鬼が来る

 廃集落の位置関係は、指揮所のある家を中心に4軒の家屋が正十字に位置するように建てられていた。

 なのでそれぞれの家屋の間を通らなければ、指揮所を設置した中央の家に辿り着く事は出来ない。これを利用し、家々の間に塹壕を構築して歩哨を実施する事が決まった。2人1組で交替しながら2時間ずつ見張り、朝を待つ算段である。


 家々に常駐する隊員たちは、部屋の隅に置いた蝋燭の優しい光を横目にまどろんでいる。安全装置を掛けた89式小銃を腕に抱いたまま不測の事態に備えていた。布団はないが雨具を床に敷き、背嚢を枕にして歩哨の交替を繰り返す。

 時刻が26時に差し掛かろうとした時、第3班が見張る方向に異変が起きようとしていた。


 空は分厚い曇り空で星は見えない。霧は昼間よりも収まっていたが、それでも目に見えるぐらいの濃さは保っている。

 家々の間から延びる道は全て森の中へ続いており、その暗闇から何が向かって来るか分からない異様な怖さを醸し出していた。そんな道の両脇に掘られた2つの塹壕の中に収まるのは、第3班に所属する岩樹二等陸曹と大川陸士長である。

「大川、1時間寝てていいぞ。何かあれば起こす」

「寝られたら寝ます。どっちにしろこんな状況じゃ眠くなりませんけどね」

「ほら、俺のとっておき分けてやるよ」

 岩樹の塹壕から何かが飛んで来た。暗くてよく分からないが、銀紙に包まれたそれは恐らくチョコレートだった。

「よくバレませんでしたね、こんなん何所に忍ばせてたんですか」

「隠す場所なんて無限にあるだろ。今度、点検の誤魔化し方を教えてやるよ。生きて帰れたらな」

「岩樹さんそれフラグですよ」

「言うなよ、俺もそう思った所なんだから」

 異常事態の発生から、早くも24時間が経過しようとしていた。状況もよく分からないまま彼らはこの世界に放り出され、謎の廃集落で身を寄せ合う事になったのである。

 糧食で胃は取りあえず満たされているが、口に放り込んだチョコの甘さが精神にも満足感と落ち着きをもたらした。


 塹壕から突き出す89式のストックに頬を乗せて森を注視し続ける。何も起きないまま30分ばかりが経過し、眠気が襲って来た大川は岩樹に少し寝ますと言い掛けた瞬間、暗闇の中を水平に右へ移動していく光る何かを捉えた。

「前方、距離は不明。右方向に水平移動する物体を視認、数は1つ」

「確認した。向かって来た場合はまず警告と上空及び足元への威嚇射撃を実施。それでもまだ来るようなら当てていいぞ」

 大川は89式の槓桿を少しだけ引いて初弾が入っている事を確認し、セレクターをゆっくり単発に送り込んだ。岩樹もMINIMIのバレルを塹壕の外に出して射撃体勢に入っている。

「…………こっちに来ます」

「射撃用意」

 隣の岩樹がMINIMIの安全装置を外す音と同時に大川も89式のバレルを掴み、上空への威嚇射撃に備えた。

 次第に距離が縮まっていくと、近付いて来てるのは昨夜に見たのと同じ金色の目である事が分かった。しかし、その全貌を見た2人は余りの衝撃に脳が理解する事を拒んで、軽度のパニックに陥っていた。

「岩樹さん……お、鬼ですよあれ」

「分かってる……見りゃ分かる」

 闇の中、金色に煌々と輝く両目。身長は目測で約3m、ボサボサの髪と口から伸びる大きな牙。鋼の肉体と言っても過言ではないその体は血の色に染まっており、両足には鋭い爪が見えた。口の両脇から湯気が不気味に立ち昇り、布切れだけを腰に巻いて堂々と暗闇を歩いている。そして何より、2人の視線はヤツが右肩に抱える巨大な棍棒に注がれていた。

「俺が警告する、援護しろ」

 岩樹が塹壕から出て膝撃ちの姿勢に入った。こちらに向かって来る存在に対して警告を発する。

「そこで止まれ! 撃つぞ!」

 塹壕から1回目の警告射撃が行われる。89式の乾いた発砲音が響き渡った。しかし効果はなく、歩みを止める事はなかった。

「もう1度だけ警告する! 止まれ!」

 今度は足元へ威嚇射撃を実施する。それに怯んだのか分からないが、一瞬だけ足が止まった。

 鬼は銃弾の当たった足元を見ている。どうやらあの目はしっかりと機能しているようだ。だが左程の脅威ではないと判断したのか、再びその足を進め始めた。

「大川、撃て」

「了解」

 足へ向けて3発撃ち込んだ。銃弾はめり込んでいるものの、歩く事は止めていない。ここで銃声を聴き付けた仲間たちが集まって来た。全員がこちらに向かって来る鬼を肉眼で確認する。

