事故

 わたしが考えたランプは、油の代わりに水を張っておき、その上に発火させる神呪を描いて、さらにその上に燃やすものを置いて、それを覆うように膜を張るという仕組みだ。

 ガラスで作りたかった蓋の代わりに水の膜を使えれば、もし落としたとしても中で燃えているものは必ず水の中を一旦通ることになる。燃やすものに消えやすいものを使えば何とかなるのではないかと思っている。


 とりあえず、試作品として、燃やすものには手近にあった枯れ草を束ねて使うことにした。ギュッとたくさん縛った固まりと、ふわっと軽く丸めた固まりで試してみることにする。

 油を入れる部分に、油の代わりに水を入れる。その上に、神呪を描いた薄い板の蓋を被せ、その上に枯れ草を乗せる。


 ……よし、準備完了。


 わたしは、ドキドキしながら持ち手の神呪を作動させた。二つある神呪のうち、まず片方の神呪で水の膜を張る。器の淵から、一瞬ふわっと水滴が溢れ、次の瞬間、その水滴が積み上がるように壁を作っていき、音もなく、透明の膜ができあがる。


 ……よしっ水の膜、成功!


 次に、火の神呪だ。こちらはできて当然。描き慣れた神呪なので、難なく草の固まりが発火する。だが、やはりというか、子どもの手のひらに乗るくらいの草では大して明るくもならないし、すぐに燃え尽きてしまう。


 ……燃やすものを大きくすると重くなるしなぁ。


 燃やすものには木の枝など、森でも簡単に手に入るものを想定しているので、一度それでも試してみることにした。


 ……水の膜は持ち手を持った瞬間に作動するとかの方がいいかもしれない。万が一、火を付ける方を先に作動しちゃったら元も子もないもんね。


 わたしはランプを置いて、薪を取りに行った。念のために、薪の場合と落ちている木の枝の場合の両方を試してみたい。


 水の膜が上手くいってご機嫌なわたしは、鼻歌交じりに水場に戻って、作業に取り掛かる。転がっていたランプを拾って、そのサイズに合うように小刀で薪を削る。


 ……薪って大きいし、削りにくいよね。


 どうせいろいろと試すのだから、多めに準備しておくことにする。


 四苦八苦しながら、いくつもの薪の欠片を準備する。夢中で削っていると、ふと目の端で赤いものが動いた。何気なく目を上げて、心臓が凍り付く。


「あ……え?」


 水場の周囲は、冬に枯れた草と新しい緑が混じっている。何のせいかは分からないが、やたらと緑の所と、やたらと枯れた部分があって不思議だ。


「え?……えっ?…………や……え?いや……なんで!?」


 その、枯れた部分が、火に覆われていた。


「火……火、消さなきゃ」


 強張った体をギクシャクと動かして水管の方を向く。


「あ…………」


 枯れ草を飲み込みながら、火が水場の方へ這って行く。


 ……あのまま進んだら。


 その先には、木材で簡単に作られた屋根がある。


「は、早く……早く、消さなきゃ……!」


 水をかけなきゃと、水場に向かおうとするが、体が上手く動かない。無理やり足を動かすと、もつれるように引っかかって倒れこんでしまった。


「きゃっ!?…………う……は、早く……早く!」


 息が浅くなる。震えるお腹に力を入れて、大声を出してみるが、その声さえ掠れる。


 その間にも、火は地面を舐めるように広がっていく。


 周囲を見回して、水場に視線を戻して目を見張る。


 ゴクンと喉が鳴った。


 火は、水場を覆う屋根の柱に燃え移ったところだった。


 




 火はあっと言う間に乾いた木の柱に燃え移り、屋根にまで広がっていく。その光景を、大きく見開いた目で、わたしは瞬きもできずに、ただ見つめていた。


 ……どうしよう……どうしよう、どうしよう!どうしたらいいの!?


 火の勢いが増し、熱気が膨れ上がる。体の正面から熱を受けて、その熱さにすくみ上って体が震える。

 この事態を引き起こしたのが自分だということが、わたしを迷わせる。もう諦めて早く逃げ出さなければと思うのに、どうにかしなければという思いが消せなくて、冷静に判断できない。


 ……どうしようも、ないはず……!


