長い一日 ~迎えの光

「アーシュ様! アキ殿!」


 ヒューベルトさんの声が聞こえてハッと顔を上げる。聞き慣れた声に、縋るようにその姿を探す。


「ヒューベルトさん!」

「アキ殿!」

「ヒューベルトさん助けて! もう息をするのも辛そうなの!」


 わたしの声を聞きつけて、雪を蹴飛ばすような勢いで駆けてきたヒューベルトさんに飛び付く。


「……犯人だな?」

「そう。でも助けてくれたんだよ。自分だって危ないのに」

「………………」

「ケガしてるのに、わたしたちを守るために動物と戦ってくれたんだよ」

「…………それはそうかもしれないが……」

「ヒューベルト」


 神妙な顔で沈黙を落としたヒューベルトさんに、アーシュさんが静かに声をかける。


「調書を取らなければならない。可能な限りの手を尽くすように」

「……はっ」


 アーシュさんに向かって片膝を付いて返事を返し、外に出る。

 ヒューベルトさんにとっては自分の職務の遂行を邪魔した相手なのだから、助けるのは嫌かもしれない。それでも、アーシュさんに命じられたら助けなければならない。人を助けることが、必ずしも誰にとっても心地よいことだとは限らないことに心臓が苦しくなる。


 ……小さい頃は、そんなこと何も考えなくても良かったのに。


 ヒューベルトさんと一緒に外に出ると、目の前には相変わらず暗闇が広がっていた。

 何も見えず、ただどこまでも広くて複雑だということだけが分かっているこの暗闇は、わたし自身の心のようにも思える。きっと、ここで立ち竦んで蹲ってしまえば、獣に襲われて、そのままこの闇に溶けてしまうだろう。


 ……知識と力と……それに、強い気持ちが必要だ。

 

 アンドレアス様の言葉を思い出す。追う側に回るには。

 自分を取り囲んでいる状況をきちんと見極めることができる知識と、それに対処する力。そしてなにより、きちんと見て対処しようと思える気力が必要だ。

 

 ヒューベルトさんが、持っていたランプを、大きく円を描くように振り回す。それが、合図だった。


 真っ黒い闇に一斉に光が灯る。眩しさに、思わず両腕で目を塞ぐ。

 片目を少しずつ開くと、何も見えなかった森の中にランプの明りが点々と浮かび、その明かりを反射して、周囲の木々が黄金に輝いて現れていた。


 …………ああ、光だ。


 息を吐き出すように、そう思った。


 境光が落ちた森の中だとは思えないほどの明るさに目を見開き、言葉をなくす。先ほどまでの、黒く塗りつぶされたような重苦しさが、嘘のように瓦解して行く。その、圧倒的なまでの、光による闇の浸食。


 ……ああ、ラウレンス様が街灯を欲しがる気持ちが分かった。


 光というのは、なんて強いんだろう。


 例えばこれが迎えにきた人たちじゃなかったとしても、敵だったとしても、それでも、自分の足元すら見えなかった暗闇の中に、これだけの光が満ちればそれだけで、抗おうという方向に、気持ちが向く。なんとかしなければと、考えることができる。閉塞した心で足元に広がる暗闇を見つめていたその視線を、前に向けようと思える。


「…………アーシュさん」


 いつの間にか隣に立っていた気配に声をかける。


「うん?」


 闇の中に浮かび上がる黄金に輝くその一画の森が、とても幻想的で美しいと思った。目をそらすことができず、茫洋として目を見開いたまま口を開く。


「わたし、街灯を作る」

「…………そっか」


 ここは森林領で、今、わたしが所属しているのは森林領の開発室だ。そこでこれまでにないものを作ってしまうと、穀倉領の人であるアーシュさんにとっては面倒なことになってしまうかもしれない。それでも。


「わたしこの光を、みんなに受け取って欲しい」

「分かった」


 街灯は道沿いにしか置かれないだろうし、例え光があったとしても、森の中の脅威は闇だけではない。それでも、周りの様子が見えることで、人の心はこれほど違う。


 一度目を閉じて、1つ深呼吸してからゆっくりと目を開ける。


「……他の全てに優先して、作るから」


 春の準備ができないけど、きっとコスティなら理解してくれる。コスティも、暗闇の怖さを知っているのだから。






 シェルヴィステアのお城に戻る途中で境光が出始め、それからしばらくして、後の3の鐘を聞いた。もうそろそろ夕食の時間だ。


「ダンっ!!」


 一旦、アーシュさんたちと別れてペッレルヴォ邸に向かうと、サロンでダンが待っていた。

 

「……ああ、お帰り」


 思わず思いっきり飛び付くと、一瞬よろめいて、片足を一歩分引いて受け止めてくれた。


「ずいぶん冒険したな」

「うん……。大冒険だった」

「そうか、がんばったな」

「うん。わたし、がんばったよ」


 ダンに頭をポンポンされて、ようやく、自分がどれだけ大変な目にあったか、そして、もう危機は過ぎ去り、安心できる場所に帰ってきたかが胸に落ち、肩の力が抜けると同時に涙が溢れてきた。


