第16話
二人で改札に通信デバイスで触れ、プラットホームに出る。寒さはここに至っては等閑視される。
「浅尾さんの私服初めて見た」
「地味で申し訳ない」
「可愛い、と思う」
「えー」
二人で照れているところに一時二十八分発の、滝川から来た東鹿越行きの列車が到着する。石狩平野と富良野盆地の寒さと雪原を貫く困苦とを、大仰な停車音が示す。
ここまで乗ってきたほとんどの乗客は富良野で降りる。朋彦は少しの間知り合いに会うのではないかと不安になってきょろきょろしていたが、すぐにそれを止めるくらい、二人でいることに慣れ始めていた。
四人掛けの席に腰掛ける。スカートの裾が少しだけ持ちあがり、太ももがちょっとだけ露顕する。
「そっちいっていい?」
「おあ、いーけど」
二人は進行方向に面して一緒に座る。
山部までは十四分。ずっと昔から十四分なのだ、と朋彦は父親から聞いたことがある。途中の布部で降りる乗客はビニール袋に野菜類を入れた一人だけ。
山部の駅に降り立つ。街から外れているためか、さらに寒く感ずる。風もやや、ある。耳に寒さと共に風音がもたらされる。二人は山部の密集していない住宅地や自動車整備工場の合間を抜け、博物館を目指す。会話は穏やかに交わされる。
富良野市立博物館は、古い農業高校の校舎を利用した施設だ。一九六七年(昭和四十二年)に建てられた校舎は改造に改造を、補修に補修を重ねられ、数年前に築百年を迎えた。昔、山部町が富良野市と合併する時に、その条件として持ち出したのがこの農業高校の設置だった。そんな解説プレートが正面玄関の前のモニュメントにある。
「山部って町だったんだね」朋彦が何気なく言う。
「うちのばーちゃんち東山にあるんだけど、東山も村だったらしいよ」
「そーなの。だから市街地あるんだなぁ」
二人は古えの校舎の中へ這入り込む。下駄箱があった場所とわかるところは、今は各種の生涯学習系の掲示板になっている。受付の人に声をかけ展示室へ足を運ぶ。
始めは富良野地方の自然について。森や、そこに棲む生き物。そして、縄文時代だとかアイヌ文化期などの考古学の資料。一旦廊下に出て、階段を上る。昔の漫画やアニメに出てくるような、古い時代の学校の構造。
小学校のころの社会科見学では、朋彦はこの建物が古い学校であるとは気がつかなかった。高校生になって、いろんな事物を学ぶ中で、学校という仕組みがかつてここにあったことを肌で感じることができる。
二階には明治の開拓時代から現在に至るまでの、昔の人が使った生活道具がいくつかの部屋に別れて並べられている。
朋彦は、浅尾はよく考えているなぁと感ずる。博物館はモノがあるから話題に事欠かない。普段自分たちが使っているものが、数十年前にも似た形であったのだ。あるいは、今では全く失われた用途の品々であっても、大抵の場合、それに代替する物品がある。縫うように博物館の中を進む。
最後にオープンスペースに出る。富良野の昔の写真を表示するデバイスがある。現在の富良野の地図とリンクしていて、指で触れるとその場所でかつて撮影された写真を閲覧できる。
朋彦は思わず自分の家の近くの写真をタップし捜索する。写真の一つを選ぶ。百年以上前の未舗装の道路の左右に木造の住居や店舗がある。店舗にはごてごてした立体看板が掲げられており賑やかそうだが雑然とした印象もある。自転車は変わらずある(古い形だけれど)。
浅尾が覗きこんでくる。写真検索を浅尾に譲る。山部の辺りをタップし、テーマごとの写真群を選択。山部合併問題に関心があるようだ。
「さっき展示室でも見たんだけどさ、山部が富良野と合併する時揉めたんだって」
珍しく浅尾が話すので朋彦は言葉を逃すことないように心を構える。
「あった」
浅尾が示した写真は、合併の可否を決める山部町民による住民投票の様子を写したもの。足腰の立たない老婆が親族と思しき男に背負われて投票所まで来ており、職員に助けられながら投票をこなしている。
「このおばあさんはもしかしたら身近に熱心な人がいて無理やりに連れてこられたのかもしれないんだけど、もしかしたら自分で行きたがったのかもしれない。どっちに投票したのかだってもうわからないけど、自分の町がどうなるか自分で決めるために、もう立てないのに頑張ってここまで来た。村とか町とか市とか当たり前にあるものがなくなるかもしれないってのはどんな感じなんだろ」
「富良野がなくなるなんて想像できないなぁ」
「あのさ……」
「なに?」
ややおいて浅尾が語る。
「私は学校があるから朋彦君と知り合えたし、学校で部活してたからその……《視覚透過装置》見つけて、それで朋彦君とお付き合いできた。あと一年で卒業だけど……高校生じゃなくなったら私たちどうなるんだろ」
朋彦は想像の埒外から問いを発せられた心地になった。自分の身の回りがあらためて学校で固められていることに気がつく。気の利いた言葉はついに現れなかった。
山部の駅前に見つけてあったカフェに、冷気と一団になった二人が入る。朋彦はアイスコーヒーを頼み、浅尾はココアを注文する。朋彦は哉子の妊娠の噂について話を振る。そして、その話題が学校の日常の中で流れ去ってしまう傾向にあると言う自説を展開する。
「朋彦君、私やきもちやかないからさ、岡田さんに普通に話ししてあげたら。なんか、それできるの今朋彦君しかいないような気がする」
「どうやって話せばいいのかわかんないよ」
「え? 連絡先知らないの?」
「知ってるけど」
「じゃあ普通に今から家に行くからって連絡すればいい。昔はよく遊びに行ってたんでしょ?」
「確かにそうだけど、でも学校でも最近話してなかったし」
「私は女子のグループ違うし、さっき言った通り朋彦君なら話せると思うよ」
「なんでそう思うのさ」
「なんでも、です」
列車の時間が近付き、二人は閑散としたホームに上る。寒気が一層強まり、天上からは少しずつ雪が落ちてくる。浅尾がまた語りかけてくる。
「ちょっと時間が過ぎてしまったんだけど、この時期、今日みたいな曇った日」
「なんした」
「夕方の太陽の光が雲と積もった雪とにおんなじように届いて、地上も空も全部おんなじようなグレーな色になるんだ。それでさ、私はその時間によく走ってるんだけど、自分の周りが一つに溶けたみたいになって……とても好き、なんだ」
「なんかかっこいいね。確かに今の時期だと、三時前くらいにそんな風になるかも」
「将来富良野に戻ってくるかもしれないけれど、とりあえず大学は他所に行くから。私ずっとこのことを忘れないようにしたいなって」
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