 頭のどこかで、そう言う自分がいる。水場を囲む柱が燃えているのだ。水を汲んでまき散らすこともできない。なのに、動けない。


「アキ!こっちへ来い!」


 ダンの怒鳴り声が聞こえてハッと我に返る。尻もちをついたその恰好のまま、首だけで振り返ると、ダンがこちらへ駆けてくるのが見えた。


「ダン!」


 ホッとしたわたしは、ダンの元へ駆け寄ろうとした。だか、立ち上がることができない。腰から下に力が入らなくて、動けないという現実がわたしにパニックを起こさせる。


「ダン!ダン!ダン!」


 わたしは必死に手を伸ばすが届かない。それ以上どうしたらいいか分からず、ただ、ダンの名前を呼ぶことしかできない。


 ……熱い……怖い……怖いっ!


 そうしている間にも、火は水場の屋根を燃やし尽くし、バキバキと音を立て始めた。


 ……崩れる……!


 ハッと顔を戻すと、屋根がだんだん傾いていくのが目に入った。ゆっくりと屈みこむように、火の塊が沈んでいく。まるで、巨大な赤い生き物のようだと思った。


 ……水、水が……。


 あの水を使うつもりだったのだ、何かあったら。火を扱うのは危険だから。もし、他の物に燃え移ったら。なのに。

 そんな、わたしの軽い考えなど嘲笑うかのように、屋根は水場に覆いかぶさって燃え続ける。


 ……どうして……水管まで……。


 為すすべもなくて、どこか他人事のように呆然とその光景を見つめる。水管は金属なのに。燃えるなんて、考えてもみなかった。

 こんな時なのに、それでもわたしは知らなかったことを発見して、息を飲んでその光景に見入ってしまう。


「アキ!避けろ!逃げろっ!!」


 ダンの声に再び現実に引き戻されて瞬くと、先ほどまで屋根を支えていた柱が、火に包まれた状態でゆっくりと傾いでいくのが目に入った。屋根に引きずられたのだ。


 何も考えられなかった。


 頭が真っ白になって、逃げなければいけないという発想さえ生まれない。


 ただ、ゆっくりとこちらへ向かってくる赤い炎を、目を見開いて見ていた。


「アキ!」


 すぐ近くで、ダンの声がした。


 そう思った次の瞬間、わたしは全身に激しい衝撃を受けて目を瞑った。


「うっ……い、たっ……!」


 衝撃に息が詰まる。背中や腕が痛くて、息を吐き出せない。眉間にしわを寄せてギュッと目を瞑って痛みを堪える。目の端から涙がにじんできた。


「うっ……ハッ……ハッ……ハァ、ハァ」


 自分の体をギュッと抱きしめて、ゆっくりと、少しずつ息を吐き、ようやく大きく息をすることができた。

 涙を流しながら、顔を歪たまま目を開けると、燃え盛る柱はわたしのすぐ横に倒れていた。


「ダ……ン……?」


 その柱とわたしの間に、うずくまっている。


「ダン……ダン!?」


 わたしは痛みも忘れてダンに縋りついた。これまでに味わったことのない恐怖が、心の奥から染み出すように広がって、お腹の奥から震えが上がって来る。


「ダン!ダン!」


 わたしが震えながら泣き叫ぶように名を呼ぶと、うっと呻いて、ダンが身じろぎした。


「クリストフさん……呼んで来い!」


 蹲ったまま、顔だけこちらに向けて、ダンが苦悶の表情のままわたしに怒鳴りつけた。

 ダンが生きて返事をしたことに気が抜けて、言葉が頭に入って来ない。ホッとして、力が抜ける。


「早くっ!アキっ!!」


 大声で怒鳴りつけるように名を呼ばれて、やっと我に返る。


「ダンは……ダンは……?」


 ダンは丸まっていて、ケガの確認ができない。でも、自分の体を抱きしめるようなその恰好は、どこか庇っているように見える。


「早くしろ!クリストフさんを……!」


 今度は顔を上げずに怒鳴る。その、引き絞るような声に、わたしはすぐに身を起こして、炭やき小屋へ走る。


 怖くて。


 怖くて、怖くて。


 ぐしゃぐしゃに泣きながら辿り着くと、わたしを見たクリストフさんがすぐに駆け寄ってきてわたしの肩を掴む。


「どうした!?なにがあった!?」

「お願い!水場で……ダンが……ダンを……助けて!」


 わたしの言葉を聞いて、すぐにクリストフさんが駆け出す。その後ろ姿を見ながら、でも、わたしの目の前は、だんだん暗くなっていく。わたしはそのままそこに倒れこんで、その、自分の体が横たわる、トサッという音を聞きながら、その場で意識を失った。








