魔法の国のエデン -エデンの丘を下りし聖なる地にてー
NAOKI
第1話 魔族の子
魔法が人にもたらされて200有余年。
かつて、この世界が王家や貴族が支配する王国であった時代、人と魔族の間で長年に渡り争いが続いていた。お互いの被害は甚大であり、既に争いが始まった理由も獲得すべき目的も見失っていたが、それでも戦いは終わることを知らなかった。
ある時、「エデンの丘」に神託を受けたという一人の魔道士が現れ、神の導きにより人に魔法をもたらした。魔法を手に入れた人は魔族との戦いに魔法を用いて対抗し、遂には魔族を駆逐し長い戦いに終止符が打たれた。
戦争の爪痕は深く、人口は半減し国土は荒れ果て、民心は
その過程で建国された国家が現在大陸で唯一となる国「イブルス教国」である。
教国暦253年、晩秋。イブルス教国の北東部の外れにある小さな村サルセ。
正午を過ぎたばかり時刻でまだ日も高いにも関わらず、麦の刈り入れに行っていた村人が重い足取りで帰ってくる。皆一様に沈痛な面持ちで、迎える家族も言葉少なに迎い入れ
教国でも北部にあり冬の厳しいサルセ村は、麦の種は春に撒き秋に収穫を迎える。今朝から北側にある畑に村人総出で麦の収穫に行っていたのだが、やはり状態は思わしくなかったらしい。
近年、サルセ村で耕作している作物の生育が著しく悪くなっている。収穫量は年々減少し村全体で一年を過ごすのにも心もとない量になってきている。人々が当惑するのは、その理由や原因について誰も皆目見当がつかないでいるからである。
以前の世界では干ばつや水害、害虫や疫病など作物を収穫するのには大変な労力を必要とし、時に人の手ではどうもできない被害もあったと聞いている。つまりは、収穫量が少なくなるには相応の理由が明確であり、時に人知を越えた厄災もあるにはあったが、多くはその対策もとりようがあったのである。
教国となってからは、魔法により天候や病害などにあまり左右されなくなると、農作業は計画通りに進められ収穫量は年々増加していった。ところがある時期を境に作物の生育が悪くなり、成長しても実入りが悪く充分な収穫が出来ない事態が続いた。
今秋も実の出来具合をみながらギリギリまで収穫を引き延ばし、いよいよ霜も降りようかというこの時期になってようやく刈り入れを始めたのだが、既に収穫を終えた村の東、西、南側の畑では、予定されていた量の三割ほどでしかなかった。今日の北側の畑がサルセ村にとっては今年最後の刈り入れだったが、同様に発育状況は芳しくなく、もう数日だけ待ってみようということになり、早々に引き上げてきたらしい。
一軒の家の前で心配そうに待つ母子の元にも父親が帰ってきた。長身でがっちりした逞しい体つきだが、今は両肩を落とし大きな体を縮こませて消沈した面持ちで歩いている。
「あなた、お疲れさまでした。それで、北の畑はどうでした」
「ああ、どこも同じ状況だ、実入りが良くない。今日の刈り入れは中止になった。数日待ったところで状況は変わらないと思うが、丁度、明日、教都から教会の司祭様が村に来ることになってるから、まずは司祭様に状況を見てもらってから収穫しようということになった」
「そうね。司祭様なら何かご存じかもしれないし。それにダメでも何かしら援助をお願いできるかもしれない」
「ああ。そうなると良いが」
父親は憂わしげな表情で母親の背中をさすりながら嘆息した。
母の隣で心配そうな顔をしている子供を見て取ると、すぐさま柔和な顔にあらためて、両脇に手を差し入れると頭上高く抱え上げた。
「心配するな、大丈夫だぞ。母さんの言う通り、司祭様が来てくれればなんとかなるだろう。ところで、魔法の練習はどうだ、ヴァン」
抱えた子供を地面に戻し、今度は自分が屈みこみ子供の高さに合わせた。
「頑張ってるけど、まだ使えない・・・」
「そうか。まあ、そのうち出来るようになるだろう。明日、時間があったらヴァンの魔法のことも司祭様に聞いてみることにしよう。司祭様にかかれば、あっさりと魔法が使えるようになるかもしれないぞ」
「うん・・・」
夫婦には作物の収穫とは別に、心配事がもう一つあった。