「…………怖かったよ」

「そうか」

「アーシュさん、すごかったよ」

「へぇ」

「……3人だったの」

「うん?」

「わたしを……誘拐した人たち。……最初は3人だったの」

「ああ」


 思い出すと、胸が苦しくて苦しくて、涙が滝のようにどんどん流れだす。


「でも……、ひ、1人になっちゃったの……」

「そうか」

「料理、美味しいって……、言ってくれたのに」

「……そうか」


 ダンが頭を撫でてくれるけど、そうされるとますます涙が止まらなくなる。


「……ウ……ヒック……、どうしようも……なかったの」

「………………」

「何が、正しかったんだろう」

「………………」

「………………そうだな」


 ギュウッと力いっぱいしがみ付くわたしの頭を撫でながら、ダンがポツリと呟く。


「難しいな…………」


 ……ああ、そうか。ダンは戸籍の仕事から逃げたんだ。


 こんなにも重く苦しい仕事だ。逃げるのも当然だと思えた。

 




 泣き止むまでそのままサロンでダンにしがみついていたのだが、泣き止んで、落ち着いて鏡で自分の身を映して見ると、それはそれはひどい有り様だった。

 顔や服は泥まみれで、雪を吸って濡れそぼり、髪は振り乱れてボサボサだ。絨毯ももちろん泥だらけで、使用人に申し訳なく思う。


「あれ? ……でもなんか、見てるとだんだん違和感がなくなっていくなぁ」

「城に来る前はいつもそんなもんだったからな」

「ハッ、そうか!」


 改めて見るとひどいものである。仮にも11歳の、どこかに手伝いに入る娘の姿じゃない。これで手伝いに来られても迷惑だろう。


 ……ヒューベルトさんやフレーチェ様が身形身形って言うわけだよね、これ。


「うーん……、さすがに着替えた方がいいよね」

「当たり前だ。また風邪引くぞ。すぐ着替えて来い」


 サロンから出ると、ヒューベルトさんとリニュスさんが待機していた。


「申し訳なかった」


 二人して頭を下げる。わたしの護衛が二人の仕事なのだから、これは仕方ないのだろうなと思う。


 ……あまりキツイ罰を受けないようにアーシュさんにお願いしてみよう。


「うん……。わたしこそ、ゴメンね、勝手に動いて」

「いや……、違和感を感じることができなかった我々の落ち度だ」


 ……そういえば、それほど強くは止められなかったな。


「違和感…………? そういえば、あの二人が着てた衛兵の服って、このお城の衛兵が普段着てるものだったよね」


 だからこそ、わたしも不自然に思わなかった。


「ああ。衛兵の制服は、領主の代替わりの際に入れ替えられているはずなんだがな」

「つまり、新しい制服を手に入れる手段があったってことなんだよね」


 リニュスさんの言葉を頭にじっくり落とし込んで、ゾッとする。


「…………誰かが、渡した……ってことだよね?」

「そういうことだな」


 ヒューベルトさんが特にこだわる様子もなく頷く。お城の中に敵がいるということに、特に恐怖を感じている様子はない。


 ……慣れてるんだ…………。お城って、そういうところ…………。


「そういうわけでね、今、この邸からも完全に信用できる者以外を遠ざけてるんだ」

「あ、それでなんか静かなんだ……」


 リニュスさんの言葉に納得する。使用人が忙しく働いている時間なのにも関わらず、階下から物音がほとんど聞こえてこない。


「ダンさんも、今日はこのままここに泊るんだけどね。ちゃんともてなせなくて申し訳ないってペッレルヴォ様が珍しく萎れてたよ」

「…………部屋、空いてるの?」

「ああ。急遽開けたらしい。美しくとまでは言えないだろうが、泊まることはできるようだ。使用人が最低限だから行き届かないことがあるかもしれないが、我慢してもらうしかない」

「それは構わないだろうけど……」


 わたしもダンも元々庶民だ。自分の身の回りのことを自分でするのは当然のことだと思っているし、なんなら食事も自分で作って構わない。だけど、この邸には上流階級出身の人もいる。その辺りはどうするのだろう。


「まぁ、ペッレルヴォ様は元々使用人はハンナだけでやってきてたし、アリーサ先生は上流階級といえど領都にすむ商人だ。自分で何とかできるだろう」

「……ヒューベルトさんは?」


 わたしから見れば、ヒューベルトさんも充分上流階級然としている。掃除とかできるのだろうか。


「衛兵はそういう訓練もしてるからね。オレたちは大丈夫だよ」


 何故か憮然とした表情を浮かべるヒューベルトさんに苦笑して、リニュスさんが答えてくれた。


「なぜ、私だけ心配されたのだ……? リニュスはできると思われて、私はできないと思われたのか……? 何故だ……?」


 ヒューベルトさんがブツブツ言ってるけど、早く着替えたいので流すことにした。






「本当に……、本当に、よくご無事で……」


 わたしの姿を確認した途端、わたしの両手を取って、アリーサ先生が泣き崩れた。


 ……ああ、本当に、いろんな人に心配をかけてたんだ。


 わたし自身は必死で、無事だとか無事じゃないとか考える余裕もなく、とにかく、アーシュさんに言われたことを遂行するのに必死だった。でも、待ってる方はできることもなく気を揉むばかりで辛かっただろうなと思う。


