【閑話】女性たちのお茶会

 アキ様の家庭教師として登城するようフレーチェ叔母様から要請されて、1ヶ月が過ぎた。正直言って、戸惑っている。


「アキの様子はどう? アリーサ」


 アキ様が神呪開発室へ出向いている間に、わたくしはお城に出向き、フレーチェ叔母様に報告をするのが日課となっている。


「ええ。あれ以来特に困らされることはないわ」


 就任してわずか2日後にアキ様を熱で倒れさせてしまったことは、本当に心苦しく思っている。お腹の赤ちゃんにも良くなかったと思う。


「でも……」

「なぁに?」


 フレーチェ叔母様は穏やかな口調で聞いてくるけれど、この方がそんなに穏やかで平凡な方ではないことはわたくしもよく知っている。ええ、それこそ、幼少の頃から。


「少し執着癖があるように感じられるわ」

「執着?」

「ええ。養父への執着もそうですけど、食事の時の食べる物の選び方だとか、服だとか……」

「あら。そうなの?」

「なんというか……バランスがね。執着するものと無頓着なものの差が激しいのが気になるわ」


 好き嫌いがあるわけではないし、本人も強く主張することもないから見落とされるのかもしれないけれど、毎日見ていると、好ましいと思えるものに変化がないことに気付く。普通は、今日はあれが良いとか、何日も同じものが続くと飽きるとかありそうなのだが、アキ様にはそれがあまり見られない。


「言動が時々幼いのはそのせいじゃないかと思うのよ」

「そう?」


 叔母様がカップを置いて首を傾げる。小さい頃から見本にしてきて嫌という程見慣れた仕草だけれど、それでもまだその優雅さにしばしば見惚れてしまう。それがプレッシャーにもなるのだけれど。


「もう11歳でしょう?」


 子どもは10歳で手伝いに出る。わたくしは小さい頃から家業の商家を手伝っていたので、10歳からの仕事は家とは別のお店でお世話になった。


「無頓着なものが多いのよ。普通は、あれでは使えないと追い出されてしまうわ」


 とにかくマイペースなのだ。あの少女は。


「物覚えも良いし、頭の回転も速いのだけれど、礼儀作法には全く興味がないようで、教えられたことをこなすだけなのよ。でも、それでは足りないでしょう?」


 フレーチェ叔母様が目をかけているくらいなのだ。きっと相当に優秀なのだろう。そして、本人が優秀であればある程、今後付き合う相手の立場は上がって行き、礼儀作法を身に付けていないことが致命的になっていくだろう。


「自分のためなのに」


 恐らく、商家の娘として大店相手に立ち居振る舞うわたくしなどより、余程重要なことになってくる。

 隙なく立ち回らなければ、場合によっては足元を掬われて全てを失ってしまうかもしれないのに。そういう世界に身を置くフレーチェ叔母様の方が、わたくしよりよく知っているはずなのに。あの少女がこの場においてさえまだあのように幼くあるのが、どうにも不可解で仕方ない。


「叔母様だって、あの子をむやみに傷つけたくはないでしょう?」

「……あの娘は少し特殊なのよ」

「特殊?」


 たしかに、あの年齢で手伝いではなくきちんと神呪師として出仕しているというのは相当特殊だ。けれど、周りの者が皆、そういった事情を鑑みてくれるとは限らない。立場は官僚と同じだと言われてしまえばその通りなのだ。城内で礼儀作法を身に付けていなければならないという状況自体は、それ程特殊とも言えない。


「あの娘は幼い頃に両親を亡くしているのだけれどね」

「ええ。以前聞いたわ」

「それから養父に匿われて生きて来たのです」

「……匿われて?」


 その表現には引っかかりを覚える。


 ……まるで、逃走でもしているようだわ。


「ええ。他の誰にも詳しい事情を打ち明けず、神呪師であることが知られそうになると、家も友人も何もかもを捨ててこの森林領に移動してきたそうよ」

「まぁ」


 何もかも捨てるなんて……。


 小さい頃は、明日のことなど心配したこともなかった。いえ、今でも、明日は当然今日と同じ日が訪れると無意識に思い込んでいる。それが、ある日突然失われ、明日がどうなるかすら分からなくなるというのは、なんと不安なことだろう。

 

「一人の人間に依存し過ぎるというのは危ういことよ。でも、あの娘の場合はご領主様の意向で半ば無理矢理連れて来られたの。不安になっているのよ。その辺りは考慮しなくてはね」

「え……無理矢理、なの?」


 たしかに、衣装代のことなど、アキ様は領主様に随分優遇されているようだった。だが、アキ様の言動からは領主様への恨みのような感情は感じられない。むしろ、領主様のお名を気安く呼んでいらっしゃることからも、親しく接しているのだと思っていたのだけれど。


