第39話 隣にある四文字

 昼休み、海と弁当を食べていたこの時間が、この日において天羽響樹が最も注目を浴びる時間となる。


「今日の弁当美味そうだな。色鮮やかだし形と詰め方も綺麗だ。金取れそう」

「実際滅茶苦茶美味いけど絶対やらんぞ」


 吉乃が作ってくれた弁当は海の言う通りまず見た目がいい。子どもが遠足などに持って行っても自慢ができそうなほどで、その上味もいい。

 弁当の性質上冷たくなってしまうのだが、そうなっても味が落ちづらい類の物を選んでくれてあり、しかも栄養バランスも恐らく考えられている、吉乃の心遣いが嬉しかった。


「いや、盗らねーよ。そんなに隠すなって」


 海の前からゆっくりと左手のガードをどかすと、苦笑の海が呆れたように肩を竦める。


「ってかそれお前がつく――」


 そこまで言ったところで教室の前側の戸が大きな音を立てて開かれた。


「烏丸さんが一位じゃなくなってる!」


 教室中の空気が固まり、ほぼ全員の視線が彼に向く。

 四時限目の間に順位表が貼り出されていたのだろう。食事もとらずに確認に行ったクラスメイトは走ったせいなのか興奮しているのか、大きく深呼吸をしてもう一度「烏丸さんが一位じゃない」と声を上げた。


 その瞬間から止まっていた時間が動き出し、教室中が大きなざわめきに包まれる。響樹が拾えただけでも「嘘だろ!?」「あり得ねー」等と疑う声が大半を占めており、吉乃の高い能力に対する評価が窺えた。


「烏丸さん点数落としてたのか?」

「調子悪かったのかも。試験後に休んだって聞いてるし」

「いや、552点だった」

「は? それで一位じゃないとかおかしくね?」


 またも聞こえてくるのは吉乃を高く評価する声。万全の彼女が誰かに負けるはずが無いという、ある意味では信頼だ。

 もちろん吉乃がどれだけの研鑽を積んでいるかは知らないのだろうが、それでも彼女の頑張りの結果がしっかりと認められている事実は自分の事ではないが嬉しく思う。


 しかし、教室の喧騒は収まらない。当然だが他所のクラスでも同じ話題が出ているだろう。響樹は壁で遮られた隣の教室へと視線を向ける。

 こちら側がうるさくてもちろん聞こえないが、壁の向こうでも吉乃が一位でなくなったという話題は出ているはず。本人がいるのだからある程度は抑えた話し方になっているだろうが、彼女は大丈夫だろうか。

 信じてほしいと言われてそのつもりでいたが、どうしても事態に直面してしまうと不安になる。吉乃に少しでも傷付いてほしくないと、強くそう思った。


「響樹、大丈夫か」

「……ああ、俺はな」


 海はこの時間を楽しみにしてくれていたようだが、響樹の様子に気付いたらしく気遣う声をかけてくれた。


「で、一位は誰だったんだよ」


 ようやく、そんな声が上がった。


「あ、ああ……」


 指で示された先には、当然響樹がいた。

 そして教室が再び喧騒に包まれる。この騒ぎは他の教室では起こらないだろう。



 期末試験一位に天羽響樹の名前があったところで、同じクラス以外の者が響樹の組など知る由もなかったはずである、本来は。しかし試験で流血した挙句倒れたバカがいるという噂が事前に流れてしまっていたため、響樹のクラスにはそれなりの人数が集まった。中には違う色のネクタイもあった。

 その視線が鬱陶しかったのと二組吉乃の様子を窺いたかった事もあり、響樹は海に連れ添ってもらい順位表へと廊下を歩いていた。残念ながら覗き込んだ隣の教室に吉乃はいなかったが。


「お前さあ、腹立たないのか?」

「別に。大体一位が俺じゃなかったらお前だってその可能性は考えるだろ?」

「まあ……でもわざわざ定期試験でカンニングなんてしねーだろ、ちゃんと考えれば」


 集まった連中の中にはそんな事を口にする者が少ないながらいた。不正をした、などと言われてもちろんいい気分はしないが、そう思われるのも仕方がないとも思う。

 クラスメイトは試験の際にボロボロだった響樹を間近で見ていたため、「定期試験ごときに死力を尽くしたアホ」扱いの上で称賛をしてくれていたようだが、それを知らない人間からすれば響樹の得点上昇は異常だ。何せ二位に40点近くの差を付けていた吉乃に勝ったのだから、響樹は40点かそれ以上を一度の試験で上げた計算になる。実際は59点だが。


「と言うかカンニングしたくらいで点が取れるほどぬるい試験じゃねーっての、わかってるだろうに。余計に腹立ってくるな」

「だろ? ちゃんとした奴はわかってくれるんだから、わざわざそうでない奴の相手をする必要が無い」


 もちろん響樹にだって多少の憤りはあるが、友人の海がそれ以上に怒りを示してくれているのでそれだけで十分、やはり自分はいい友人を持ったなという充足感の方が強い。

 それにそもそも吉乃に勝てればそれで良かったのだ。しかもその上で言葉を届ける事ができたのだから響樹の願いは先週の段階で全て果たされているので、今更試験の結果に対して大きく感情が動く事もない。


「お前、そういうの損する性格だぞ」

「かもな」

「響樹はもっと自己主張と言うか、わがままになるべきだ」

「試験前はだいぶお前と花村さんにわがまま聞いてもらってただろ」

「そういうんじゃなくてだな……」


 響樹が苦笑すると海は毒気を抜かれたようにふうと息を吐き、そして響樹と同じように前方の人だかりに目を止めた。


「なんか多いな」

「ああ」


 順位表が貼り出されている掲示板の前には相当な人数がいる。時間は同じくらいなのに中間試験の時の倍くらいだろうか、吉乃が一位でなくなった順位表を見に来た者がそれほどまでに多いのかと改めてその影響力の大きさを思い知った。


「誰にも気付かれないな」

「その方が楽でいい」


 少し長い順番待ちを経て辿り着いた掲示板の前、海はそんな事を言って笑った。

 一年三組の天羽響樹という情報は出回っているようだが、教室外ではこんなものなのだろう。吉乃と対比してみると面白いくらいだ。


「まあ、改めておめでとうだな」

「ああ、ありがとう」


 敢えて名前を呼ばないのは海の配慮だろう。

 おかげで響樹は静かに自分の名前と、その隣にある吉乃の名前に見入る事ができた。


「お前でもやっぱり嬉しいんだな」

「ああ。わかるか?」

「鏡を見せてやりたいくらいだな」

「そうか」


 歩いている途中で今更試験結果で感情は動かないというような事を思ったが、それは間違いだった。

 順位表の右端、一位という文字の下にある天羽響樹の名前、別にその位置に感慨は湧かなかった。だが、烏丸吉乃の隣にある事は嬉しくて堪らない。


 吉乃と対等である事、彼女の隣に立った事、それが客観的に示されたような気がした。

 そして、試験前は一度でいいと、一瞬いられればいいと思った吉乃の隣に、もう少しの間、もっと長くいたいと、そんな厄介な感情を抱く。


「海」

「ん?」

「俺は割とわがままかもしれない」

「……いいんじゃないか」


 順位表を見ながらそう呟いた響樹に応じ、海は響樹の背中をバンバンと叩いた。

 なんだか中間試験の時も同じような事があったような気がして笑い、そのタイミングでまた叩かれて少しむせた。

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