息子のヴァンがもう七歳にもなるというのに魔法が全く使えない。同年代の子供たちは、熱心に教えることもなく親や兄弟のやることを見よう見まねで遊んでいるうちに自然と魔法が使えるようになる。やり方が間違っているのか素質がないのか、ヴァンはきっかけすら掴めていない。
ヴァン自身も、魔法を使えないことで、ひどく落ち込んでいる。同年代の子供からは何かにつけ馬鹿にされ、もっぱら魔法遊びに興じるので仲間にも誘ってもらえない。近隣の大人も少し前までは「頑張りなさい」と応援してくれていたが、最近では遠巻きに「かわいそうな子」という視線で見られることのほうが増えていた。
父も母も、日々優しい言葉をかけてくれるが、それが鬱屈を晴らしてくれることにはならなかったし、何よりも魔法が使えない理由や直すべき所が分からないことがヴァンの不安を増大させた。
まだ七歳の子供では不安と戦うすべを知らず、毎朝期待し、毎晩くじけた。
翌日の昼過ぎになって、サルセ村に司祭とその従者が到着した。村長が村の入り口で二人を出迎える。詰襟の
「ようこそ司祭様。遠いところをおいでいただき有難うございます」
「こちらこそ出迎え恐縮です。あなたが村長殿ですか」
司祭の言葉使いは丁寧であるが、低音で硬質な声と感情のない平坦な口調が、冷たく人を拒絶しているかのように感じさせる。
「はい、サルセ村の代表をさせていただいております。長旅、さぞかしお疲れでしょう。奥に粗末ながら昼食の用意もございますので、まずは休憩をしていただき・・・」
「いや、早速だが畑を拝見したい。思ったより到着が遅くなってしまったので時間もない。来る途中に確認しましたが、村を囲むようにある畑全てがこの村のもですか」
「そうでございます。東西南北と四方にある畑全て村のものでございます」
「北側の畑はこの時期になってもまだ収穫がされていないようですが」
「最近、麦の生育が非常に悪く、その状況も併せて司祭様に見ていただこうと刈り入れを伸ばしておりました」
「なるほど。では早速、畑に案内していただけますか」
「あの、ご休憩は」
「申し出は有難いですが、先ほども言ったがあまり時間がありません。いろいろ見て回りたいので、案内をお願いします」
これ以上の問答は不要とばかり踵を返し、村長を案内にして従者とともに畑に向かっていった。
荒凶への不安と司祭への期待、滅多に訪れない都からの来訪者への好奇心とがないまぜのまま、その場に放置されてしまった村人たちは肩透かしをくらって悄然としている。
村の規則や慣例に従って決められたことを繰り返しているような農村の者にとっては、都市から来た人の想定外の行動にはあまりに不慣れで、これは文句を言うべきか、落胆することなのか、はたまた、当然の成り行きなのか、心の置きどころが無かった。
仕方なく其々が思いつくままの勝手な理由を見つけて、強引に納得して引きあげる。
ヴァンも期待が外れた格好でその場に取り残された。
司祭様が戻られたらあなたの話もしてみましょうね、と母に諭され素直に家に戻ることにした。期待が外れたのは残念だったが、裏切られることには慣れている。司祭様が戻ってきたら、とあらためて思い直すことが少し怖かったが、そう思う以外に仕様がない。上下する気持ちを鬱陶しく思ったり、諦めきって
一行が村に帰ってきたのはすっかり日も落ち辺りが暗くなった頃だった。東西南北全ての畑の様子や土の状態、北の畑に残っていた麦の生育状況を調べ、それだけではなく、さらに足を延ばし周辺の川や森なのどの様子も見て回ったらしい。司祭は村長の家で一服の休憩をした後、さして間を置かずに村人を村の中央にある広場に集めた。
幸いにも空は晴れ上がり満月にも近かったため、月の光が村を照らし松明をつけずとも、人々の顔を識別することができた。
「サルセ村の皆さん、視察に時間がかかり、遅くなってしまい申し訳ない」
村人全員が広場に集まっているのを確認してから司祭が話を始める。
「全ての畑の状況と、北側に残る麦の生育を確認しました。私も他にも同じような状況の村をいくつか見てきましたが、サルセ村の状況はかなり悪いとしか言いようがありません。もう数年早くみていれば改善のしようもあったかもしれないのですが既に手遅れでした」