「アキは聡い娘よ。無理矢理ではあったけれど、森林領の領主として領民を気にかけての命令だということを理解しているの。この森林領は、それだけの負担をあの娘に強いているということなのよ」

「……領民のために……あれ程慕っている養父と引き離されることを了承したのですか?」


 それは……逆に、出来過ぎな気がして眉を顰める。11歳の娘が、公のために自らを押し殺すことを自主的に選択するなど、そうそうないだろう。そもそも、それくらいの年齢の娘の関心事は、近所の男の子のことだったり、オシャレに関することだったり、自分の手伝い先の文句だったりと、ほんの周囲のことにしか向かないものだ。自分の目に映っていない森林領全体のことに目を向けるなど、それはそれで達観し過ぎていると思える。


「随分とご領主様を悩ませていましたけどね」


 ……ご領主様を、……悩ませる? 


「……恐れ知らずね」

「ええ。……本当に、胆力があるのです。そして実力も。だから心配でもあるのですよ」


 叔母様が顔を曇らせて視線を窓の外に向ける。


「早晩、養父だけの保護では足りなくなるわ。そうなった時に、あの娘は、自身に必要な選択ができるかしら」

「必要な選択?」

「身を守るために、養父から離れた方が良い状況で、そちらを選べるのか……」


 それは、どの年齢のどのような子どもにも難しい選択だろうと思える。自らに危機が迫っていればいるほど、信頼できる者に縋って離れられなくなってしまう。冷静に損得勘定など、そうできるものではないだろう。


「でも、まぁ、今のところはそのままでも構わないわ。養父への執着がある間は他へフラフラすることはありませんからね。いざとなれば養父を抑えれば良いのです」

「まぁ、あの様子では養父の選択が絶対でしょうけれど……。ただ、わたくしとしては、あの娘にはもっといろいろな物や人に目を向けて欲しいのよね。養父だけではなく」


 価値観を偏らせず柔軟に考えられるようになるためには、たくさんの価値観に触れることが大切だ。そうする中で、やがて自分の本当に大事にしたいものが見えてくるだろうし、自分の確固たる価値観が固まっていく。


「……あの娘はその辺の子どもとは全てが違うわ。同じように考えて、同程度のものを押し付けてはダメよ。むしろ、礼儀作法を身に付けさせさえすれば、あとは好きにさせるしかないのかもしれないわね」

「……好きにさせて、もし間違いを起こしては……」

「あの娘ならば自ら学んでいくでしょう。むしろ、そういう経験こそが必要かもしれないわ。護衛も付いているのだから、そうそう取り返しのつかないことにはならないはずです。あなたも、もう少しあの娘を信じて、大きな目線で捉えてちょうだい」

「……ハァ。難しいわ。ついあれこれ手や口を出してしまいたくなるのよ」


 伸ばせば伸ばすだけ伸びると思える子だからこそ、あれもこれもと次々に要求してしまう。何を課しても消化できると思えてしまう。だが、自ら学ぶよう仕向けるのであれば、そういう環境に置かせた上で、見守りながらも見つめるだけに留めるだけの方が良い。


「それで爆発させてしまったのでしょう? 我が子も同じよ。期待し過ぎてもしなさ過ぎても良くないの。相手に何が必要か。どこまで受け入れられるのか。今、心身の状況はどうなっているか。しっかり観察してその都度最適なものを考えなさい。教育に定形などありませんからね。これまでだって、他所様のお子を手伝いとして預かって育てて来たでしょう?」

「はーい」

「返事は優雅に美しくなさい」

「はい」


 そう、優雅に仰るフレーチェ叔母様のお子は、お2人とも心根の優しいそれは優秀な若者だ。わたくしの目標でもある。


「作法は身に付けさせた方が良いわ。でも、あの娘が選択する方向については口出しを控えるようにしてちょうだい」

「分かりました」


 わたくしとしては、やはり子どもにはいろいろな環境で見聞を広めて欲しいと思ってしまう。けれど、釘を刺されてしまったわね。これからは、礼儀作法以外には極力目を瞑るように気を付けることにしましょう。






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「マリアンヌ様。アキが見つかったそうです」

「やはりランタサルミであったか?」

「……ええ」


 ランタサルミ荘には、マリアンヌ様のご夫君であられるエルンスト様がお住まいです。表向きの処遇は更迭でしたが、実際には簒奪に近い形での終幕でしたので城には居辛かったのでしょう。ご本人の希望でそちらに居を移されました。


「あそこは以前からダルハヌールレグと癒着しておったのう」

「小麦は草原領の特産ですからね。今ではもう牧畜を行う者も半分に減ったのだとか」


 以前は食事といえば米でしたが、ここ20年程の間に小麦が盛んに食されるようになりました。領民はやはり米の方が圧倒的に多いのですが、生活に余裕がある者は時折パンなどの小麦の食事をとるようになってきたのです。それに伴い、小麦の生産を主に行っている草原領が徐々に豊かになってきました。