「……何だアイツ」

「でけぇ棍棒担いでやがる、あれで俺たちをどうする気だ」

「誰か指揮所に行って状況を伝えろ! 長くは持たないぞ!」

 岩樹がそう言いながらMINIMIを5点バーストで撃ち始めた。曳光弾の輝きが足首、太もも、わき腹、心臓へと的確に送り込まれていく。何度かよろけているので全く効いていない訳ではないようだが、これでは焼け石に水と同じだ。

「非常呼集だ! 緊急事態発生!」

 信号弾が撃ち上がると同時に笛が鳴り響いた。これによって飛び起きた隊員たちはそれぞれの家から飛び出し、淡い光に照らされる中を走って岩樹や大川、3班の隊員たちが居る場所へ殺到する。

 そこに集まった誰もが驚きを隠せなかったが、銃弾が全く効いていない光景を見て思考を素早く切り替えていった。あれに勝つには何かしらの作戦が必要そうである。


 中央民家の2階で寝入っていた小田一尉たちも騒ぎを聴き付け、雨戸を開け放った。鳴り響く銃声と照明弾の光り、走り回る隊員たちが目に飛び込む。

 大急ぎで階段を駆け下りて家の外に出ると、状況確認のため真っ先に飛び出した塚崎が待っていた。

「何事だ」

「3班が何者かと接触しました。警告も一切無視して接近中です」

「1班2班、4班の各班長は集合!」

 斉藤、五十嵐、林の各班長が集まるそこへ3班の伝令が走って来た。第3班長の遠藤二曹が何か作戦を立案したらしい。

「伝令! 無反動砲の使用許可を願います!」

「目標は何だ! それ程の相手か!」

 手榴弾も小銃てき弾も通り越し、小隊が持つ最大火力をぶつける許可を得に来た伝令に、小田は思わず声を荒げた。しかし伝令はそれに臆する事もなく反論する。

「銃弾を全く寄せ付けません! 最大火力投射の必要ありと考えます!」

 しかしこの集落内では味方に被害を及ぼす危険もある。それに相手との距離が近すぎると最悪の場合、信管が作動しない可能性も高い。それでは効果が減退してしまう。

「てき弾と手榴弾の集中運用ではダメか? 正直この集落内で砲の使用は危険過ぎる。家を壊したら持久戦は難しいぞ」

 塚崎がそう提案した。伝令はその内容を伝えるべく踵を返して走り去る。小田一尉たちも彼の後を追って第3班の元へ急いだ。


 ヤツを一目見た時、こちらの携行火器が一切通用しなさそうな事を悟った。であれば、無反動砲か爆薬による攻撃がベストと思われる。

 爆薬の設置は少しばかり時間が必要だが、無反動砲は着発しなくても当たれば強力な質量弾だ。ヤツに効くかは分からないが並の人間なら即死するだろう。

「報告! 小銃擲弾及び手榴弾による代替措置を提案されました! 無反動砲の使用については状況が厳しいとの事です!」

 伝令が戻って来てそう伝えられた。その提案でどう作戦を立てるか考え始めたとこへ、小田一尉たちが現れる。

「遠藤二曹、目標との距離は」

「100mもありません。こちらの射撃は当たっていますが、全くダメージになっていない模様です」

「班長! 突っ込んで来ます!」

 向こうを見やる。ヤツは肩に担いでいた棍棒を両手で持ち、上段に大きく構えながら突進して来た。あの巨体からは考えられないほどのスピードである。

「退避! 退避!!」

 大急ぎでその場を引き払った。数十秒としない内にヤツは集落に達し、自身の身の丈はあるその棍棒を3班が居た場所に振り下ろした。直下型地震にも思える振動と、腹の底に響くような鈍い音がする。

「班ごとに集合しろ! 負傷者は居ないか!」

 素早く集計が済んで全員の無事が確認された。ここまでされては戦わない訳にはいかないだろう。

「1班と3班は右翼、2班と4班は左翼へ展開! 機関銃手はとにかく撃ちまくれ! 手榴弾の使用も許可する!」

 命令の伝達と共に各班が移動。地面から棍棒を引っこ抜くのに手間取る鬼に対して左右に展開し、全ての銃口が同じ目標へ向けられた。

「位置取りに注意しろ! まずフラッシュで目を潰した後に手榴弾を一斉投擲だ!」

 塚崎と石森が鬼の足元目掛けてフラッシュを投擲した。上手く視界の中に入ったようで閃光が走ると同時に仰け反り、目と耳を押さえて苦しんでいるのが分かる。

 棍棒から両手が離れるこの瞬間を誰もが見逃さなかった。

「総員ピン抜き用意!」

 訓練で染み込んだ動作により、全員が手榴弾を取り出す。塚崎の号令一下、鬼へ無数の手榴弾が降り注いだ。連続して起きる爆発に包まれた鬼の呻き声が聴こえる。

「撃て!」

 89式とMINIMIの弾幕が送り込まれた。熊ですら退けられると思える濃密な攻撃が続く。

 しかし、鬼はその攻撃に対して新たな反応を見せた。両目が急速に光りを帯び、顔をこちらに向けて視線を合わせて来たのだ。その目から発せられる殺気がこちらの戦意を突き崩し、何名かの隊員が引き金から指を離した事で攻撃が緩んでしまう。石森がその隊員たちに呼び掛けた。

