第4話
しかし、全てを切り裂く風の衝撃は、いつまで待っても襲っては来なかった。
代わりに、凛と響くリリーナの声が、俺の耳に沁みた。
「リセクト《解術》!」
この呪文が俺の体を縛っていた拘束魔法を吹き飛ばした。
轟々と鳴っていた風の音も消える。
急に自由になった膝がバランスを崩して、俺は地面にへたり込む。
目を開けると、俺を庇うようにして立つリリーナの背中が見えた。
「大丈夫ですかっ?」
振り向いた彼女の頬は、飛び散る風魔法の一片を避け損なったのか細く切れて血を流している。
赤いドレスもあちこちが切り裂かれてボロボロだ。
「リリーナ! ケガ!」
慌てる俺に向かって、リリーナはニッと笑う。
「この程度、怪我のうちに入りませんわ」
「いや、だって、血が……」
「私、自分の身は自分で守れるようにと戦闘訓練を受けておりますの。それはそれは厳しい修行で、あばらのニ〜三本折れるのは日常茶飯事でしたわ」
「あ、それに比べたら、はい、大したことないですね……」
「それに、この方が、かえって動きやすくなりましたわ」
リリーナは中途半端に切れたドレスの裾を自ら引き裂いて、カモシカのようなスネを惜しげもなく晒した。
「な、ななな! リリーナ! 何を!」
「決まってますわ、あなたを傷つけようとした不埒者を大公家の名の下……討ちます!」
キッと視線を上げてサレスを睨むリリーナは、思わず見惚れるほど美しい。
甘ったれた美しさではなく、キリリと一本真の通った強さを感じる……例えていうならば、気高き肉食獣を思わせる美しさだ。
しかし、その美しさに見惚れている場合ではない。
俺は慌てて立ち上がり、リリーナの隣に立つ。
「リリーナ、ここは俺が!」
「いいえ、あなたは魔法の知識はあっても、実戦経験がない。アレを倒すのは無理です!」
「アレ?」
ふとサレスに目を移した俺は、彼の肉体が変容を始めているのに気づいた。
サレスが真っ当な状態であれば、俺とリリーナが会話しているこの隙に、いくらでも攻撃の手段があったはずだ。
しかしサレスは白目を剥いてガクガクと体を震わせ、意識がない様子だ。
バリっと肉の避ける音がして、左レスの背中から無数の触手が突き上がった。
「こ、これは?」
俺の戸惑いに答えてくれたのは、チヒロの声だ。
「瘴魔よ!」
ザザッと足音を響かせて、チヒロが俺の隣に駆け込んでくる。
「ミララキバッドエンドにだけ出てくる、人の心の闇を喰う悪魔……バッドエンドでリリーナに取り憑いて彼女を魔物化するはずだったんだけど、いま、このルートは完全オリジナルだから……サレスに寄生したのね」
「解説してる場合じゃないよ! アインザッハが料理に毒を!」
「そっちはもう片付いたから安心して。料理の皿の前でおかしな動きをしてるからとっ捕まえて締め上げたら……サレスが黒幕だってあっさり吐いたのよ。で、私たちがここに来たってわけ」
ここでいちど言葉を切って、チヒロはチラリとリリーナを見た。
それから少し声を落とす。
「それにしてもアンタ、愛されてるわねえ」
「何が」
「黒幕のサレスも、アンタも会場にいないことに気づいた途端、リリーナったら真っ青になってね、真っ先に会場から飛び出して行ったのよ」
「そんな馬鹿な、だって、俺がここにいるとは限らないじゃないか」
「そこは多分、女の勘ってやつ?」
「あー、そういう……」
「ともかく、さっさとアレ、片付けるわよ。ミララキ本編では、イベント絵すらない雑魚なんだから」
「おっけー、チャッチャとふっ飛ばしちまおうぜ」
俺は片手を前に突き出し、指先を軽く組んで魔力をためる陣を作る。
実際に使う機会はなかったが、ここまでちゃんとした魔法教育を受けてきたんだから、攻撃魔法の原理は知っている。
俺は火を起こす魔法の呪文を唱えようと、大きく息を吸った。
と、突然、リリーナに指先をつかまれる。
陣は崩れ、ためた魔力が空中に散った。
「なにしてるんだよ、リリーナ!」
抗議する俺を、リリーナは射抜くような視線でまっすぐに見つめている。
「撃ってはダメ。チヒロ、あなたもよ」
「なんでだよ、リリーナ!」
「あれは、姿かたちは変わってしまっても、サレス先生よ。あれを撃つのはつまり、人を殺すのと同じなのよ」
「だったら、なおのこと、君の手を汚すわけには!」
「いいえ! 私には大公家の娘としての責任があります。あなたたちを守る義務があるのですわ!」
「そんなの! 俺にだってあるよ!」
俺は夢中でリリーナの手を握り返し、その瞳をのぞき込んだ。
「俺は君が好きなんだ、だからこの気持ちが本物であると証明するために、君を守る義務がある。たのむ、君を守らせてくれ!」
「ダレス、それって……」
「愛の告白ってやつだ。君がその手を汚すというのならば、俺も一緒に汚れよう!」
「ああ、ダレス……」
リリーナは一瞬、うっとりと目を閉じた。
「その言葉だけで十分……」
彼女の手は俺の手を振りほどき、そして、とん、と俺の肩を突いた。
「ありがとう、ダレス、私もあなたが好きでした」
俺がバランスを崩してよろけている隙にリリーナはサッと振り向き、サレス先生『だったもの』に向き合った。
「ま、待てよ、リリーナ、好き『でした』ってどういうことだよ、そんなの……そんなの、まるで……」
「さよなら、ダレス」
彼女の最後の言葉は、まるで風のようにほんの一瞬のうちに、俺の耳朶を撫でて通り過ぎた。
「待て、リリーナ、リリーナぁああああああああああ!」
俺が最後に見たものは、触手の塊の中に突っ込んでゆく気高き乙女の後ろ姿と、彼女が唱えた自爆魔法のすさまじい閃光だった……。
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