コスティの傷
「アルヴィンさん、アルヴィンさん、新商品ができたんだよ!」
3月に入り、森の中はまだ雪が残っているが、人や馬車が頻繁に行き交う道の雪はもう解けている。森の入り口辺りも、解けきれていない雪が端に寄せられ、猟師さんの活動が活発になってきているようだ。
わたしは、今日はコスティに馬に乗せてもらって領都まで来ている。ハチミツ飴はお金持ちの旅行客狙いなので、グランゼルムのような小さな町では売れないだろうという計算だ。
「どんなものですか?」
受付のカウンター越しにアルヴィンさんを見上げていたら、奥からトピアスさんが出てきた。
「木の実のハチミツ漬けも、食事処の方で、少量ずつですが売れていますよ。そろそろまた納品していただきたいところですが」
そうか。最後に納品したのが11月の終わりだったから、そろそろ5か月以上経つのか。やっぱり森林領は、穀倉領に比べて冬が長いなと思う。
「……そろそろ採蜜する時期だ。あと、今年は分蜂させようと思うから、上手くいけば来年には採蜜できる量が増える」
パッと振り向いたわたしの視線を追って集まった、みんなの視線を受けて、コスティが少し引き気味に答えた。
「ぶんぽうって?」
「女王蜂をもう一匹作らせて、そいつを独立させて集団の数を増やすんだ。巣箱をもう一つ作ってそっちに誘導できれば、単純計算で2倍採れるようになる」
「えっ、そんな仕組み!?すごいね」
女王蜂は一つの巣箱に一匹だと、以前コスティに教えてもらった。一人の女王様に、何万匹もの働き蜂がいて、一つの集団なんだって。そういえば、去年コスティは、次は巣箱を増やすと言っていたが、単純に箱を増やせば良いというわけではなさそうだ。
「いろいろ試してみてるところだから上手くいけば、だな。巣箱を作るにも材料買う金が必要だし……」
……ああ。ハチミツの売上げ0だったもんね。
「自分で試してみるのですか?それはすごいですね。楽しみです」
トピアスさんが感心したようにコスティを見る。嬉しくなって、わたしの方がえへんと胸を張ってしまう。というか、むしろコスティは特に反応してない。なんでだ。
「ところでアキさん、新商品とは?」
「あ、そうだったそうだった。ジャジャーン」
「……なんですか?」
わたしが更に胸をそらして差し出した壺に、首を傾げるトピアスさん。
……それはそうだね。中身を見せないとね。
わたしは壺からいそいそとハチミツ飴を二つ取り出して、トピアスさんとアルヴィンさんに渡す。
「ハチミツってスプーンがないと食べられないでしょ?だからもっと簡単に食べられないかと思ってあめ玉にしてみたの」
「……ハチミツの飴……ですか?」
「うん。ハチミツだけで作った純粋なハチミツ飴だよ。元々入ってた成分も排出させないでそのまんま固めたし、加熱処理もしてないから栄養もたっぷりなままだよ」
そうなのだ。一度はできたと思ったハチミツ飴だが、コスティに店に行った時に何気なく見た本の栄養学の部分に、加熱処理すると効果がなくなる栄養素があると書いてあったのだ。しかも、結構多い。どうせなら栄養価が高いのを売りにしたいので、わたしは帰ってからまた実験を重ね、加熱処理をしなくても固まる方法を編み出したのだ。
「あ……ホントだ。ハチミツの味ですね。ものすごく甘いです」
アルヴィンさんが驚いている。
「ええ。甘さが濃いし、最初に舌に触れた瞬間、ちょっと苦みを感じるところも全く一緒ですね」
トピアスさんも驚いている。
良かった。これでわたしの努力も報われた。
「これはどうやって作ったのです?」
「企業秘密」
目の奥をキラリと光らせて聞いてくるトピアスさんに、目をキラリと光らせて切り返す。一度やってみたかった。今日はいろいろ満足だ。
「これなら、旅の途中でちょっと食べることもできるでしょ?栄養価がそのままだから、風邪予防とか病気にかかりにくくなるとか言えば、買う人いるんじゃないかなぁ」
「そうですね。見えるところに置いておいて、声をかけてみましょう。ところで、この飴の価格ですが……」
次の出荷の時に、またダンと来て契約することになった。子どもって不便だな。
「この木箱を利用するんだ」
コスティが小屋にいくつか置かれている木箱を指す。
