vol.47 天使が通った
ドニの家でケラケラ笑うのは、千代と在原だけだった。他二名はお通夜のように顔を暗くさせている。
「そんな勘違いある? ドニもさあ、彼女が五月ちゃんはあり得ないって」
「五月ちゃんも付き合ってないって断言したんだぞ、酷くね?」
グサグサと降る言葉の矢から退散するように、香坂とドニはエリカの寝顔を見に行った。
「エリカちゃんの寝顔天使ですね……」
「フランスでは皆が一斉に静まることを、天使が通るって言うことがあるみたいです」
「天使は……」
ちら、とソファーで爆笑する二人を振り向く。
「通りそうにないです」
「ですね」
「なんか、ご迷惑をおかけしてすみません。八つ当たりもしました」
この前の電話のことだ。しおしおと謝る香坂にドニは掌を見せる。
「それは僕もなので。というか、言葉足らずな真澄くんが悪い」
「ですよね!」
「おいそこ聞こえてるぞ」
在原の声に香坂が唇を尖らせ黙る。
昼寝から起きたアリサがリビングへやって来て、香坂を見て目を輝かせた。
「さつきちゃんだ!」
「俺もいるよ」
「ますみくんもいた!」
おまけか、と苦笑する在原。千代が声を潜め「エリカが起きちゃうでしょ」と窘めた。先程まで爆笑していたのはどこの誰だ。
アリサは香坂の隣に座り、エリカの寝顔を覗いた後、香坂の腕を取った。
「さつきちゃん、あっちでおままごとしよ」
「うん、いいよ。ドニさ……パパは?」
「パパはゆうびんやさんね」
子供のおもちゃが揃う中に小さなポストがあった。それを見てから、ドニの方を振り向く。
「郵便屋さんとは?」
「そのポストに手紙をいれる役です」
「なんて詳細な世界観」
子供の目の付け所は違う。香坂は感心する。
言われた通り、ドニは広告の裏紙に文字を書き始めた。
「正直、二人は恋人にはならないと思ってたんですよ」
「……あたしもです」
「最初に会った時、確かに真澄くんが香坂さんのことを気に入ってるなと佐田さんと話したことはあったんですけど、好きな子というよりは、娘みたいな」
例えばドニがアリサを愛するような。
エリカの寝顔を可愛いと思うような。
それと同じ感情を向けていると思っていた。
「じゃああたしも、在原の中にある父性に惹かれたのかもしれないです」
「真澄くんにあります? 父性?」
「あるような、ないような」
「佐田さんは香坂さんのこと、好きだったんですよ」
念を押すようにドニはそれを伝えた。香坂はおもちゃから視線をあげる。
「それは、忘れないでいてあげてください」
「忘れられないです。絶対」
死ぬなんて勿体ないな、とドニは死んだ幼馴染のことを思った。
きっと生きていたら今まで見られなかったものが沢山見ることが出来たはずなのに。
生きていなかったら、在原にも文句は言えない。
手を止めているのがアリサに見つかり、「ゆうびんやさんまだー?」と急かされた。「もうすぐ届けます」と返す。
「ちなみにあたしは何役?」
「さつきちゃんはね、おねえちゃんね」
「アリサちゃんがお姉ちゃんになるんじゃないの?」
「アリサ、おねえちゃんがほしかったんだもん」
頬をぷっくら膨らませてアリサは香坂にしか分からない程度の声を出した。その言葉に香坂は静かに肩を寄せる。
「俺もいーれーて」
在原がやってきた。高身長の在原にとって、ままごとセットは本当にままごとだ。すとんと香坂とアリサの前に座る。子どものおもちゃが更に小さく見える。
アリサは遊び相手が増えたことに意識がいき、膨らんだ頬から空気が抜けた。
「いーよ! じゃあますみくんは、おさかなやさん」
「さかな……? え、魚屋? 魚どれだよ」
「鯛と秋刀魚しかない」
在原に既に焼いてある魚を渡す。ドニが文字を書きながら肩を震わせていた。
「鯛がお安いよー、秋刀魚が安いよー。そこのお姉さん、今晩焼き魚どうですか」
「結構です」
「そうは言わずにほら、特別お姉さんにだけお安くしときます」