「神呪は、そもそも神の力だ……。人が制御できるなんて……思ってはいけないよ」


 ……ああ、お父さんだ。

 

 わたしは、いまいちハッキリしない頭でぼんやりとその声を聞いていた。お父さんの声はずいぶん遠くに聞こえて、それなのに、その言葉はひどくハッキリと頭に響いてくる。不思議な感覚に陥る。


「君は天才だ……。これからも、様々な神呪を……作り出すだろう」


 ……お父さん、どこにいるんだろう。


 この言葉には聞き覚えがある。だから、聞いたのはもっと前のことだ。わたしは思い出している。今、言われているわけではない。


「それでも……君は、人間だ」


 ……ああ、わたし、人間じゃなくなろうとしたことが、あったんだっけ?


 遠い記憶だ。もうずいぶん前の。小さい時の。あの時の……。


「忘れては、いけないよ」


 ……あの時、わたしが人間に戻ったのは……。


 ふいに、意識が上に引っ張られるような感覚に襲われる。まるで、水の中を漂うようにゆらゆら揺れていた記憶と感情が、少しずつ水面に向かい、光に包まれるように鮮明になる。


「あ……」


 かすれた声が耳に届く。それが自分の声だと気付くのに、少し遅れた。


「アキちゃん!」


 ヴィルヘルミナさんの声が聞こえて横を向くと、首と腕がズキリと痛んだ。


「……っ!」

「アキちゃん!無理しないで」


 痛みに目をギュッと瞑ると、ヴィルヘルミナさんが慌てたようにわたしの体に触れる。


「体を強く打ってるの。骨に異常はないけど、しばらくは安静にしていないとダメよ」


 そっと目を開けると、ヴィルヘルミナさんが眉を寄せて痛々しそうな顔をしているのが見えた。その相変わらずのおっとりした口調に、体の緊張が取れる。


「……ダンは?」


 無意識に口をついて出た自分の言葉で、ハッとする。


 ……そうだ。ダン……ダンは?


 最後に見た姿を思い出して、顔からザッと血の気が引いていくのが自分で分かった。体を庇っているように見えた。


「ケガは!?」


 そもそも、無事だったのなら、今、ここにいるのはきっと、ヴィルヘルミナさんではなくてダンのはずだ。

 頭に浮かびそうになる一つの可能性から目を逸らして聞く。だが体が震えだすのが止められない。


「アキちゃん、落ち着いて。ダンさんは隣の部屋で寝ているわ」


 ヴィルヘルミナさんが、落ち着かせるようにわたしの手の甲を撫でる。


「ケガをして、まだ意識が戻っていないの。少し、煙を吸ったのですって。でも、命に関わるケガではないから、じきに目を覚ますだろうってお医者様に言われたわ」

「あ……良か……った」


 ホッとして体の力が抜けた。


「お水、飲む?」


 わたしは頷いて、コップをもらった。ただの水なのに、喉に触れた瞬間、すごく甘いと思った。それまでひりつくように喉が渇いていたのだと、初めて自覚する。


「わたしは兄さんに知らせてくるわね。一人で大丈夫?」


 コクンと頷くわたしに優しく笑って頷き返して、ヴィルヘルミナさんがドアから出て行った。


 一人残されて、ため息を吐く。


 ……どうして、忘れていたんだろう。


 お父さんとの最期の会話だったはずだ。だが、思い出した今もなんだか実感が伴わない。


 ……会話じゃなかったのかも。


 わたし自身が、お父さんに何と返事をしたのか。そもそも、あの時自分が何を感じていたのか、いや、何かを感じていたのかさえはっきりしない。お父さんのあの言葉を聞いたのが、本当に自分だったのかすら、わたしには分からなかった。




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