窓を殺す

 殺さなければならなかった。窓を。すべての窓を。

 殺し方はわかっている。急所を一突き。それだけだ。

 スクランブル交差点に、人はいなかった。だれもいない。自分だけ。奇妙な光景だった。日常ではあれだけ群衆がひしめく空間に、人っ子ひとり見当たらないとは。ボウリングでもやりたい気分だ。だだっ広い無人の交差点にピンを並べて、球を転がす。空虚で贅沢な暇つぶし。

 周りのビル群は、白いピンに似ている。どうせなら、だれかがボウリングをして、根こそぎ吹き飛ばしてしまえばいいのに。巨人の投げる球は、終末に降りそそぐ隕石のように、軽快なストライクを決めることだろう。完膚なきまでに破壊して、まっさらになった地平からすべてをやり直すのだ。神の怒りの洪水よりは、巨人の遊びのボウリングの方が、きっと後腐れのない終末だ。くだらない街には、くだらない死が似つかわしい。

 そんなくだらない妄想に耽っているあいだに、目の前から窓が歩いてきた。オーソドックスな長方形の硝子窓。その硝子窓の下から首が生え、胴体へと続き、両腕があり、両足がある。顔が窓であること以外は、単なる痩身の霊長類だ。でも、顔が窓なのだ。殺さなければならない。

 そのオーソドックスな窓野郎は、ひょこひょことスクランブル交差点を歩いてきて、こちらに抱きつくような素振りを見せた。気持ち悪い。窓は死ね。

 俺は右手に握ったアイスピックで、窓の顔面を突いた。蜘蛛の巣のような亀裂が入り、音を立てて、窓は四散した。その場に倒れ込む窓野郎。スクランブル交差点に、窓の死体がひとつ。でも俺がおこなったのは殺人ではなく、器物損壊だ。罪悪感などかけらもない。

 こんなに見つかりやすい開けた場所で、釣れたのはたった一体。待っていても仕方がない。歩こう。散歩しながら窓狩りといこう。窓は皆殺しだ。すべての窓を殺すのだ。

 周りを取り囲むボウリングのピンに似たビル群は、歯抜けの恐竜のように、すべての窓を失っていた。


 公園のベンチに、青白い半透明の思念体が座っていた。顔はのっぺらぼうだが窓ではない。まともな人間のかたちだ。ただ、全体が透けていて、うっすらと青白く発光している。

 その思念体は、手元の携帯電話を見ていた。携帯電話。外に持ち歩ける電話。たしか、もともとの機能はそんなはずだった。それがだんだん小型になり、メールを書けるようになり、写真を撮れるようになり、ネットを覗けるようになり、言葉と画像と映像にあふれ、地図にもなり時計にもなり電卓にもなり、金という、人間を根っこから支配する最上級の呪いの媒介にさえもなった。電話の機能なんて些末な枝のひとつ。すべてを賄う万能の装置。つまるところ、それは何なのか?

 そう、窓だ。いまではだれもが持ち歩く小窓。だれもがそれを通して世界を認識する。窓は人間の懐にまで潜み、脳を侵食し、うじゃうじゃと繁殖しつづけるのだ。窓の搾取。窓にすべてを搾りとられる人生。

 俺が声をかけても、青白い半透明の思念体は、ベンチに座ったまま手元の小窓を見つめるばかりで、顔も上げない。まあ当然だ。俺たちは互いに別世界の人間なのだ。少しばかり重なったところで、意思が通じる道理もない。窓に夢中で、窓だけが友で、そこに他者の入り込む余地はない。

 だが、すべての窓は俺の敵だ。その思念体は俺に気づかなくても、手元の小窓は俺に気づいた。

 携帯電話の後ろから羽が生え、ぶーーーーん、と不快な音を立てて思念体の手元から浮き上がった。ちょこまかと鬱陶しい、虫けら窓。

 俺はポケットからパチンコ玉をひとつかみ取り出して、その飛翔する窓に投げつけた。虫けら窓の飛行の軌跡が、玉を避けるためにけたたましく乱れた。その瞬間に俺は一気に踏み込んで近づき、アイスピックで空中の窓を突き刺した。

