第114話 親と子の関係

 烏丸宗介。珍しい苗字であると思うし、実際に知っているのは一人だけ。郵便で届いたのならともかく、ポストへ直接投函された封筒。そして時期。様々な要素がその人物が誰であるかを如実に示している。

 どうして自分にこんな物が。一瞬そこに考え至るが、響樹は自分の指を止められなかった。明らかに上質とわかる手触りの封筒を雑に破り、同じく質の高いであろう便箋を乱暴に引っ張り出した。


 響樹はその場で手紙の内容を一度読んでから部屋に戻り、玄関に座り込んでもう一度読み直す。

 やはり吉乃の父であった烏丸宗介からの手紙は内容としてはシンプルだ。丁寧な挨拶、自己紹介、突然の連絡への詫び、吉乃が世話になっている事への礼。そして、響樹と話がしたいという文が綴られており、結びの文の後には連絡先が記載されていた。


「なんで俺にこんなもんを……」


 時期を考えれば吉乃が送ったメールに端を発している事は明らかで、それならばどうして実の娘に連絡をしてやらないのかと、どうして吉乃にあんな顔をさせるのかと、手に力が入って便箋に皺が寄る。


「っと」


 くしゃっという音で我に返り、慌てて玄関の床で皺を伸ばす。そのおかげで少しだけ冷静になれた。

 少なくとも、この手紙は完全な拒絶でない事の証明であると思う。響樹はそう思いたい。


 もしも宗介が吉乃を拒絶するのであれば、ただ単に連絡を無視してしまえば済む話だ。可能性としては、吉乃に彼への連絡をしないよう響樹から伝えろという事も考えられたが、それはあまりに迂遠なやり方だろう。

 それに、自分の娘と同い年の響樹に対して送られた手紙の文面も丁寧で、わざわざ悪い内容を話したいという意図は感じられない。そして、吉乃がいまだに嫌いになれずにいる、好きでいる彼女の父親を信じたいと思った。


 だからスマホを取り出し手紙に記載された宗介の電話番号を入力し、あとは通話ボタンをタッチするだけというところで、しかし響樹の指は止まる。


(もしこれで)


 響樹との電話が原因で宗介が吉乃に連絡を取らないと決めてしまったら。一瞬浮かんだそんな考えが響樹の指を止め、電話番号を消去させた。

 大丈夫だとは思うのだ。理屈の上でも拒絶でないとはわかっている。響樹が冷静に話す事さえできれば、失礼な事を言ってしまわなければ。そして吉乃のためであれば自分を保つ事は絶対にできる。


 だがそれでも、怖い。

 自分の選択一つで吉乃を泣かせる事になるかもしれないと思うと堪らなく怖かった。


 しかし、宗介が響樹からの連絡を待って吉乃に連絡するつもりならばここでの停滞はそれこそ彼女を泣かせる事になる。

 だから早く宗介に電話をすべきなのだと再度電話番号を入力し、やはりまた消してしまった。

 座り込んだ床を軽く叩き、大きく息を吐いた。


「情けない」


 電話をするべき、したいという正の思考を、するのが怖いという負の感情が押し留める。そんな行ったり来たりの思考の中で指が動いたのだろう、視線を落としたスマホの電話画面がダイヤルから履歴に変わっていた。

 吉乃以外とはほとんど電話などしない響樹のスマホには、少し前の履歴が残っていた。年が明けて1ヵ月以上経った現在でも、昨年末の履歴が。


「天羽真樹……」


 表示された自分の母の名前を口に出した。藁にもすがる思いで電話帳を呼び出し、かける事など無いと思っていた国外にいる両親の家へと電話をかけた。国際電話がいくらかかるかなどはこの際どうでも良かった。


『もしもし響樹?』

「ああ、久しぶり。母さん。今、いいか」

『夕食の準備がちょうど終わったところだから、正樹さんが帰って来るまでならいいけど』


 軽い調子の声で父を最優先にする母に相変わらずだなという感想を抱き、苦笑が漏れた。そして久しぶりの息子からの電話にもそれかと少し呆れたのだが、不思議と怒りは覚えなかった。


「わかった」

『それで用件は?』

「あー……何て言うか……」


 電話をかけたはいいが話す内容をまとめていなかった事に今更ながら気付く。


『言いづらいって事は彼女の事?』

「は? なんで――」

『あの去年会った吉乃ちゃんでしょ?』


 響樹は文理選択の連絡こそしたが、吉乃どころか誰かと付き合っているなどとは一切伝えていない。それなのに電話の向こうの母が当たり前のように口にするので、響樹からすれば何が何やらわからない。


『黙ってるって事は正解でしょ』

「なんで……わかった?」

『そりゃわかるでしょ。あの響樹が女の子を家に連れ込んでたんだし、態度からしても好意があるのはバレバレだったし。それに吉乃ちゃんだって、好きでもない男の実家の大掃除の立ち合いなんて来ないよ普通』