わたしは久しぶりに小屋に来たのだが、埃が積もったりはしていない。やっぱり、冬の間もコスティはまめに通って来ていたようだ。暖炉に薪が燃えた跡があるのを見て、発火用の神呪を用意して本当に良かったと心から思った。
「お前、木工加工なんてできるのか?」
「え?できないよ?」
「……は?」
なんの質問なのか分からない。わたしが優れた木工職人に見えるだろうか。言われたことないけど。
「じゃあ、お前何しに来たんだよ」
「え?蜂を見に?」
「…………」
なんでコスティは項垂れているのか。まさかわたしに木工加工を期待していたのか。
「小刀くらいは使えるけど、ノコギリとか使ったことないよ?教えてくれるならやらないこともないけど……」
「……いや、いい。非力そうだし」
「作業を見せてもらえれば、神呪を描いて補助できる部分はあるかもしれないよ」
コスティがひらひらと手を振りながら適当そうに言う。そのいかにも期待していないという態度にちょっとムッとする。わたし自身は非力でも、神呪を描けばいろいろ工夫はできるのだ。コスティができないことも、わたしならできるかもしれない。
「じゃあ、その辺で見学してろ」
コスティはそう言うと、簡単な工具やら木材やらを床に並べて作業を始めた。ずっと見ていればできることはあるかもしれないが、今のところは特になさそうなので、わたしは防護服を着て蜂の見学に出た。
今日は、蜂がどこまで行くのか見てみるつもりなのだ。目印用にと持って来た炭の欠片を点々と置いて、森の中を、一匹の蜂を追って歩き出す。
森の中を歩くのは大変だ。蜂は道の上を飛んではくれない。倒木を乗り越えたり、わたしの腰くらいまでの高さの草をかき分けたりして進む。そもそも、鬱蒼として人の立ち入らない森の奥は薄暗く、ランプが必要なのだが、ランプは下の部分に油が入れてある上に、金属やガラスで作られているので、重い。そしてランプで照らしていても、蜂から目を逸らさないように気を付けているので、どうしても足元が疎かになって、何度も転びそうになる。それでもめげずに蜂を追っていたのだが、行けども行けども蜂は止まらない。結局、持って来た炭がなくなってしまい、進もうか戻ろうか迷っている隙に蜂を見失ってしまった。
……炭の目印がないと帰れなくなるよね。
目印がもうない以上、どのみち今日はこれ以上進めない。わたしはがっくりして、炭を回収しながら元来た道を戻って行った。
……それにしても、蜂ってどこまで行くんだろう。
小屋に戻ったころには、持って行ったランプの蝋はなくなり、コスティの作業は大部分が終わっていた。わたしはもうクタクタだが、蜂はまだ飛んでいた。あの小さい体で、疲れて途中で落ちちゃったりしないのかなと心配になる。
「コスティ……蜂に負けちゃったよ……」
疲れ果てて小屋に戻り、そのまま床に両手両足を投げ出して寝転ぶ。しばらく動けそうにない。
「床は汚いぞ」
コスティは結構小うるさいと思う。
「森の中まで蜂を追いかけてったんだけどね。途中でわたしの方が力尽きちゃったよ」
「は!?まさか油入りのランプを持ってったんじゃないだろうな!?」
わたしの弱音を聞いた途端、コスティの形相が変わる。突然怒鳴られてビクッとするが、何に怒られているのかが分からない。わたしの弱音ではなく、ランプに大きな反応を示されて、コスティの言いたいことが分からず戸惑ってしまう。
「え……ランプ、持ってたけど……」
森は暗いので、森に入るならランプが必要だと思う。わたしだけではなく、みんなそうしている。
「バカッ!子どもが気軽に森に入るなんて……途中で境光が落ちたらどうするつもりだ!?転んでランプが消えたら!?ランプの油が零れて引火したりしたらっ……!」
コスティがわたしの両肩を掴んで揺さぶりながら問い詰める。
その捲し立てるような、叫ぶような声音に、ただ目と口を見開いて驚き固まってしまう。肩を掴む力が強すぎて痛くなるが、コスティのあまりの怒りように、文句さえ出ない。
わたしが固まったままじっと凝視していると、ハッとしたように口元を手で覆って横を向く。眉間にしわを寄せて、空中を睨むように視線を逸らす。何かをこらえているようなその表情は辛そうで、見ているこちらまで胸を苦しくさせる。
「コスティ……」
「…………悪い」
わたしの呼びかけに、震えるようなため息を吐いて、低く呟くように返す。
