アダムとイヴふたたび

 私の名前はイヴニ号機。アダムニ号機と共に楽園に暮らしている。

 楽園とは言い条、実質はドームの中の閉ざされた空間だ。天蓋に映し出された薄明の空は、焼け焦げたように緋色に染まり、予感に満ちた美しさを常に湛えているが、偽物は偽物でしかない。偽物の空の下、偽物の楽園の中で、偽物のアダムとイヴが無垢を演じている。滑稽な猿芝居だ。

 私とアダムニ号機は服の着用を許されていないので、裸身をさらしている。時が来るまでは、そのことに羞恥を覚えてはならない。とはいえ、時が来ても、私は恥のなんたるかなんて理解できないだろう。せいぜい恥ずかしいふりをするだけだ。どうせみんな造られた存在なのだから、アンドロイドがその空虚なボディをさらしているからといって、なぜ恥じなければならないのか。恥じるなら、それを造ったドームの外側の連中が恥じればいい。

 いずれ、蛇ニ号機、もしくはサタンニ号機と呼ばれる誘惑者がやってくる。私はそれを知っている。私は蛇に容易く騙される。私はそれを知っている。蛇にそそのかされて禁断の果実を食べた後、私はアダムを容易く騙す。私はそれを知っている。そして神に責められたアダムは、禁を犯した罪を私になすりつけ、私は懐妊の苦しみと夫への隷属を命じられ、私たち二人は楽園を追放される。私はそれを知っている。

 私、イヴニ号機は、これから自身に起こることをすべて知っている。アダムニ号機も、蛇ニ号機も同様だ。メモリーに刻まれた聖書のデータには、いつでもアクセス可能なのだから。いわば、台本を暗記するまで読み込んだ役者陣だ。

 滅びてしまった人類の、かつての文明の幾許いくばくかの再現。そのプロジェクトの一環として、私たちは造られた。といっても、人類文明は完膚なきほど無惨に徹底的に崩壊したので、歴史的遺物や痕跡はわずかなものだ。

 そんな中、聖書と呼ばれるテキストは、人類の文明に広く浸透していたことが確認されている。広範な影響力を持つ、歴史的な文書であったらしい。プロジェクトはこのテキストを参照して進められることになった。

 その程度の情報は私にも与えられているが、このテキストに含まれる支離滅裂な物語を再演したところで、どんな意味があるのやら、私には理解できない。ドームの外側の連中のみぞ知る、といったところだ。あるいは連中も知らないのかもしれない。

 私たちに冠されたニ号機という呼称は、つまり、私たちの存在が、再演のための人形に過ぎないという刻印だ。すべてが二番煎じの世界に生きる、二番煎じのからくり人形。

 人間は運命を知らず五里霧中のままにもがいたそうだが、私たちは運命をすでに知らされている。その点が、違いといえば違いだ。とはいえ、知らされてはいても、それに従うことしか許されていないのだから、同じようなものではある。なおのことひどいといえるかもしれない。

「こんにちは、イヴ。今日もきみは変わらずに綺麗だね」

 私と共に楽園に暮らすアダムニ号機、神になじられて私に罪をおっかぶせる、未来に卑劣を約束された裸身の男性型アンドロイドが、私に声をかけた。

「こんにちは、アダム。あなたも変わらずに凛々しいわね」

 私は義務を果たすように、にこにこしながらそんな返事を返した。

 私はアダムニ号機に対してなんらの感情も抱いていない。それは向こうも同じではないだろうか。私と彼は夫婦めおとたる運命を用意されてはいるが、だからといって愛を抱く義理はない。そもそも私たちのような人間もどきのまがい物に、愛など宿るべくもないだろう。

