第25話 甘い物は別腹系男子

『天羽君は今日もスーパーでお買い物をされますか?』


 吉乃からそんなメッセージが届いたのは祝日の月曜、午前中の事だった。


『いつも通り17時くらいに行くと思う』

『承知しました。ご返信ありがとうございます』

「ビジネスメールかよ」


 わざわざ尋ねるくらいなのだから直接会う用件があるのだろう。待たせないように時間も指定し、返信に苦笑しながら遅れないようにアラームをセットした。


 そして指定の17時、スーパーの入り口の横には美しい少女が立っていた。

 先日とは物が違うが今日もハイウエストの黒いロングスカートを履いていて脚の長さが際立っている。


「こんばんは、天羽君」

「ああ、こんばんは」


 ニコリと笑った吉乃に挨拶を返して先を促すつもりで一歩入口へと踏み出したのだが、彼女の方の足は止まったまま。そして笑顔から圧が滲み出る。


「……待ったか?」

「今来たところです」

「そうか」


 満足げに笑った吉乃が今度こそ歩き出すので、響樹は彼女に見えないように苦笑してから後を追った。


「今日は人少ないな」

「祝日ですからね。働いている方も昼間の内にも来られますから」

「なるほど」


 適当な会話をしつつ吉乃と並んで買い物を済ませていく中、時折彼女が響樹の方を見ながら目を細める。


「どうかしたか?」

「天羽君が買い物に慣れたなあと思いまして」


 買い物リストと献立表の作成方法を教えてもらって以降、響樹の買い物効率は格段に上がった。意識の仕方もだいぶ変わったもので、今では買い物メモの作成段階で品物の大まかな位置が頭に浮かぶほどだ。

 ただそれでも、目の前にいる同い年の少女にはまるで及ばないのだが。


「まだ物の目利きなんかは全然できないけどな」

「それが簡単にできたら誰も苦労しませんよ」


 吉乃がそう言ってくすりと笑いながら、それでいてひょいひょいと野菜をカゴに入れていく。

 響樹も目利きについてはネットで調べてみたのだが、何しろ種類が多かった。加えて周囲に人がいる環境ではじっくりと見比べる事もできず、現状諦めている。


「一ヶ月前はメモすら初心者だった天羽君ですから、十分な進歩ですよ」

「師匠が良かったんだろ」

「そうですね。その影響は大きいかもしれません」


 楽しそうにふふっと笑った吉乃は、「それでも」と言葉を続ける。


「天羽君が努力した事は事実ですから」

「そうか」

「そうです」


 どうも気恥ずかしくて、ニコリと笑った吉乃から響樹は目を逸らした。



 その後も適当な会話をしたりしなかったりと、それでも並んで買い物を済ませた。並んだレジは別々だったが、サッカー台では先に来ていた響樹の横に吉乃が並び、袋詰めの進歩を褒められた。


「天羽君」


 店を出たところで吉乃から声をかけられ、そう言えば何か用件があったんだったなと思い出す。

 会った段階ではその内吉乃が何か言うだろうと思って響樹からは言及しなかったのだが、一緒に買い物をする内に当初の考えはすっかり頭から抜け落ちていた。


 客の導線から少しズレたところで立ち止まった吉乃は、エコバッグを肩にかけると持っていた鞄に手を入れる。

 彼女の手元を見れば茶色い紙袋が三つ、それぞれ違う色のラッピングがされている。何だろうと思っていると、吉乃は更に折りたたまれた白い紙袋を取り出して広げ、三つの袋をその中に入れて響樹に差し出した、少しだけ不安そうな表情を覗かせて。


「これをどうぞ。お口に合えばいいのですけど」

「ありがとう。で、これは?」


 受け取ってみると袋はとても軽い。


「クッキーです。先日家まで送ってくださったお礼だと思っていただければ」

「別に気にしなくてもいいだろ。あれは俺が勝手にやっただけだし、そもそも俺の方が烏丸さんに借りがたくさんある状況な訳で」

「そういう訳にはいきません。とにかく受け取ってください」

「せっかくくれたんだから受け取りはするけどさ……」


 どうせ吉乃は引かないだろうし、しかも響樹のために用意してくれたクッキーなのだから突き返したところでその手間も金銭も戻ってはこない。そもそも突き返すつもりも一切無いのだが。


「わかった。今日送ってく分も含めて貰っとく」

「え? いえ、今日は――」

「この間言ったろ? 一緒にいる時は送ってくって。頷いたよな?」

「あの時は、それに頷いた訳では……」


 あの時の状況を思い出したのか吉乃の語勢が衰えていき、最後には唇が尖る。

 苦笑しつつも響樹はたった今吉乃から貰った袋の一つを開け、その中の一枚を口に放り込んで咀嚼した。

 甘さの抑えられたクッキーには強いバターの風味が残っており、サクッとした食感の後であっさりと口の中で溶けていく。


「うまっ」


 響樹としては目の前で食べてみせて「もう受け取ったから送って行くぞ」と言うつもりだったのだが、ついもう一枚に手が伸びた。

 そんな響樹の様子を見てか、驚いたように目を丸くしていた吉乃がふっと笑んで小さく息を吐く。


「お口に合ったのでしたら何よりです」

「……もしかして手作りか?」

「ええ」

「マジか。ちゃんとした店の物かと思った」


 最初は洋菓子店の物はこんな感じで売られているのかと疑問に思わなかったが、袋をよくよく見てみれば確かに既製品でない事がわかる。クッキーの方は見ただけではわからない、どころか食べてもわからなかった。


「凄いな。お菓子作りもいけるのか」

「一応、女子ですので」

「全国の女子に謝ったらどうだ?」


 響樹が苦笑しながらそう言って三枚目のクッキーをつまむと、吉乃がくすりと笑った。


「夕飯前ですよ?」

「別腹だ」

「女子ですか?」

「男子だよ」


 そう言って四枚目に手を伸ばそうとした響樹だったが、残りが二枚になっていたのでぐっと堪えた。


「因みにこれ、三つ全部種類違うのか?」

「ええ。天羽君のお好みがわからなかったので、とりあえず。なので感想を聞かせてもらえると助かります」

「了解。とりあえず今食った、リボンが青い奴はめっちゃ美味かった」


 我ながら大雑把な感想であると思ったが、そうとしか言えないのだから仕方がない。吉乃は少し眉尻を下げて苦笑しているが、嬉しそうな様子も何となく見て取れた。


「しかし、全部違う種類ならこれだけ先に三枚も食ったの失敗だったな。あと二枚しかない」

「ご希望がありましたら、お好みの物をまた作りますよ?」

「マジ? ……いや」


 何だかとても食い意地の張っているところを見せてしまったようで途端に恥ずかしくなってきてしまう。今更遅いのかもしれないが。

 それに何より、支払う事のできる材料費はともかく手間の問題もある。食事と違って普段から作る訳でもあるまいし。


「流石に悪い」

「天羽君のためだけに作る訳ではありませんよ。今日はお礼のつもりで作りましたけど、たまに気分転換で作る事がありますので。そういった時のおすそ分けと考えてください」


 ニコリと微笑んで僅かに首を傾けた吉乃の髪が揺れる。


「あ、材料費も要りませんよ。それほどかかる訳ではないですから」

「……毎日家まで送る必要がありそうだな」


 肩を竦めてみせると、吉乃は僅かに目を細めて口元を押さえた。

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