07 少女ニュートンと嵐の予感

 物理学者を標榜ひょうぼうする女性・蘭田理砂らんだ りさをうまいこと自宅へまねれたわれらが主人公・葛崎美咲穂かつらざき みさほは、昭和風のレトロなデザインのリビングで、紅茶などでもてなしながら、二人でしばらくだべっていた。


「先生は『ハーフ』の方なんですかー?」


「母がアメリカ人なのです。父は日本人で、ここ万鳥羽まんとばの出身なのですが、父方ちちかたの祖母がいま、体調をくずしていて、父の実家から都内の大学まで、電車通学をしているのです」


「ふえーっ、なんという、やさしい方なのでしょう……」


 美咲穂は目をうるうるさせた。


「美咲穂ちゃん、あなた、さりげなく『泣き落とし』をもくろんでいるでしょう?」


「ぎくうっ!」


「聞こえてますよ、『心の声』が」


「わっ、わたしは純粋な心から、先生のおばあさまが心配で……」


「はいはい、もうけっこうです」


「ふぇふぇー」


 ずるがしこいがすぐ見破みやぶられてしまうのは、結局、美咲穂の性根しょうねがよいからなのだった。


「大学ってもしかして、トーキョー大学ですかー?」


「はい」


「ぶふうっ!?」


「ブタですか、あなたは」


「げほっ、げほ! 東大って、大学でいちばん、難しいんじゃないですかー?」


「日本では、そうですね。祖母の介護かいごのため、ハーバードから移ったのです」


「はっ、はあばあどっ!?」


「さっきから何を苦しそうにしているのですか?」


「だ、だって、まるでマンガみたいな肩書きなので……」


「ライオンが群れの中で最強を目指すのと同じ理屈ですよ」


「ふえー」


 美咲穂はさりげなくけむかれた。


 こんなふうにペチャクチャしゃべっていると、向こうから美咲穂の母・美咲子みさこが、ティーポットを持ってやってきた。


「先生、紅茶がぬるくなったでしょう? 新しいのを持ってきました」


「おかあさま、お体にさわります。どうか、休んでいてください」


 身重みおもな体の美咲子を、理砂は気づかった。


「いえいえ、娘の家庭教師をしてくださるという方を、ぞんざいにはできませんよ。ほほ」


「……」


 この子にして、この母あり――


 美咲子は美咲穂をフォローして、理砂に対してこのように、よく接しているのだ。


 美咲穂当人は気づいていないが、大人の事情を理砂はくみ取った。


「ママー、先生のお話はとっても面白いんだよー」


「まあまあ、さすが赤門在籍あかもんざいせきの方は、弁舌べんぜつたくみでいらっしゃる。さすがは天才物理学者を嘱望しょくぼうされるだけのお方ですわ。ほほ」


「……」


 しっかり聴いていやがる……


 いや、まさかこのリビングには、盗聴器でもしかけられているのか?


 理砂は少し、背筋せすじが寒くなった。


「さ、さ。どうぞ先生、遠慮なく。わたしは書斎しょさいにおりますから、何かございましたら、何なりとお申しつけください」


「いえ、おかあさま、おかまいなく……」


 美咲子はクモが逃げるように、すたこらさっさとリビングから消え去った。


 なるほど、『書斎』に受信機があるのか……


 理砂はこの母親に凶悪きょうあくなにおいを感じるいっぽう、美咲穂と同様、どこかにくめない気持ちをいだいた。


 きっと、娘のことが心配でならないのだろう――


 理砂はその親心おやごころに感じいたるところがあった。


「そういえば先生は――」


 ガシャン!


「――っ!?」


 美咲穂がまた話を切り出そうとしたとき、リビングの奥のほうから奇妙きみょうな音が聞こえた。


 陶器とうきが割れるような音だ。


「ふえ、何の音かなー?」


「おかあさま――!」


 理砂は胸騒むなさわぎがしてリビングを出た。


 音のしたほうへ走ると、奥の部屋のドアが開いている。


「おかあさま、大丈夫ですか!?」


 たなから落ちた花瓶かびん粉々こなごなくだけていた。


「ぐ、うう……」


「ふえーっ、ママー! どうしたの!? どこか悪いのー!?」


「おかあさま、しっかり!」


 美咲子はおなかをかかえてフローリングにうずくまり、もだえくるしんでいる。


「これは、きた・・んだわ……!」


「きたって先生、どういう――」


「美咲穂ちゃん、すぐに救急車を呼んでください! この家の中にタライやオケはありますか!?」


「そ、それなら、お風呂場に……」


「わたしがお湯をかします! 美咲穂ちゃんは救急車を! 119番ですよ!? 早くっ!」


「ふぇ、はいっ!」


 こうして二人はあわただしく行動を起こしたのだった。


 美咲穂は119番に電話をかけたあと、ふと不思議に思った。


 お湯なんて沸かして、どうするのかなー?


 このようにしてあらしのごとく、美咲子は病院へとかつぎこまれた。


 そしてこれはすなわち、新しい『命』の誕生への、大いなる予感だったのだ。

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