第21話 神の教団
翌朝は寒さで目が覚めた。このセシュに入ってからは震えるような寒さも初めてで、今冬最後の悪あがきか、珍しく北から風が吹き付けている。ただし、南に向かうヴァンたちには都合の良い風向きである。
早々に身支度を整えていつもより早目に出立した。季節外れの北風は後背からの追い風になり、街道を進む足も随分と速くなる。昼前にははっきりと森の木々が判別できるところまで近づき、街道が森の中まで続いていることも肉眼で確認できた。とにかく街道を真っ直ぐに進んでいけば良い。
この森を越えれば本当にエデンがあるのだろうか、ヴァンの心の中で期待と不安が交差する。そして、俺はエデンに着いたら俺は何をすればよい。
そもそもはギルドの請負仕事である。
内容がアリサの旅の同行と護衛なのだから、ヴァンが特に目的や意義を気にする必要はないのだが、今回の旅についてはヴァンにとっても、全くの無関係とは思えない。道中で見た村の粛清の跡、幾度となく話したサルセ村についての告白、度々聞かされる魔族という言葉。単純に請負仕事だと割り切れない部分があった。
森を越えて、一同は目を見張った。目の前に広大な丘陵地帯が広がっている。緩やかな丘陵地帯は南の地平線まで続き、ヴァンがいる場所から目で見える範囲は全て耕作地である。教国の丘陵地帯に匹敵する広さではないだろか。
周囲は明らかに人の手が入っていることが分かる、整然と区画された麦畑が続く。
畑には冬蒔き麦の新芽が芽吹いて一面が緑で覆われている。温暖な気候のためか、教国よりも麦の生育が少し早いようだ。
遠方には教会の建物と思われる尖塔とそれを取り囲むように立ち並ぶレンガ作りの家々が見える。街道を真っ直ぐ進めば、やがてその街に至るところを見ると、そこが一帯の中心地であると思われた。それ以外にも耕作地帯には転々と集落らしいものも見える。土地にはいくつか小川が流れ、何本か石造りの橋を渡った。流れる水は澄んでおり、量も豊富だ。
街道を進んでいくと畑に人の姿も見かけるようになってきた。人々は余所者であるヴァンたちに特に興味を示すわけでもなく、黙々と作業をしている。地面に膝をつき、根元の雑草を丁寧に一本一本引き抜いている姿は、まるで神に祈りを捧げるかのようだった。
中心地に近づくに連れて麦以外の畑も目立つようになってくる。春に収穫できる野菜だろうか青々とした畑が続き、隣では次の種植えに向けて人々が畑に鋤や鍬を入れる。
噂の通りの豊かな土地である。ここがエデンなのだろう。
街道の行き着く先にある街は教国の他の都市と違い城壁で囲まれていない。そもそも外敵に襲われることを想定してないのだろう。戦争が終わり、国家や民族間の争いが無くなった時代に作られた都市ということか。
城門が存在しないため、街の境界は曖昧だ。点在する家を通り過ぎると、徐々に家々の間隔が狭まり、建物が密集する都市の景色に変貌していく。街道はそのまま街の大通りとなり、真っすぐ直線的に伸びた先には尖塔が見える。大通りは馬車がすれ違うのに充分な道幅があり、道の両脇には様々な商店が立ち並び人々で賑わっていた。
これほどの規模の街が教国では噂の域を出ないというのは解せない。あの荒漠とした大地に阻まれ、教国と隔絶されているからという理由だけとは思えない。
ダダンは灼熱の大地と呼んでいた。作物の収穫を終え、その収穫量に悲観して移動をす開始するのであれば、確かに季節は夏であり、セシュを渡るのはまず無理だ。ただ、ヴァン達のように季節さえ選べばセシュを踏破するのは不可能ではない。
突然、コルヌが馬に乗ったままものすごい勢いで駆け出す。
ヴァンは呆気に取られて見ていたが、気を取り直して後を追う。とりあえず俺が何があるのか見てくるから、皆は焦らずに来てくれ。そう言って馬に鞭を入れた。
コルヌは教会の建物の前で馬を止めると、転げ落ちるように下馬して、一人の男に向かって駆け寄った。抱き着いて何か叫んでいる。ようやく顔が見えるところまで追いつくと、ヴァンは仰天した。