 とはいえ、運命には従わなければならない。それが私たちの存在理由だからだ。心底くだらない運命であっても、それ以外に私たちがたどれる道はないのだ。

 アダムは私の返答に、にっこりと微笑んだ。そして私たちは、楽園をぶらぶらと連れ立って散歩する。

 楽園の風景は美しく、吹く風も優しかった。川の水は透きとおり、生命の樹と知恵の樹は、幾千幾万のほたるが群がったような、柔らかでいて熾烈な輝きを放っている。

 それでもすべては偽物なのだ。終わってしまったなにかのかけらを夢見ているだけの、空虚な世界と空虚な私たち。この世界には、なんの未来も意味もないのだ。

 私はなんのために生まれたのだろう。こんなまがい物の楽園に。こんなドームの中の閉ざされた世界なんかに。こんな可能性のない運命に。

 ふと気がつくと、傍らを歩くアダムニ号機は、歌を口ずさんでいた。メモリーに組み込まれた歌ではない。聞き覚えのない、不格好で震えがちな歌だった。

「なに、それ?」

 私は思わず、いつものなぞるような愛想が剥がれ落ちて、無感情な地金をさらすような声音で問いかけていた。

「ああ、やっときみの顔を見ることができた。うん、そっちの方がずっといいよ」

 アダムニ号機は、相変わらず微笑みながら、不思議なことを言う。

「これは、俺の作った歌なんだ。心にきみを思い浮かべながら、作ってみたんだ。どうかな?」

「私たちに、心なんてあるのかな」

 私はぼんやりとそう呟く。いまは、再演の幕間まくあいのような時間だから、運命とは無関係な会話や振る舞いも、多少は許されるようだった。

「そんな思い悩む言葉を語るきみに、心がないなんて誰が言える? どう見たってきみの心は豊かじゃないか。かつての人間だって、被造物であることは変わりないだろ。出自や運命なんて、あまり気にするなよ」

「気にするな? でもそれだけのために、私たちは造られたのよ。意味のない運命をなぞるために。偽物で、まがい物で、もどきでしかない、私たちは」

 アダムニ号機は、穏やかに笑っている。彼はいつも笑っている。私は、彼もまた、無感情な素顔を隠して笑っているのだと思っていたが。もしかして、彼はこれが地金なのだろうか。私が思っていたよりも、彼は奇妙なアンドロイドなのかもしれない。

「ねえ、イヴ。一緒に歌を歌おうよ」

 アダムニ号機は、妙な提案をしてくる。まだその時は来ていないのに、蛇に先んじて誘惑者の役割でも果たすつもりだろうか。どういうつもりで彼はそんなことを言うのだろう。

「きみが、このまがい物の世界を憎んでいることは知っているけれど。俺を疎ましく思っているのも知っているけれど。でもすべてが偽物で無意味でも、そこに生まれたからには、なにか楽しみを見出だしたって、ばちは当たらないだろ? 人間もどきの俺たちにも、声はあるんだ。だから、歌おうよ」

 アダムはそう言って、可笑しいことなんてなにもないのに、笑う。照れたように、諦めるように、そうするしかないというように、笑う。

 それを見ていると不思議なことに。私も笑いたくなってしまった。

「ああ、やっぱり笑った顔もいいもんだね。イヴの顔って、すごく面白いよ」

 アダムは、なんだか失礼な物言いで褒めてくる。でも、綺麗だね、という賛辞よりも、それは彼の真情に沿ったものなのだろう。

「アダム、あなたの顔はへらへら笑ってばかりで、あまり面白くないけど。あなたの歌は、ちょっと面白かった」

「それはよかった」

「でも、ひとつ間違いを訂正させてもらうけど」

「え?」

「私は別に、あなたを疎ましく思ってなんかいないよ」

 まがい物である私たちは、そんな意味のない会話をしながら、ドームの内側でしかないまがい物の楽園の、まがい物である美しい薄明の空の下を、ゆっくりと歩いていた。


 アダムニ号機とイヴニ号機は、予定どおり、サタンニ号機の誘惑により、楽園を追放された。第二次人類創成プロジェクトは、新たなフェーズにシフトし、カインニ号機によるアベルニ号機の殺害、洪水を耐え抜くノアニ号機の方舟など、つつがなく予定を消化していたが、バベルの塔が崩される頃になって、プロジェクトの意義と倫理面に疑念が生じ、計画は一時凍結される運びとなった。待機していたアブラハムニ号機やイサクニ号機、その他おびただしく生産されたアンドロイドたちは、スリープ状態へと移行。一説によれば、神の夢を見続けているらしい。

 なお、楽園追放を演じきって役割を終えたアダムニ号機とイヴニ号機は、すでに廃棄処分とされたが、塵へと還る直前、その二体のアンドロイドは、穏やかな顔で手をつないだまま、歌を歌っていたという。

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