「ガールズバーのキャッチか」
「お姉さん可愛いね。体入してみません?」
「しないです」
するりと在原が香坂の手を取る。
ケラケラと向こうで千代が笑った。その声にアリサが顔を上げる。
「きゃっちってなあに?」
「真澄くん、アリサに変なこと教えないでください」
「いや言い始めたの五月ちゃんじゃん」
「きゃっちってなあに?」
「キャッチは、捕まえるって意味」
答えない在原から香坂へと視線を向けたアリサに答え、香坂はぎゅっとアリサを抱きしめた。きゃっきゃと笑い始めたアリサを抱き上げて、くるくるりとまわる。
「さつきちゃん! たかいたかいして!」
「え、それはちょっと」
「アリサ、パパにしてもらおう? ね」
「やだ!」
アリサが香坂へ抱きつき、腰を上げようとしていたドニが悲しげな表情を見せる。
重量があるわけでは無いが、物を投げるのとワケが違う。香坂の腕が折れるより、受け止めきれなくてアリサが落ちたときの方が怖いのだ。
「ワガママすると、五月ちゃん困っちゃうよ」
千代が言うのと同時にエリカが泣き始めた。それにドニと千代の視線が移るのが分かる。
アリサが泣きそうな顔をするのが香坂にはわかり、やるしかないと腕に力を入れる。
「じゃあ俺がするので良い?」
在原が立ち上がり、腕を広げる。
香坂とアリサのきょとんとした顔がシンクロして面白い。
「パパがするより高いぞ」
「どうする? お魚屋さん、たかいたかいもできるみたいよ?」
泣きそうな顔が香坂を見てから在原に向いた。
「やだ」
「まじかよ」
「さつきちゃんがいい」
ぷい、と顔を背け、香坂の首へと抱きつく。香坂は苦笑した顔を在原に見せた。
「わかった、五月ちゃんもたかいたかいするのは?」
「……は?」
「アリサ落とすなよ」
そう言った在原がすっと屈み、香坂の腰を掴んで抱き上げる。
「お、おろして! 怖い!」
ぎゃ、と香坂が色気のない悲鳴をあげ、アリサはそれを聞き笑った。在原は香坂をおろして、アリサに腕を広げる。次は躊躇いなく在原へと移り、念願のたかいたかいをしてもらった。
香坂は疲れたように座り込み、在原に抱き上げられるアリサを見上げた。
「すみません、エリカが産まれてから結構あんな感じで」
「いや、きっと、両親とられちゃうと思ってるんですよ」
香坂には兄弟がいないので想像の範疇でしかないが。
ドニもアリサを見上げながら小さく肩を竦める。
「とられないのにね」
「それも可愛いと思うのは親バカですかね?」
「親バカだと思います。もっとアリサちゃんを甘やかしてください」
はい、とドニはそれを真摯に受け止めた。香坂はそれに笑っていると、在原がやってくる。
「さつきちゃんもたかいたかいしよ!」
「しないよ。在原の腰が砕けるから」
「お姫様抱っこならできる」
「しよ!!」
「しません」
朗らかに笑っている。ドニは千代の言葉を思い出していた。確かに、在原は香坂に"構っている"のではなく、"構ってほしい"のだ。
アリサを下ろしても尚、香坂の隣を陣取っている。
「エリカちゃん大丈夫ですか?」
「お腹空いてたみたい。ミルク飲んだら落ち着くと思う」
「アリサもやる!」
先ほどとは打って変わってぐずるエリカの元へ駆け寄る。千代が「一緒にね」と言いながら、ミルクをエリカに飲ませていた。
「そういえばさ」
在原が焼き魚を片付けながら口を開く。
「俺、映画撮ることにした」
「そうなんですね」
「そんで仕事も落ち着いたら辞める」
「そうですか。何撮るんですか?」
「まだ何も決まってない。つか、仕事辞めることに驚けよ」
きょとんとした顔でドニが在原を見た。それがアリサに似ていた。
「驚きませんよ。在原くんは映画を撮る運命にあると、皆思ってますから」
ね、と香坂を見る。香坂は深く頷いた。
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