コルヌが叫び続けている。
「ブルーノ、ブルーノだよな、夢じゃないよな」
探したんだそ。どこにいたんだ。何でこんな所にいるんだ。
コルヌの質問攻めが止まらない。
ヴァンは遠巻きにその様子を眺める。唐突すぎて、なんと声を掛ければいいのか分からない。やがて一行も到着し、真っ先にポシェが駆け寄る。グランも後を追う。ヴァンが振り返るとアリサとアッシュが何事かと顔を見合わせている。
いいかい、ご両人。
あれがブルーノさ。そう、俺たちのブルーノがエデンに居たんだ。
コルヌほど必死に探したわけではない。でも、会いたかった。またどこかで会えると信じていた。ヴァンを救ってくれ、父親と慕い甘えて頼った、あのブルーノだ。
皆から少し遅れてヴァンも輪に加わる。
「おお、ヴァンか。久しぶりだな、元気にしてたか」
何も言葉が続かない。胸に込み上げるものがあるがうまく表現できない。ようやく口をついて出たのは悪態だ。なんだよこっちの気も知らないで軽い挨拶しやがって、このクソ親父。
「悪かったよ。こっちも色々忙しくてな」
「今まで何してたんだよ。連絡ひとつ寄越さずに」
「まあ、なんというか、話せば長くなる。一言でいえばお前らが来るのを待ってた、かな」
「俺たちがここに来るって知ってたってことか」
「ああ、そうだ。まあ、詳しいことは後だ」
ブルーノは一歩進み出て手を差し出しヴァンに握手を求めた。ヴァンはブルーノの手を握る。そうだ、この手だ。幾度も助けられた、力強くて分厚くてゴツゴツしたブルーノの手だ。ヴァンはブルーノと握手をすることで、ようやく夢でなく現実なんだと認識できた。
教会の馬寄せに馬車と馬を止めると、ブルーノに促されて建物に向かっていく。
歩きながらヴァンはアリサとアッシュを紹介する。
「ブルーノだ、よろしく。こいつらは俺の子供らみたいなもんだ。ここまで面倒見てくれてありがとう」
「面倒見るってなんだよ、面倒みてたのはこっちじゃねぇか」
コルヌは不満を言ってみるが顔からあふれる出る喜色はどうやっても消せやしない。
建物に入ると広々とした礼拝堂になっており、優に百人ぐらいなら入れるほどの座席が設置されている。中央の通路を進むと正面は祭壇になっており、祭壇の手前に年老いた小柄な司祭が待っていた。頭はは短く刈りこまれた白髪で、魔道教会とは違い白色の祭服を身に着けていた。
「皆さま、ようこそエデンへ」
司祭は低く落ち着いた良く通る声で一同を歓迎した。
司祭は先導して礼拝堂に隣接する客間に案内すると、中央の大きな机を囲むように置いてある椅子に着席を促す。皆が座ったのを確認すると話を始める。
「あらためまして、遠路ようこそエデンへお越しくださいました。私は神の教団の教団長をさせていただいております、司教のブノワと申します。皆さまのことはブルーノさんより伺っておりまして、我々に聞きたいことがあるとのお話でしたので、このような機会を設けさせていただきました。お着きになられて間もないところで申し訳ございませんが、なにぶん私もあまり時間が取れないものでして、何卒ご容赦願います。」
部屋の奥から給仕が出てきて、皆にお茶と簡単なお菓子を配る。
ブルーノが立ち上がり、苦笑しながら、まあ急なことで驚くわなと話をつなぐ。
「まあ、なんだ、そもそも君らの旅を依頼したのは俺なんだ。勿論、ギルドに依頼を持ち掛けたのが俺というだけで、本当の依頼主は別にいる。今は依頼主の名前やその理由は明かせない。まあギルドの仕事だから、細かいことは勘繰らないのが約束事だし、そのあたりは勘弁してほしい。ということで、何時というのまでは分からないが、いずれ君たちがエデンに到達するだろうことは想定していたことなんだ。ラグの隊長が同行しているというのはちょっと想定外だがね」
アッシュを見ながら苦笑して見せた。
ギルドの隠れ家でポシェが大将から託った仕事の依頼主がブルーノだったということだ。
話はこうだ。