手遅れ・・・。
つまり、どういう事だろう。皆、固唾を呑んで次の言葉を待つ。
「ついては、教会の法にのっとり決断しなければなりません」
司祭は深く息を吐き、判決を言い渡す裁判官のように姿勢を正す。
「サルセ村は棄村いたします」
きそん。
広場に集まる人々は、その聞きなれない言葉に戸惑った。誰も言葉を発するものはなく、互いに顔を見合わる。司祭がその真意を語るだろう、これからどうすれば良いか具体的な行動を指示してくれるはずだと、期待か希望か黙ったまま、ただ司祭を仰ぎ見る。
ところが、しばらく待っても司祭は何も語らない。
皆の視線は自然と村長に集まった。促されるように村長が発言する。
「棄村というと、村を捨てるということでしょうか。急に村を捨てろと言われましても我々はいったいどうすれば・・・」
質問とも反抗とも違う、判断のすべてを他人に委ねるようななんとも歯切れの悪い問いかけである。それでも村人は司祭の返答をひたすらに待った。
司祭は答えない。周囲は静寂に包まれている。
耳をすますと、誰かがささやく声が聞こえてくる。誰だろうと周りを見回していた村人の眼差しが、次第に司祭に集まってゆく。確かに司祭が俯むき加減で何か呟いている。先ほどから沈黙していたわけでは無かったのだ。周りの薄暗さもあり口の動きまでは見えないが、祈りをささげるような小さな声で何かを唱えている。
しばらく詠唱を続けた後、おもむろに顔をあげると村人を見据える。
「神のご加護があらんことを」
短い言葉を口にすると同時に右手を天にかざした。
かざした手のひらから数メートル上方に光源が発せられたかと思うと、見る間に光の玉が大きくなっていき、一瞬輝きを増したと思った瞬間、それは無数の光の矢となり村人の頭上に降り注いだ。
ヴァンには何が起こったのか分からなかった。
見上げていた光の玉が矢の形に代わり、人々に向けて飛んで来るや体のあちこちを貫く。ヴァンの頭や腕、胸のあたりも貫いた。何かが体に突き刺さったという感覚はあったが、痛みは全く感じなかった。周囲からは村人の悲鳴や悶絶の声が聞こえてくる。両脇にいた父と母も仰向けに倒れたまま動かない。まるで本物の矢を受けたかのように光に貫かれた部分から血がどくどくと流れ出る。
いったいどうなっているんだ。
ヴァンは父さん、母さんと絶叫に近い声で叫びながら、二人を揺り動かす。まるで反応がない。流れ出る血も止まらない。
お父さん、お母さん、起きてよ。どうしたんだよ。
僕だよ、ヴァンだよ、答えてよ、返事してよ。
ねぇ、起きてよ、起きてよ、起きてよー。
ひとしきり叫び続けたところで、辺りがすっかり静かになっていることに気づいた。
先ほどまで聞こえていた村人の悲鳴やうめき声が止んでいる。見渡すと広場に集まっていた人々が一様に地面に倒れ、微動だにしない。
呆然としているヴァンのところに司祭と従者がこわばった表情で近づいてくる。従者が何か小声で話しかけ、それに司祭が頷く。何かに得心したような表情で指示をだす。従者がヴァンを強引に立ち上がらせ体中を確認する。
「司祭様。調べましたが体中のどこにも、傷ひとつありません」
「まさか、こんなところに魔族の子がいたとは」
従者は、どうしますか、と次の言葉を促す。
「ひとまず近くの教会支部に連れて行きましょう。対処は着いてからから考えます」
「村はこのままでよろしいでしょうか」
司祭は驚愕の表情を浮かべていたが、すぐに元の冷徹な表情に戻り事務的に返答する。後は別のものが対処してくれる、問題ない。
ヴァンはこの短い時間で起こった出来事に整理がつけられないでいる。
父も、母も、他の村人も皆が死んでしまったのだろうということは認識できた。「死」がいったいどういうことなのかは幼いヴァンにはまだ良く分からないが、ただ父や母から引き離されるだろうこと、二度と触れ合い語り合うことができないのだろうことだけは理解できた。全身が震え、どうしようもなく涙がこぼれた。
やがて、一つの言葉が幼いヴァンの頭の中を支配した。
魔族の子。
僕は魔族の子なのだろうか。
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