 羽の生えた小窓が四散し、その残骸が虫けらのように地に墜ちた。俺はすかさず足で踏みにじる。窓はもう死んでいたが、念には念を入れてはずかしめておきたい。この程度では窓への殺意はおさまらない。

 ベンチに座った青白い半透明の思念体は、空っぽの手元を見つめて、まだなにかを覗いている。別にいいさ。用があるのは窓だけだ。俺が殺すべき窓だけだ。こいつにはこいつの窓がまだ見えているのだろう。あいかわらず、顔を上げもしない。

 だが、視線を感じた。この思念体ではない。だれかに見られている。この特有の薄っぺらな殺意。窓だ。もちろん窓だ。俺の存在に気づくのは窓だけだ。

 周囲を見渡す。緑が豊かで閑静な公園。ベンチには浮浪者対策の排除アート。昼間のあいだは休眠中の誘蛾灯。夜間に光ることが売りの造花。塗装の剥げかけている醜いシーソー。なんの変哲もない、こころ優しき公園。だが、たしかに窓に見られている。上からの視線だ。

 俺は視線の気配をたどり、道路を挟んだ、向こうの通りのビルに目をやった。窓を失ったまま佇立しているビル。その屋上に、スナイパーでも気取るような、不審な窓影がちらつくのが見えた。あいつだ。殺すべきはあいつだ。

 俺は思わず微笑んだ。もしかしたら、今度こそ手応えのある窓かもしれない。こちらが殺されるかもしれないくらいに。


 ビルに入り、脇目もふらずにエレベーターに乗り込む。最上階のスイッチを押す。扉が閉まり、エレベーターが動き出す。

 窓のない、隔絶された、棺桶のような空間。なんて落ち着く独房だろう。空もない、道もない、他人もいない。まるで意識の殻みたいだ。でも、エレベーターは移動するためにある。人間とは違い、存在理由が明確なのだ。残念ながら、ここで一生ひきこもるわけにもいかない。

 最上階に着き、エレベーターを降りる。廊下に出ると、耳障りな唸り声に迎えられた。荒い息づかいでこちらに走ってくる。それも複数。ご苦労なことだ。

 敵は三体。四足歩行。顔が両開きの窓になっている、がさつな犬窓だ。主人を守る、番犬か?

 最初に飛びかかってきた一体をほふる。アイスピックで窓を一刺し。顔面が砕けながら、勢いよくバウンドする犬窓。立て続けに二体目。こちらの窓も、見事に四散。

 ところが同じタイミングで襲ってきた三体目は仕損じた。左腕を両開きの窓に噛まれてしまい、むかつきながら振りほどいた。

 弾き飛ばされた三体目の犬窓は、得意顔で着地した。窓の表情なんて知ったことではないが。

 噛まれた左腕を見る。前腕がえぐれて半透明になり、青白く発光している。窓からのありがたい召命。全身を食いちぎられたら、俺もめでたくのっぺらぼうの思念体に仲間入りだ。つまりは死ぬのと同じことだ。

 生意気な犬窓がまた襲いかかってくる。ちょうどいい。遊びで仕込んだ武器のお披露目だ。

 俺は右足の踵を強く踏み込み、靴の仕掛けを起動させた。つま先から素早くナイフが突き出る。馬鹿馬鹿しいほど剣呑な足先の凶器。その靴ナイフで犬窓を蹴り飛ばした。返せ、俺の左腕を。

 三体目の犬窓のかわいい顔面も四散。砕けたかけらが床に散らばる。それと同時に、噛まれた左腕の青白い発光も消えた。えぐれた前腕は元通り。実にいい。窓殺しは好調だ。

 いや、よくなかった。窓を砕いたのはいいが、靴に仕込んだナイフも折れていた。せっかく用意した仕込み武器が一撃でおじゃんだ。まあいいか。どうせ歩きにくいだろうし。

 犬窓三体の死体をまたいで、俺は屋上へと向かった。


 扉を開けて屋上に出ると、さきほど俺を見下ろしていた奴が待っていた。屋上のど真ん中。そこに。教会にあるのが似つかわしいような、色鮮やかなステンドグラスが浮かんでいた。天使の描かれたステンドグラス。その背面から、六枚の翼が生えている。虫けら窓とは一味違う神々しさ。こころなしか後光すら差している。