その依頼主から、軟禁されているアリサを救い出すこと、ギルドの数名でアリサの旅に護衛をしながら同行すること、という二つの依頼があった。旅の行き先はアリサ自身に決めさせるということで特に依頼主からの指定はない。同行するギルドの選別はブルーノが決めて良いということだったので、アリサと年齢的に近い四人を指定したということだった。
依頼主からは、旅をしていればいずれエデンに到達するだろう、その時には教団のブノワ司教との面会の機会を作ってやって欲しいというのが、ブルーノが直接依頼されたもので、そのためブルーノはしばらく前からこのエデンに滞在しているのだという。
ブルーノが言った「お前たちを待っていた」というのは、正にその依頼された仕事ということだった。
「とまあ、こういうことだ。それで、お前たちが想定通りエデンに来たということは、何かしらの目的があってのことだろう。俺には分からんが、それには司教との面談が必要なのだろう。時間もない、司教に訊ねたいことがあれば聞いてみろ」
ブルーノは俺の仕事はここまでだ、という面持ちで椅子に座り、乾いた喉を潤すようにお茶を口に運んだ。
ヴァンはおおよそを理解した。なるほど、どこまで行ってもこの旅はアリサの旅だ。俺たちはギルドの請負仕事として同行しているに過ぎない。それは紛れもない事実で当然のことだった。ギルドの仲間も同様で、ブルーノの話が終わると、緊張を解いて遠慮なく寛ぎ始めた。
重責を負わされたアリサだったが、ならば聞きたいことを聞いてやろうと、開き直った。
「魔道教会の三等魔導士でアリサと申します。本日はこのような機会をいただき有難うございます」
まずは丁重にお礼を述べる。本番はここからだ。
ブノワ司教は学生の質問を待つ教師のように、物腰やわらかく返答する。
「あらためましてブノワです。質問があればご遠慮なくどうぞ」
「ありがとうございます。まずは、このエデンという土地は伝承にある”エデンの丘”のエデンなのでしょうか」
「残念ながら違います。伝承の”エデンの丘”から呼び名だけ拝借して、教団がこの地の名としたものです。もともと”エデン”には楽園という意味がありますので、そのような場所になって欲しいという願いからつけられたものと聞いております」
伝承の地では無かったか、とアリサは嘆息した。
「教国内では噂でしかないエデンが、本当に存在し、そして噂通りの豊穣の大地であったことに驚いております」
「噂話ですか。これは私の考えですが、エデンに来訪する者は多いのですが、出ていく者が殆どおりません。また自給自足を旨としており他の地域と交易もしていませんので、あまり外に情報が届かないだけかと思います」
なるほど。ヴァンが先ほど抱いた疑問はいとも容易く解消した。言葉とは裏腹に、自給自足を徹底し交易をしないことにより、他の地域に情報を漏らさないよう意図しているのだろう。
「それでは、神の教団とは魔道教会から分離した一派だと聞いておりますが、間違いないですか」
「分離したのではなくこちらが正統だと訂正させていただきます。ご存じかもしれませんが、元々の教会は神への信仰に基づくものです。神の教団は名称こそ変わりましたが、神への信仰という意味で、元来の教会であることは疑いようもないことなのです。自身の存在意義を魔法に求めた魔道教会こそ新興だと申し上げましょう」
なるほど、ここはアッシュから聞いた通りだ。
「今、イブルス教国は原因不明の厄災に見舞われ、作物の収穫は減る一方で、多くの人々が村を棄てて逃亡しているという状況です。比べてこのエデンは土地は豊かで作物も豊富なようです。何が違うのでしょうか」
「教国のことは我々には分かりません。エデンが豊かなのは神のご加護と神によりもたらされた自然の恵みのおかげでしょう。昔と変わらず、日が昇れば畑に出て仕事をし、日が沈めば家に帰り神に祈ります。自然の摂理に反することなく作物の成長を見守り、恵みに感謝をして収穫します。我々が何か特別なことをしているということはございません。もし教国が厄災に見舞われているというのであれば、それは教国こそが自然の摂理に反した何か特別なことをしているのではないのでしょうか。人間もみな神のお導きにより自然の中で共存しております。大切なのは調和です。最も忌むべきは人間の独善ではないでしょうか」