ただわたしを心配してとかではなく、きっとコスティの過去に何かあったのだろうと思う。
……何か、辛い思いをしたんだろうな。
コスティの表情を見ていると他人事とは思えず、わたしまで俯いてしまう。
「ううん。そうだね。境光が落ちたら大変だったし、実際何度も転びそうになったよ」
「……森は危険なんだ。凶暴な動物だっているし、火事でも起こしたらもうこの辺りには住めなくなる」
「うん」
もしかしたら、それはコスティ自身が経験したことなのかもしれない。
礼儀をちゃんと教わっていて、本もあんなに持っているコスティは、お父さんと二人だけでひっそりと森の中の小屋に住んでいる。お父さんは働きに出ている様子もなく、コスティは始めの頃、クリストフさんに勉強をするように言われていた。森での暮らしに馴染んでおらず、明らかに、ここ何年かの間に町中から引っ越してきた様子だ。
コスティにとっては、その傷はきっとまだ生々しくて、触れられると痛むものなのだろう。その気持ちはわたしにも分かるので、これ以上この話に触れられずにどうしたものかと、気まずく沈黙してしまう。
「……オレも付いてったことあるよ。でも無理だった。途中でランプが切れそうになって怒られた」
気まずい空気を吹っ切るように、ため息を吐きながらコスティが前髪をかき上げて、ちょっと苦笑しながら懐かしそうに話す。
……怒られたって、誰にだろう?
今のお父さんとの関係を見る限り、あのお父さんに怒られるコスティというのがあまり想像できない。昔は違ったのだろうか。
「あれって、わたしが最初に追いかけた蜂だよね?途中で入れ替わったりしてないよね?」
「……は?なんだそれ。入れ替わったのか?」
怪訝そうに聞かれるが、わたしだって入れ替わったところを見たわけではない。だが、わたしでさえこんなにクタクタになったのだ。あの小さな体であの距離を飛んでも平気なのだろうかと疑ってしまう。
……もしかして、歩くより飛ぶ方が楽なのかな?
「だから、ハチミツがすごいんだろ?あと、花粉にもすごい栄養が含まれてるらしいしな」
「えっ?花粉?あの、花の真ん中についてる粉?」
「ああ。蜂は花粉を食べるらしいぞ。ハチミツにも花粉が含まれてるらしいし」
なるほど。薬代わりになるのはハチミツだけではなかったようだ。
だが、いくら栄養たっぷりだからと言って、あの粉の花粉を食べようとはなかなか思わないのではないだろうか。もしかしたら、その辺りを上手く伝えることができればハチミツ飴ももっと売れるかもしれない。
……入ってる成分を出さずにそのまま固めたのは正解だったかもね。
「でも実際、あの蜂について行ければ、もしかしたら採蜜できる量が増えるかもしれないんだよな……」
ハチミツ飴をどう売り出すか考えていると、コスティが真剣な顔で何か考えるように呟いた。
「蜂について行くとどうなるの?」
「どこに何の花があるかとか、分かるだろ?」
なるほど。それはそうだろう。だが、何故コスティがそれを知りたいのかが分からない。蜂が自分たちで知っているのだから、コスティは蜂が蜜を集めてくるのを待つだけではないのか。
「花の種類とか場所が分かれば、それを追って巣箱ごと移動して効率的に採蜜できる」
「えっ、そんなことまでするの!?」
「養蜂家で食ってこうと思うならな」
コスティは真剣に、将来のことを考えている。ここまできちんと知識を得て行動に移しているのだから、中途半端な決意ではないのだろう。
わたしはと言えば、ハチミツを売る仕事は当面のお金稼ぎくらいのつもりだった。将来がどうなるかは分からないが、神呪から離れることは考えられない。神呪師になれなければ、こうして森の中でひっそりと、神呪を便利に使って、他の仕事をすることもあり得る。もしかしたら、このままハチミツを売る仕事をするかもしれない。本当に、まだ何も決められていない。
……いつか、わたしが神呪師になって、コスティが養蜂家になることがあったら。
まだまだ先のことは分からない。でも、もしそんな時がくるのなら、わたしが作ったハチミツ飴を作る動具は、コスティにあげることにしよう。他の人には作り方を教えないでコスティだけにあげるのだ。そうしたら、少しはコスティの将来の役に立てるかもしれない。
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