第6話
第一報は寄宿舎の隣室の生徒によってもたらされた。
「この寄宿舎に、ドラゴンが迷い込んでるぜ」
この世界はこれだけファンタジーなのだから、そりゃあドラゴンぐらいいる。
見た目はいかにもファンタジー辞典にのっていそうな、首の長い、恐竜みたいな生き物だ。
ただし、希少な生き物であるがゆえ……というか、『ミララキ』のストーリーに絡んでこないゆえ、こんなところにドラゴンが現れるはずはないのだが。
「嘘つけよ、ドラゴンってのは険しい山に住んでいるものだろ、それが、どうしてこんなところにいるんだよ」
俺が言うと、ドラゴン出現の報をもたらしてくれた彼は、ぷうっと頬を膨らませて拗ねた顔をした。
「そんなの、僕が知るわけないだろ、いるものはいるんだから、しかたないじゃん」
「だいたい、あんな大きな生き物、こんな狭い建物のどこに入るっていうんだよ」
「それがさ、まだ子供のドラゴンだから小さいんだ。あ、小さいっていっても、大型犬ぐらいの大きさはあるんだけどね」
「ふうん、それで、避難でもしろっていうのかい?」
「そうじゃないよ、捕まえるのを手伝ってほしいんだ。何しろ、大きいくせに素早くってね」
「危なくないか? ドラゴンだろ?」
「ドラゴンってのはよほど怒らせでもしない限りは大人しい生き物さ、それにまだ小さな子供だぜ」
「まったく、大きいんだか小さいんだか、よくわからなくなってきたよ」
俺は自分の目でそのドラゴンを確かめようと廊下に出た。
ちょうど廊下の真ん中を悠々と歩いている仔ドラゴンが、そこにいた。
なるほど、確かに体の大きさは少し大きな犬程度もある。
迂闊に飛びついて押さえつけるのは無理そうだ。
しかし成獣になれば三メートルはあろうかというドラゴンなのだと考えれば十分に小さい。
動きも幼獣特有の無邪気さがあって可愛らしいし、ひょいと手を出して撫でてみたくなる。
仔ドラゴンは、廊下の真ん中に何か気になるものでも見つけたか、足を止めた。
鼻先を降ろして匂いを嗅いで回り、ときどき爪をたてて床材を確かめるようにコリコリと軽く床を掻く。
昔、子犬を飼っていたことのある俺は知っている。
何かを確かめるように前脚で足元を掻きまわし、そして鼻先で匂いを確かめるあの行為は……
「トイレだ! やつめ、ここをトイレだと思ってやがる!」
俺の叫び声に、仔ドラゴンを捕まえようと廊下のあちこちに隠れていた生徒たちが飛び出してきた。
「と、トイレじゃないぞ! ここは!」
「表だ、せめて表に追い出せ!」
「しっ、しっ、こっちだ!」
みんながあまりにわあわあ言って追い立てるものだから、仔ドラゴンはパッと身をひるがえして走り出した。
つまり、後ろから追い立てられて俺に向かって……
いくら子どもとはいえ、大きな体でドスドスと足音を立てて走ってくるドラゴンってのは、そりゃあ迫力満点だ。
「ま、待て、ちょっと待て!」
逃げる間もなく、俺は仔ドラゴンに突き飛ばされて尻もちをついた。
しかも間が悪いことに、仔ドラゴンはついに我慢できなくなったらしく、ジャアッとションベンを放った。
「うわ、うわあ!」
床に生ぬるい水たまりが広がる。
当然、そこにべたんと尻もちをついている俺のズボンは、床に流れる液体を吸い上げてみるみるうちにあたたまってゆく。
ご存じだろうか……中途半端に温かい液体をたっぷりと吸い上げた布が肌に貼りつく、あの不快感を。
しかも吸い上げたのは仔ドラゴンの『お粗相』なのだから、同情の目が一斉に俺に向けられた。
「うわ……」
「きたねえ……」
「えんがちょ……」
仔ドラゴンの方は自分がやらかしてしまったのだと分かっているらしく、長い首をしょんぼりと垂れている。
まるっきり叱られ待ちの子犬のしぐさだ。
俺は、こんなにしょんぼりした生き物を叱れるほど鬼畜じゃない。
片手でドラゴンの鼻先を撫でてやる。
「ほら、怒ってないから、な。次はちゃんとトイレでしような」
そのままドラゴンの顎の下まで撫でてやった俺は、この仔ドラゴンが首輪をしていることに気づいた。
すっと腰を浮かせて首輪を見れば、赤い革に銀のプレートが打ち付けてある。
そこにはおそらく飼い主らしき人物のファミリーネームが刻印してあった。
「シュタインベルグ……って、リリーナの?」
その名を聞いた仔ドラゴンは嬉しそうに目を細めて喉を鳴らした。
まあ、リリーナくらいの名門の育ちであれば、ドラゴンをペットにしていてもおかしくはない。
「そうかそうか、じゃあ、リリーナのところへ連れて行ってやろうか」
『リリーナ』という言葉を聞いた途端、仔ドラゴンのしっぽがバタンバタンと左右に揺れた。
これはリリーナの飼いドラゴン確定だろう。
そう思えば、このドラゴンはどことなくリリーナに似ている気もする。
見てくれは強そうなのに気が小さいところとか、そっくりだ。
「よしよし、でも、その前に体を洗わせてくれよ、これ、お前の粗相なんだし」
俺は濡れた床から尻をあげようとした。
しかしドラゴンは甘ったれた唸り声をあげて俺に鼻先をこすりつけ、俺が立ち上がるのを邪魔する。
どうやらすっかり懐かれてしまったようだ。
「こらこら、あとでちゃんとリリーナのところへ連れて行ってやるからさ、ちょっとおとなしくしていてくれよ」
俺は気安くドラゴンの鼻先を押し返す。
そのしぐさに、周りから賞讃のどよめきが起こった。
「すげえ、あいつ、ドラゴンを犬のように!」
悪い気はしない。
むしろいい気分だ。
と、そこに一つ、パンパンと高らかになる拍手の音が響いた。
「素晴らしい、エクセレント!」
俺を遠巻きに見る人垣をかき分けて現れたのは、白髪頭をピシッとオールバックになでつけた身なりのいい初老の男だった。
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