「領民が豊かになるのは良いのですけれどね」

「あそこはちと、急ぎ過ぎておるのう」


 最近では穀倉領の一部でも小麦の生産を始めたと聞きます。草原領としても焦っているのかもしれません。


「まったく。我が夫ながらあの小悪党ぶりには呆れ果てる。目の前に餌をぶら下げられて意のままに踊らされるなど……」

「ご本人には罪の意識はございませんでしょう」

「踊らされておることにも気付いておらぬわ」


 マリアンヌ様が切り捨てるようにフンと鼻を鳴らす。


 本当に、何故あのような者がマリアンヌ様の夫などに収まったのか。これほど意に染まぬ政略結婚に、それでも従わねばならぬなど、恐れながら王族の方々には同情を禁じ得ません。


「それにしても、あの娘を誘拐してどうしようというのでしょう?」


 お茶を替えながらそう問いかけるアネルマは、マリアンヌ様のお忍びに付き合ってペッレルヴォ師のお邸でアキに会っています。他の侍女には詳しいことを話していないので、アネルマからすれば、ちょっと神呪のセンスがある子どもがこのように大がかりに狙われ、ご領主様自らが捜索の指示を出すという状況は不思議でならないでしょう。


「……ハァ。これでアキはますます注目されてしまうのう。難儀なことじゃ」


 アネルマの問いには答えず、微かに波紋が残るカップに目を向けてポツリと零す。最後の一言には、たしかに同情が込められているのを感じます。


「ええ、まったく。本人はそのようなこと、微塵も望んでおりませんのに……」


 本人は、養父と共に慎ましく暮らすことを望んでいます。けれど、きっとそれはもう叶わなくなるでしょう。これからのアキの行く末を考えると胸が痛みます。


「皆、心して聞いておくれ」


 カップを置いて、背筋を伸ばして一呼吸置く。その、凛とした美しさ。気を引くような言葉など無粋なほどに、自然と衆目を惹きつける、その空気。


「アキが成長すれば恐らく、良くも悪くも世界を動かす者となるであろう。あの者を損なうことがないよう皆も注意しておくれ」

「……世界、ですか?」


 アネルマが驚いたように聞き返す。


「そうじゃ。妾がそう動くからの」


 マリアンヌ様のお言葉に、その場にいた皆がハッと顔を上げます。


「だからこそ、妾の敵になるようなことがあってはならぬ」


 たしかに、他領にまでアキの存在が知れてしまった以上、もうその動きは止められないでしょう。焦点は、誰があの娘を手に入れるかに絞られます。


「妾があの娘を手に入れられるよう、皆も協力しておくれ」


 自らが手に入れるのが当然と言わんばかりに傲然と、優雅に微笑むマリアンヌ様は、何十年お仕えしても心が震えてしまう程美しいのです。わたくしはこの方のために尽くすことに、心底喜びを感じます。


 その場にいた者全てが恭しく頭を下げる。主の言うことは絶対でなければなりません。


「承知致しましたわ。アリーサにも申し付けておきましょう」


 ……とは言うものの。


 アリーサには少し荷が重くなってきたようです。


「しかし、そうなりますと、例の従者との間に入り込める者が必要ですわね。アリーサには無理ですわ」


 そもそも、アリーサは礼儀作法を叩きこんであるとはいえ庶民です。アキ自身が、庶民であることに拘っていたようなのでちょうど良いかと思い付けたのですが、王族に巻き込まれるような教育は、アリーサには施されていません。


「……ナリタカの従者か?」

「ええ。アキはあの者を殊の外信頼しております。養父ほどではありませんが、それでも他の者と比べると蜜月と呼べるほどの信頼ですわ」


 アーシュという従者については多方面から話を聞いております。アキが神呪師であることを隠していた幼少の頃より世話をしているそうで、アキの信頼は絶大です。アキの執着癖が弊害になりそうな状況に、思わずため息が漏れそうな思いです。


「ふむ。……ちょうど良いの。一度タユと会わせるか」

「……タユ様、でございますか?」

「案外、気が合うかも知れぬぞ?」


 たしかに、あのざっくばらんと言うか、大らかな性格は、アキと合うかもしれません。


「あの従者がどれほど信頼されておっても、所詮は男じゃ。あの娘がいずれ年頃になれば、必ず同姓で頼れる相手が欲しいと思うはず。年回りを考えてもタユは適任じゃ」


 マリアンヌ様が喉を鳴らして笑う。

 アキが唯一依存する養父に、この先誰が成り替わるのか。そこが最も重要になって参りますわね。






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