 再び響樹は絶句する。母の言っている事はわかるのだ。あの時の響樹は吉乃に好意を抱いていたし、逆もまた然りだった。

 しかしどうして母があっさりと響樹の好意を見抜くのか。それがわからない。


「なんでわかった?」


 先ほどと同じ言葉に、電話の向こうでため息が聞こえる。


『何年あんたの親やってると思ってるの?』

「……やってたのかよ」


 口にしてから後悔した。藁にもすがる思いではあったが、現状を好転させたくてした電話で母への反発が表に出てしまった。しかし――


『やってたに決まってるでしょ』

「俺……すげー蔑ろにされてたと思ってるんだけど」


 あっけらかんとした母の口調に、思わず口にしてしまった。しかもこれは今まで言わずに内に溜め込んできた不満。本来言うべき時は今ではないというのに、止められなかった。


「母さんはいつも父さん父さんて、俺の方なんて見なかった」

『見てなかった訳じゃないからね。私にとって正樹さんが一番。響樹は二番目』

「言い切るのかよ」

『だって本当の事だから』

「親って、子どもの事を一番に考えるんじゃないのか」


 響樹の親は息子を二番だと言い切った。吉乃の親も、現状を考えれば到底彼女を一番に考えているとは思えない。そんなものでいいのかと、スマホを握る手に力が入る。


『誰が決めたのそれ?』

「誰って……そういうもんじゃないのか?」

『そういう事を言う人も多いと思うし否定はしないけど。私は正樹さんが一番大事』


 母にしては珍しく落ち着いた声に、ざわついていた響樹の心も少しだけ落ち着きを取り戻す。


『響樹。吉乃ちゃんの事大切?』

「ああ」

『じゃあもし、将来吉乃ちゃんと結婚して子どもが出来て、その子の事を一番じゃなくても吉乃ちゃんと同じくらい大切に思える?』

「思わなきゃ、いけないだろ」

『愛情は義務感じゃないでしょ?』


 言葉が返せなかった。内容が突き刺さった事もそうだが、母の声が聞いた事も無いほどに優しかったせいだろうか。


『養育は義務だから果たさなきゃいけないし、自分と愛する人の子どもだから当然大切だし愛情も注ぐよ? でも、一番かどうか決めるのは私』


 正直なところ納得はできていない。母の理屈はわかるが、親とは子に無償の愛を与えてくれる存在であると、与えてもらえなかったと思っている響樹からすれば認めたくなかった。ただ――


「俺の事、大切か?」

『言ったでしょ? 二番目だけど大切だって』

「父さんもそう思ってるかな?」

『正樹さんの一番は当然私。でも二番目はやっぱり響樹でしょ』

「そうか」


 現金なものだ。不本意な形ではあるが、きっと響樹はその言葉が聞きたかったのだろうと、今更ながら思う。


(拗ねたガキだな)


 もっと自分を見てほしかったのだ。口にしていればこうやって答えが返って来たはず。昔の響樹がそれに納得できたかはともかくではあるが、口にしなければ解決はしなかった。

 今思い返しても大切にされた実感は湧かないのだが、この先響樹が親になってみればもしかしたらわかるのかもしれない。わからなければその時は文句を言ってやるまでだ。


『ところで響樹。何か相談があったんじゃないの?』

「母さんは父さんが一番大事なんだよな?」


 自分の過去に小さな決着を着けた事で少し頭が冷えたのかもしれない。


『そう言ったでしょ』

「もしも母さんが父さんのためにと思ってした事で、結果として父さんが傷付くような事になったら、どうする?」

『そんな事にはならないけど。私が正樹さんが傷つくような事をするはずが無い――』

「もしの話だって言ったろうが」

『最後まで聞きなさい。正樹さんはね、私があの人のために何かしたなら、絶対にその気持ちを汲んでくれる人なの。たとえ自分が傷付いても私を恨んだりしないし、私と一緒にいれば立ち直れるから。だからそんな事があったとしても、私は正樹さんに堂々と寄り添っていられるの』

「……そうかよ」


 とんでもない惚気だ。

 だが、互いにそれだけの信頼があるのだと、少なくとも母は自信を持ってそれを口にした。


『もちろん傷つけないのが一番だけど。参考になった?』

「……不本意だけどな」

『そう。それなら良かった』

「ああ、ありが――」

『あ、正樹さんが帰って来たから切るね。それじゃ』

「おい……ブレねえな」


 親らしいのからしくないのか、だがそれが母らしくて、通話終了の画面を見ながら響樹は苦笑を漏らした。

 スマホに表示される時間はまだ電話をかけても許される時間だろうと思えて、響樹は手紙に視線を落としながら番号を入力し、通話ボタンに指を運んだ。


 重ねた年月を思えば、響樹の両親が結んだ絆には敵わないのかもしれない。だが、響樹が吉乃を信じる気持ちが負けているとは思いたくなかった。

 だから、万が一など起こさないようにするつもりではあるが、万が一があっても吉乃に寄り添って、傷付けてしまった事実から目を逸らさずに吉乃に寄り添う。そう覚悟を決めて、指に少し力を入れた。

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