目が覚めたらマグロだった

浅山いちる

第1話 マグロになった

 ◇


 遡ること数分前のことだ。

 その時は会社帰り。スーツ姿で帰っていたはずだった。


『慶介(ケイスケ)。お前、魚なら何になりたい?』

『なんだよ、その質問。んー、でも、強いて言うならマグロ?』


 馬鹿なことが嫌いではない俺は、新入社員研修で知り合ってから意気投合したこいつとはこんな会話ばかり。今日もそんな会話の帰り道だった。


『へっ、なんだよマグロって。お前知ってるか? マグロってのは止まったら死ぬんだぞ』

『あ? そうなの?』

『そうそう』

『へぇー、まぁいいけどさ。――で、佑哉(ゆうや)、お前は?』

『俺はそうだな······鰤(ブリ)?』

『たいして変わんねぇじゃねぇか』

『馬鹿、ちげぇよ。鰤ってのは出世魚なんだぞ? 会社で例えるなら平から社長になるようなもんだ』

『そりゃ良い出世だ』

『だろ? だから、もうお前は変えるの禁止な。社会という荒波に飲まれながら働き続けるのだ』

『なんだその小学生みたいな発想』


 ――と、その時だった。


『その願い、叶えてやるぞよ』


 突如、目の前に現れた幼女······もとい、後でババアだと分かるその魔法使い。その腕を組む魔法使いが俺等の前に立ちはだかり、


『しかと聞き届けた。お主らには特別にワシの世界に招待してやる。そこで思う存分体験してみるがよい』

『ん? どうした、おじょーちゃん。迷子――』

『誰が“おじょーちゃん“じゃ!? ワシはもう八百歳になるわい!』


 そうして、何故か怒りを買った俺等は是も否も唱える前に、煙のごとく何もない空間から現れた杖を掲げる――そのババアの手によって異世界へ飛ばされたのだった。


 ◇


「――で、慶介。お前その格好なに? なんで魚の口から顔出てんの。しかもブリーフだし」

「いや、それお前もだから」

「ってか、微妙に髪出てるのキモいんだけど」

「どういうこと」

「魚の眉間みたいなとこにファッサァって髪生えてる」

「······ん、ホントだ。キモいな、これ、よく分からんけど。よく分からんけどキモいな」


 俺等は腕組みして互いを見ていた。佑哉の姿は鰤。人間ほどの魚の口から顔を出して、その魚の横っ腹と下から手足を出している。直前の会話で俺と違う箇所と言えば、彼の額から髪が生えているか、眉間から髪が生えているかだろうか。なんか扱い違くね?


「これ、さっきの子の仕業?」

「かねー?」

「どっちにしろこれ、お前が変に刺激しなきゃ良かったんじゃね?」

「いや、あんなのイタズラかなんかだと思うだろ。それに、普通夜にあんな子供が一人でいたら『どうしたの?』ぐらい誰だって聞くだろ」

「んー、それは、まぁ······」

「だろ? だからおかしいのはあっちだって。なんで若く言ったのに怒られなきゃいけねぇんだっての」


 まぁ、この辺りの佑哉の御立腹はよく分かる。俺等ぐらいの歳になると、どんな付き合いであれ、もし相手が女性ならば若く見積もって言わなくてはならない。それが社会の常識――処世術とも言えるから。


「にしてもさ、携帯とかカバンもないよな。慶介、これどうすりゃいいのよ」

「さぁ······」


 辺りを見渡すも四方八方は地平線、地平線、地平線、地平線。見渡す限りに草原と地平線だった。


「とりあえず、どこなんだ? ここ」


 ――と、俺が呟いたその時、


「なにごと?」


 佑哉の視線の先、至る所に現れる光の粒子。そして、まるで天から降り注ぐようなそれは、人を出現させた。皆が皆、同じ魚の格好をしている。


 いや······正確には違った。


「おい、慶介見ろよあれ! タイだ! フグも居るぞ! カサゴにトビウオまで!」


 趣味の一つが釣りの佑哉は、人か魚かこの異様な光景か、どれに嬉々としているか分からないほどの興奮を見せた。加えて、


「あっ、あそこにマンボウまでいるぞ! しかもあれ女の子じゃん!」


 そうして、まるでパーティー会場で声掛けでもするかのように、マンボウの女の子に近付いていく佑哉。俺はその様子を見ては呆れて溜め息。ついでに、さっきからこの異常事態に緊張を覚えているのか、喉が絞まっているのか、浅くなりつつある呼吸を整えようと「ん、んっ」と咳払いして深呼吸。


 それを終えた頃――。


「ちょちょちょ、ちょっと!?」


 駆け寄った佑哉の傍らでマンボウが瀕死になっていた。

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