第14話 其々の思い
アッシュたちは、その日は結局アリサ一行に追いつけぬまま、日暮れとともに街道沿いの草地で野営をした。ラグは都市の治安維持が主であるため、中には野営など初めてだという者もいて準備に相当の時間がかかった。
ほとんど街を出ることのないラグではあるが、罪状によっては今回のように城外への追跡が任務となることはある。犯した罪が大きければ長期に渡ることもあり、野営だけでなく、長時間の乗馬や馬具の管理、地図の解読や地形の把握などもラグには必要なスキルである。しかしながら、街に居ての訓練では上達は望むべくもなく、配下の者にもこの旅は良い経験になるだろうとアッシュは考えていた。
翌朝になり、二名ほどを偵察のため先行させ、残りの者は朝食を取り荷と馬の準備を整えると、再び街道を南に進み始める。街道沿いには村落も見当たらず、箇所箇所で周囲を探索させるが、建物の屋根や炊煙すら見つからない。
暫く進むと早朝から先行していた隊員が駆け戻ってくる。
「アッシュ隊長。ここから一刻ほど走った先に村があり、馬車や馬の足跡を複数確認しました」
ご苦労、とだけ返答しアッシュは皆に急ぐよう号令した。馬の脇腹を足で叩くと先頭を切って駆け出す。続く晴天で悪路も解消されており、鞭を入れて走り続ければ、半刻も経たずに村が見えてきた。街道脇に足跡を見つけると、
村の中には人影がない。馬を降り隊員に周辺の捜索を命じると、アッシュも家々の戸を開けて中を確認して回った。家内で仮泊した跡も野営の形跡もなく、何の手掛かりも見付けられぬまま、自然と村の中央にある広場に皆が集まってくる。隊員の一人が何かを踏みつけたように前のめりに転げる。躓いたところには何か黒い物体が顔をのぞかせている。注視すれば、そのすぐ脇には雪を払いのけた後があり、そこにも黒い物が見える。
アッシュは皆に足元の雪を払うように命じた。次々を黒い物体が見えてくる。そして異様な悪臭が周りに漂う。死体だ。それも焼けた死体が何体も転がっているのだ。
副官のクロケットが
「これは、誰かに皆殺しにされたということでしょうか。まさかギルドの連中が」
「いや、ギルドでは無いだろう。見た通り雪を払った形跡がある。細道に足跡がまだ残っていたことを考えれば、連中が村に寄ったのは昨日の事だと分かる。死体は雪に埋もれているから、先日の大雪の前に殺されたはずだ」
あるいは未来を悲観した集団自決か。いや、それにしては数が多すぎる。やはり誰かに殺されたのだろう。大雪のために死体を片付けることも埋めることも出来なかったということか。
「確かにそうですね。とすれば、これは誰の仕業でしょう」
「分からない。これほどの人数を纏めて殺せるとなると、それなりの技量が必要だ。三等魔道士あたりでは無理だろう。よほど能力の高い魔導士か、そういった特別な訓練を受けたものが世の中にいるか」
「魔族でしょうか」
「うむ。なんとも言えないが、魔力を駆使したことは事実だ。魔族というのは寓話の産物だとしても、話の元となる強力な魔法が使える種族か集団が、どこかに存在しているのかもしれない。いや、少々妄想が過ぎるか」
魔族のような得体のしれない者の仕業ではないとすれば・・・。アッシュの頭には思いもよらない言葉が浮かんでくる。そんなはずはない、そもそも殺す動機がない。
心では否定するが、頭で論理的に考えを進めると、ここまで魔力を使えるのは他に思い当たらないのだ。アッシュは頭に浮かんだ魔道教会という言葉をどうしても消すことができなかった。
年老いた男が一人、連行されてきた。
「隊長。奥の家に潜んでいたところを発見しました。この村の者だそうです。昨日村に到着したら既にこの状態だったと言っています。それよりも、アリサ魔道士一行だと思われる馬車に乗せてもらって村まで来たと言っています」
「なんだと、それは本当か」
「はい。男二人が馬に乗り、女の御者が馬車を動かして、荷台にはもう二人女がいたそうで。そのうちの一人が魔導士の服を着ていたと」
「確かであれば、アリサに違いない。それで、連中はどこに向かったと言っている」
「はい、なにやらエデンという場所を探すと言っていたと。この男が南にエデンと呼ばれる楽園があると話したところ、興味をもってそこに行くと言っていたそうです。ただ噂話なので、男にも正確な場所は分からないようで」
「了解した。ご苦労であった。とりあえずは南だな」
アッシュは老人を解放してやれと命じた。解放された男は逃げるでもなく、その場に立ったままアッシュを睨みつけて面罵する。
「あんたたちはラグだよな。村の人を皆殺しにした犯人をすぐに捕まえてくれ。どうしてこんな悪逆非道なことが起こるんだ。一体、あんた達は今まで何をしてたんだ。エデンなんかどうでもいいだろう。すぐに犯人を探し出して処罰してくれ」
こんな、なんて酷い、なんて