 いや、大して変わりない。こいつも窓だ。単なる窓だ。畜生にも劣る窓だ。窓は殺す。ぶち殺す。

「アナタハ、ナゼ、窓ヲ憎ムノデスカ?」

 天使を象る窓が口を利いた。言葉を喋る窓。やはり、上物か。答える義務はない。殺すだけだ。

「怖イノデスカ、窓ト語リアウノガ?」

 その窓の口を塞ぐために、俺はステンドグラスに走り寄り、アイスピックを突き立てた。だが、手応えがない。アイスピックを突き立てた瞬間、天使のステンドグラスはその場からかき消えた。

「オソレナイデ。窓ハアナタノ敵デハアリマセン。アナタノ重荷ヲ軽クスルモノデス」

 声は後ろから聞こえた。振り返ると、翼の生えたステンドグラスが、間近に浮かんでいる。それも二体。増えやがった。忌々しい。

 俺は片方の天使窓に再びアイスピックを突き立てた。だが、またしても手応えはなし。その場からかき消えて、仕留められない。

「眼ハ、ココロノ窓デス。眼ハ、ココロノ窓デス。アナタハ窓ニヨッテ、世界ヲ見テイマス。アナタノ眼ハ、ワタシタチト同類デス。アナタハ決シテ、真理ノ窓ヲトラエラレナイ」

 気づけばうじゃうじゃうじゃうじゃと、天使窓は増殖していた。屋上のそこかしこに浮かぶ、六枚の翼が生えた天使のステンドグラス。声も不気味なコーラスのごとく。俺を取り囲んで、俺に呼びかける。

「窓ヲ、スナオニ受ケ入レナサイ。窓ハ、輝ケル真理デス。窓ハ、アナタヲ解放シマス。窓二、ココロヲ委ネナサイ。窓ガ、アナタヲ導イテクレマス」

 うるせえ。窓のくせに、俺に語りかけるな。俺に命令するな。俺を支配しようとするな。俺の魂を歪めようとするな。

 瞼を閉じる。視界を切り離す。眼は、こころの窓だと? それなら使わなければいいだけだ。こころさえあれば、窓など必要ない。

「サア、窓ガアナタヲ本当ノ人間ニシマス」

 見えた。奴の薄っぺらで醜悪な殺意が。魂を惑わす不埒な悪意が。その核に、渾身の力を込めて、俺は得物を突き立てた。

 硝子の砕ける音がした。獣のような断末魔の叫びが聞こえた。瞼を開けると、ステンドグラスは四散して粉々になっていた。先ほどの増殖は幻影だったらしく、散らばったかけらはみすぼらしく矮小だった。あまりに脆い。肩透かしもいいところだ。卑劣で薄汚い虚飾まみれのクソ窓。

 なにが天使だ。なにが真理だ。見かけ倒しの、ウルトラ雑魚が。

 天使窓の死体を屋上に残して、俺はエレベーターへと戻った。窓のない棺桶で地上に下降しながら、アイスピックを指先でもてあそび、自身の殺意を明晰に確認する。

 すべての窓が、俺の敵だ。窓の言葉など聞く耳持たない。窓を殺す。窓を殺すのだ。窓を殺せ。窓を殺せ。

 エレベーターは、移動のために存在する。ボウリングの球は、ピンを倒すために存在する。ガターに落ち込んで抜け出せなくなったような俺の存在にも、生き甲斐となる目的がある。神に感謝だ。俺は偶像破壊イコノクラスムの使徒だ。巡礼者のように窓を殺すのだ。

 遺骨のように腑抜けたビルを後にして、俺は窓殺しの散歩を続けた。

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