿やどりて いわんや朽木くちきをや


<解説>


 朽木桜斎の筆名にまつわる話です。


 幼い頃に見た夢なのですが、深い森の中をさまよっていて、視界が開けたと思ったら、そこには一本の桜の朽木があったのですね。


 近づいていくと、なにやらうごめく者がある。


 そこには矮小わいしょうな一匹の地虫じむしが、苦しみもだえるようにっているのです。


「もしかしてこれは、僕ではないのか?」


 そう思ってそっと手を伸ばしたところで、夢から覚めたのです。


 そして、


「僕はいま、地虫の夢を見ていたのか? それとも、地虫がいま、僕になった夢を見ているのか?」


 そんなことを、考えたのです。


 のちに知識として知るのですが、中国の故事にある「胡蝶こちょうの夢」と、とてもよく似た体験です。


 それ以来、わたしは桜――というか、桜という「存在」に、ある意味で異様な執着心を持つようになります。


 長くなってしまいましたが表題作は、


「桜に宿るものがあるのなら、それが桜の朽木なら、なおさらのことだ」


そんな自分の「存在」に対する捉え方のようなものを、表してみました。


 「いわんや~をや」は、親鸞しんらん歎異抄たんにしょう」などで使用され、有名な言い回しですが、かっこうをつけて、慣れない古文の表現に力を貸してもらいました。

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