「……心配かけてごめんなさい。お腹の赤ちゃんは大丈夫ですか?」

「ええ、ええ。本当に心配致しましたわ。アキ様の無事が分かって、お腹の子も安心して寝たのでしょう。さっきまで蹴って暴れていたのですが、静かになりましたわ」

「え……、アリーサ先生、もしかして寝てないのですか?」


 アリーサ先生の言葉に驚いてしまう。だって、もう完全に翌日の夕方だ。そんなに長い時間休まないで心配ばかりしていたら、それこそ赤ちゃんもアリーサ先生も体を壊してしまう。


「わたしは大丈夫だから、アリーサ先生は寝てきてください。わたしも今日はこのまま寝ていいって言われているし」

「ええ。アキ様のお体を清めてから部屋に戻って休みますわ」

「あ……そうか」


 たしかに、それはちょっと手伝ってもらった方がいいかもしれない。背中とか、手が届きにくいところもきっと汚れでドロドロだ。


「……どこも傷はついておりませんわね」


 浴室で、わたしの体を洗ってくれながら、アリーサ先生の確認が入る。


「はい。アーシュさんや犯人の人が守ってくれました」

「…………犯人が?」


 アリーサ先生が手を止めて聞き返す。怪訝表な表情からすると、まだ詳細は聞かされていないようだ。


「わたしを誘拐した人たちは、他の誰か偉い人に命令されて動いていたんです。でも、その偉い人たちに犯人のうちの……2人、が……」

「ああ、なるほど。分かりましたわ」


 あの2人がどうなったのかを口にしようとして、躊躇ってしまったわたしを遮る形でアリーサ先生が言葉を挟む。


「残った1人が、その偉い人たちを裏切ってアキ様を助けてくれたのですね?」

「はい。でもケガしてたみたいで、休んだところで倒れてしまったんです。逃げる途中で野生の動物とかからも守ってくれていたので、相当無理させてしまったみたいで……」

「アキ様が悔やむ必要はありませんわ。因果応報というものです。むしろ、アキ様を助けたことで、命が繋がったのでしょう」


 アリーサ先生はにっこり笑ってそう言うが、そうとばかりも言い切れない。


「でも、他にもいろいろと悪いことをさせられてきたみたいで……捕まったら処刑されるって言ってたんです……」

「あら、まぁ」


 アリーサ先生が目を丸くする。


「でも、それこそ因果応報というものですわ。どこかで野垂れ字ぬのではなく処刑されるのであれば、少なくともその存在は肯定されることになりますもの。やはりアキ様を助けたのは正しいことだったのでしょう」

「存在が、肯定される?」


 どういうことなのか、意味が分からず聞き返す。


「ええ。その者が、たしかに生きて、そして死んだという公的な証明が残ります。野垂れ死んでしまっては、その証明は残りませんわ。誰にもその存在を知られることなく消えてしまうのです」


 なるほど。そういう考え方もあるのかと、納得はできないが理解する。


「わたくしならば……」


 そう言って、アリーサ先生がお腹を撫でる。


「この子がどこで産まれてどこで死んだ何者なのか、誰にも知られることがないというのは辛いことですわ。それこそ、この世界に存在しなかったのと同じですもの。わたくしは、この子の存在を、この世界に肯定してもらいたいと思いますわ」


 ……ああ、そうか。アリーサ先生のお腹にいるのは、わたしやあの人と同じ、命なんだ。


 当たり前のことのはずなのに、人の命が失われるということに触れて初めてそう気付いた。

 ザルトのお母さんは、いっぱい子どもを産んでいた。あれは、ただザルトの兄弟が増えたというだけではなくて、1人の人間の命が、この世界に生まれていたんだ。


 世界ができてから、人の数は少しずつ増えてきているのだと聞いた。人の数が多い方がいいのか少ない方がいいのか。そんなことを、人の寿命に対して産まれる数が多いのだと、単純に計算しながら話し合っていた。なのに、その一つ一つに目を向けると、それはこんなにも複雑だった。そんなこと、あの時は考えもしなかった。


「……アキ様?」


 なんだかよく分からないけれど、涙が溢れてくる。


「……アリーサ先生すごいね。先生は、命を産むんだね」

「……ああ。ええ。そうですわ。わたくしはこれから、新し命を生み出すのですよ。人というものは、こうして脈々と、命を繋いでいくものですわ」


 アリーサ先生が愛おしそうにお腹を撫でる。


「いつか、アキ様もこうして命を繋ぐ時が来るかもしれませんわね」

「うん……。はい」


 わたしでも誰でも、あの緑灰の目の人だって、いつかこうして、同じようにお母さんのお腹から命を繋いで産まれた命なのだと、なんだか胸に落ちた。






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