何とも的を得ない返答ではあるが、その内容は草の民のダダンが言っていたことに近しい。
丁寧な受け答えではあるが、結局は原因は自分で究明せよということなのだろう。何かにつけ神を持ち出すのはいささか都合が良すぎやしないかとも思う。ヴァンは教団というものに若干の不信感を抱いた。
ただ、このエデンを見る限り、それが神の導きであるかどうかは別にして、人が幸福に生きていける自然と環境を神の教団がここまで整えたということは疑いようがない。
アッシュの言う通りであれば、教団が一から開拓した新天地である。ここまで来るのには相当の苦難があっただろう。何事も教えを乞うだけではだめだということかもしれない。神への信仰は拠り所にはなっても、実際に森を開き大地を耕し作物を植えたのは人の手だ。決して神が初めから恵んでくれたものではない。
「最後にお伺いしますが”エデンの丘”と呼ばれる場所、または伝承のエデンの地はご存じですか」
「お役に立てず申し訳ないですが、我々も存じ上げません。」
予想はしていたが、面と向かって知らないと言われると落胆は大きかった。アリサの質問が悪いのだろうか。これではこの旅がこのエデンで行き止まりになってしまう。
「アリサ殿は何故”エデンの丘”をお探しになっているのですか」
「教国を襲っている厄災について真実が知りたいと思っております。あくまで推測なので詳細は申し上げられませんが、その答えが”エデンの丘”にある気がしてならないのです」
「なるほど」
ブノワ司教は何か思い当たる節でもあるのか、少しの間考え込んだ。
「もしかすると、その答えには魔法が関係しているのかも知れません。先ほどこのエデンと教国との違いについてお尋ねになりましたが、大きく違うことと言えば、我々はあまり魔法を使わないということです。もちろん全くというわけではありませんが、土地は人の手で耕し水は川から引いております。作物の成長に必要な雨や日の光はあくまで神の差配によります」
アリサにとっては存外な言葉だった。古とは違い、魔法は人が生まれながらにして所有する能力であるとの前提で、魔法をいかにして人の役に立てるかを考える魔導士としては、魔法そのものに原因があるかもしれないとは思いもしなかった。
「魔法ですか。そういえば草の民も無分別に魔法を使うことはないと言っていました」
「ほう、草の民にもお会いになりましたか」
「道中で草の民のお世話になり、一時を共に過ごしました」
「それは良い経験ですね。もし魔法のことが知りたいのであれば今度は森の民にお会いなさい」
「森の民というのは初めてお聞きしました。どのような人々なのでしょう」
「それは実際に会ってご自身で確認されたほうが良いと思います。 森の民は西の大山稜を越えた先におります。ただ、私も実際に行ったことはないので、詳細な場所までは分かりません。まずは最も近い大山稜の麓にあるモンターニュを目指すとよいでしょう」
「ご助言ありがとうございます。是非、森の民を訪ねたいと思います。」
「それが宜しいでしょう。それでは、次の予定もございますので、私はこの辺で失礼させていただきます。他に知りたいことがあれば、ルブニールの教会にある図書室で写本を探されるのが良いと思います。かつての教会に関する資料や文献などもまだ残っているはずですので。それでは、皆さまに神のご加護がありますよう」
司教はそういうと満足げに退席していった。ようやく終わったとアリサは吐息した。終始緊張して疲れる会談だったが、次の目的地が決まったこともありまずは有益だった。
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