無念であろう、アッシュは思った。
だが、老人の気持ちは分かるが、残念ながら自分の任務はアリサ魔導士を追跡することだ。この一件に関わっている暇はない。誰かにこの老人をシェーブルに送らせよう。後のことはシェーブルのラグに任せればよい。
いや、本当にそれでいいのか。
確かに枢機卿からの命令は絶対だ。しかし、教会の正式な司法機関であるラグに所属する者として、このまま放置しておくなど許されるはずはない。
アッシュは悩んだ。
果たして、自分が忠誠を誓っているのは誰に対してだ。枢機卿か、否、教会そのもののはずである。自分はまごうことなく魔道教会の一員であり教国の司法取締官なのだ。司法取締官として、しかるべきところに事態を報告し、調査を指示する。同様のことが他の村でも起きていないかも確認したい。そもそも周辺の村落の少なさにも疑念がある。理由があるなら知りたい。
アッシュは決意し、男を連れて一旦シェーブルに戻ることを選択した。
上位の者の指示に従うだけで、人々の期待に応えられていないからこそ、ラグは役立たずだと憎まれる。お前は今まで何をしていたと罵られる。
職務を全うするだけだ、と自分を鼓舞する。
同時に隊員たちにを自分の身勝手に巻き込んでしまうことを心苦しく思う。だが、あれだけ多くの人が殺されたのだ。許してほしいと心の中で頭を下げた。
ヴァンはラグよりも一日ほど先行していた。粛清の村を出た後も相変わらず周辺に村落は見当たらない。そうであるならば、先を急いで一刻も早く『草の民』を探しだしたい。
ヴァンはサルセの村の真相を知りたいという気持ちだけでなく、十年経った今も続いている教会の粛清について、止められるなら止めたいという思いが強くなっていた。のんびりと旅をしている場合ではない。この間にもどこかの村の人々が殺されるかもしれないのだ。そう思うと気が焦った。
ギルドの仲間もみな理由は違ったが同じ気持ちだった。
コルヌはまだ十代の頃にどこからか里にやってきて、いつの間にか住み着いた。里に来た当初は、世の中を拗ねて見るような性格で、態度も傲慢で仲間と打ち解けず、時に悪事をしでかし孤立した。ブルーノはコルヌを邪険にすることなく、コルヌの言うことに真面目に耳を傾け、時に叱り、時に諭した。コルヌに世の中の見方を教え、人としてあるべき姿を身をもって示した。コルヌにとってブルーノは恩師であり父親だった。ブルーノの背中を見て育ち、ブルーノのようにありたいと願った。
そういう意味ではコルヌは根っからのギルドなのだ。愚劣で横暴で人を疑うことしか知らなかった最底辺から生まれ変わった。ギルドの正義感と義侠心こそがコルヌの道標であり、だからこそ理不尽なことを徹底的に嫌った。
村での光景を見た後は、終始憤っていた。教会から追われている身とはいえ魔導士であるアリサが近くにいようがお構いなく、教会なんかクソくらえだと言って憚らなかった。
ポシェも同様である。ポシェの教会嫌いはギルド内では周知であった。教会には怨嗟がある。幼少のころから教会に目をつけられて父と共にに地方を転々としていたのだ。ギルドの里に来たのが十歳ぐらいであったから、それまでは想像できないような不遇の時を過ごしたのだろう。天真爛漫で多少身勝手で人との間に壁を作らずに懐に飛び込んでくるのも、そういった鬱屈した記憶の裏返しなのかもしれない。
だいたいね、あいつらのやることなんか信用しちゃいけないのよ、とコルヌと一緒になって毒づいていた。
肩身が狭いのはアリサだった。アリサは子供のころから教会の孤児院で育っているため、教会こそが故郷である。その教会を罵倒されるのは許せなかったが、今回ばかりはアリサにも思うところがある。人が殺された現場を見るなど初めてで、心の動揺は隠せなかった。人は人生を全うし寿命がくれば神の意思に従い天に召されるものだと信じて疑わなかったアリサである。人の苦悩や絶望、悪意や憎悪などを知らずに育った自分は、まるで籠の鳥であったのだと痛いほどに思い知った。
グランはそんなアリサに母か姉のようにそっと寄り添い続けた。ヴァンにもグランの心の中は覗けなかった。思いは同じだろうとは信じていたが、表情だけでは他の仲間のように推察することもできない。アリサから片時も離れずに見守る姿にはグランの心の強さを感じた。ヴァンや仲間が想像できないぐらいの挫折や絶望を味わったことがあるのかもしれない。
ヴァン達は、昼夜交代で馬を走らせた。寝るときは荷台で寝た。馬に騎乗できるのがヴァンとコルヌとポシェだったので三人で交代制にし、馬車の御者はグランと、旅の中でポシェに教えてもらいどうにか操縦できるようになったアリサが務める。アリサの操縦は心もとなかったが、こうなったら慣れてもらうほかない。
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