「どうした! 誰も中止なんて言ってないぞ!」

「二尉……体が動きません」

「ゆ、指が勝手に」

 鬼が一歩踏み出した。小田は瞬間的に散開を命令。向こうが攻撃に転ずる隙を与えてしまったようだ。

「各班ごとに散開! 来るぞ!」

 棍棒を引き抜いた鬼は、それを五十嵐率いる第2班へ向けて投げ付けて来た。咄嗟に散らばるも棍棒はまるで砲弾か何かのようなスピードで着弾し、土煙が巻き上がって視界を悪くする。

 五十嵐は一瞬、鬼のものではない呻き声を耳にした気がした。土煙が晴れたそこには、棍棒によって無残にも押し潰された関口一士の姿があった。

「関口!」

 助けるために走り出そうとする五十嵐を部下たちが引き止める。あれでは助からないだろう。

「離せお前ら! 離せ!」

「無駄です! 近付いたら班長もやられます!」

 鬼は棍棒を拾う事なく、今度は林二曹の第4班へ突進。3名が突き飛ばされ、内1名は民家の壁まで吹き飛んで全身を激しく強打し意識を失った。

 流れるような動きで棍棒を手にした鬼は続いて1班に襲い掛かり、寸前の所で散開した隊員たちをしつこく追い回した。体力が尽きて足が縺れ、地面に転んだ1名を逃す事なく棍棒で圧殺する。

 その桁違いのパワーに誰もが恐怖し、このままでは殺されるのを待つだけだと悟っていた。小田一尉が起死回生の作戦を考え、実行に移すべく塚崎に向けて叫ぶ。

「陸曹長、今から言う作戦を実行してくれ! これしか今は方法がない!」

「了解!」

 各班長及び機関銃手、無反動砲手へ指示が下る。

 塚崎と石森が再びフラッシュを投擲して鬼の行動を阻害。足が止まった所へもう1度手榴弾での集中攻撃を行い、立ち直る隙を与える前に各班の機関銃手が全弾を使い果たす勢いで撃ちまくった。

 この弾幕を利用して少しずつ鬼と集落から離れ、ある程度の距離を確保した所で小銃擲弾による攻撃を実施。更に各班の無反動砲手が塚崎に連れられて集落を出た。彼らが射撃位置に就いた所で攻撃は中断し全員が集落から離れる事に成功する。

「俺がヤツを射界まで引きずり込むから、お前らは隙を見計らって撃ってくれ。タイミングは任せるぞ。」

 これは、鬼を無反動砲手が集結している一本道に誘い込む作戦だ。塚崎が誘導のため走り出すのを見送りながら、4人の無反動砲手たちは攻撃の準備を進めている。


 集落に近付くに連れて鬼の姿が鮮明になっていく。キョロキョロしている鬼の背中に数発撃ち込むと、こちらをあの暗闇に輝く金色の目で睨み付けて来た。

 凄まじい気迫を感じるが、その程度で屈するような鍛え方はしていない。挑発代わりに今度は顔にも何発か撃ってやった。流石に怒ったらしく、解読不能な言語を発しながら近付いて来るのが見える。

 遮二無二走り出すとヤツも反応して追い掛けて来た。あとは攻撃が当たるのを祈るだけである。


 こっちに走って来る塚崎と鬼の姿は、4人の無反動砲手全員に見えていた。装填しているのは全て榴弾である。そもそもが対装甲目標を想定しない演習だったため、徹甲弾の類は持っていなかった。しかしこれで十分だろう。まともに食らえば並の生物なら無事では済まない筈だ。その思いだけが4人の心を繋ぎ止めている。

「目標視認、陸曹長には当てるなよ」

「分かってる。カウントは5秒前から始めるぞ」

「本当に効くと思うか? あんな化け物に」

「いいからやるんだ。このまま殺されるのは御免だしな」

 4人に合流していた石森二尉がライトを振った。射撃開始の合図である。同時にカウントが始まり、そのライトを視認した塚崎は枯れ草の休耕地に飛び込んだ。鬼はその行動が理解出来ず、どう反応していいか分からないらしい。

 そんな所に鳴り響いた4つの砲声を耳にした鬼は音の鳴った方向を向いたが、次の瞬間に炸裂した4発の榴弾を食らって5mほど後方へ吹き飛んだ。

 全身に突き刺さる微細な破片と爆発効果によって両腕を大きく損傷し、足も神経系をやられたらしく何とか立ち上がるも、覚束ない足取りで時たま膝を突きながら集落を通って森の中の暗闇へと消えていった。


 急な静けさが周囲を支配し、小隊は再び集落へと集合。井上一曹を中心とした応急処置所が開かれ、各班の医療担当と共に朝までの治療が行われた。


 重軽傷者5名、意識不明1名、死者2名。鬼を退けた喜びよりも、仲間を失った事の方が大きな傷口だった。この異世界に閉じ込められて鬼に殺されるか、自ら命を絶つか、それとも僅かな希望を胸に周辺を捜索するか。小田を含めた小隊首脳陣はその選択を迫られ始めていた。

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