vol.18 ようこそ
「――さみい」
「寒いって言いながらアイス食べるって」
「じゃあ家帰れば?」
「家には……帰りたくないの」
枕崎演じる少女が苦笑しながら足元を見つめる。それを横目で窺う楢演じる青年が、話題を変えた。
「いつも八時に缶コーヒー買うおっさんがいてさ……」
在原はスクリーンを見ていた。
映画が好きだ。映画館という場所が好きだ。兄に連れて行ってもらった時のあの感動は、今でもずっと心にある。
そういうものを作りたいと思った。そして、同じように映画館に足を運んでもらいたい。
発表が終わり、投票用紙の集計時間として休憩が設けられた。香坂はトイレへと立ったついでに、ふらりと会場の外に出た。空は暗くなっていた。
コートを置いてきたので、寒さに身を竦めた。しかし、冷たい空気が肺に入って、ぼんやりしていた頭がスッキリとする。
何かを作っている人に、大学に入って初めて出会った。
そういう人がいることは知っていた。大学に文芸部もあり、入ろうかと頭を過ぎった時期もあった。しかし、誰かに読んでもらいたい文章は書いていないと思い留まった。
今もそれは変わらないけれど。
「風邪ひくぞ」
声をかけられ、振り向く。在原が香坂を見ていた。同じように外の空気を吸いにきたのだ。きちんと上着を羽織っている。
とことこ、と香坂が在原の元へ歩いていく。
「あー、鍋食いたい」
隣に並んだのを見て、会場へと入っていく。
「もつ鍋」
「キムチじゃね」
「辛いの嫌い。あ、水炊き食べたい」
「それ良い。シメは卵の雑炊」
二人して視線を合わせた。
「そういえば、聞いてなかったんだけど」
「なんすか」
「どの賞が欲しいの?」
「――それでは、ショートフィルム部門作品賞から発表致します」
誰もが手を併せた。在原はただ前をじっと見つめていた。香坂も同じく、張り詰めた空気を感じるだけ。
願うことは無かった。祈りは、努力にはならないから。
しかし隣で目を瞑る佐田やドニは、それを知る由もない。
「まずは入選二作品から発表致します」
入選二作品、
少しためた後、作品と団体名が発表される。ランダムは昨年、入選にも作品は入らなかった。
段階を追えば、入選すれば良い方だ。
一つ目の作品と団体名が発表される。その団体の席が湧き上がり、佐田が顔を上げてそちらに視線をやった。
二つ目の作品が発表され、一気にランダムのメンバーから緊張が消えたのを感じた。入選した団体が喜ぶ姿。拍手が起こる。
香坂は心臓が痛くなった。これが嫌だった。選ばれないのは辛い。選ばれないものを作ったなんて辛い。ここから逃げ出したい。
「続いて、優秀賞……が該当なしとなり、最優秀賞作品が二作品となっています」
珍しいね、と誰かが呟くのが聞こえ、会場内がざわめく。
「あるんだね、そんなこと」
佐田の言葉に、香坂がそちらを向いた。
「あんまり無いんですか?」
「てか、初回から今までそんなこと一度も無かったよね」
「そうですね。優秀賞と最優秀賞とで分かれてます」
ドニは形態の画面をスクロールしながら答えた。歴代の作品賞が行ったりきたりする。
「まず一つ目の最優秀賞作品を発表致します」
会場のざわめきが落ち着き、司会が進める。
「団体名、鶴舞大映画研究会。作品名、君が大人になったとき」
鶴舞大のTシャツを着た面々が肩を抱き寄せ、喜ぶ姿が見えた。ぎゅ、と香坂は無意識に手を握りしめる。
拍手が起こるのと共に、誰の頭にもこの結果の想像は出来ていた。どこよりも良い作品を出していたからだ。
ランダムの殆ども鶴舞大に票を入れただろう。
「鶴舞大代表の方、壇上までお越しください。そして、二つ目の最優秀賞作品を発表致します」
香坂は在原を窺う。前を向いたまま、少しも動かない。何を考えているのか分からない。
「団体名、ランダム。作品名、冬」
耳の奥がしんとする。目の奥で熱く何かが込み上がり、在原は香坂を見た。
同じように、香坂も在原を見ていた。
メンバーの誰かが立ち上がり、歓びの声を上げる。佐田がドニとハイタッチをする。それは先ほどまで、不安な気持ちで見ていた光景だった。
香坂の腕に佐田が絡みつく。それで我に返ったように、香坂はそちらを向いた。
「ランダム代表の方、壇上までお願い致します」
「呼ばれてる」
立ち上がろうとしない在原の袖を引っ張り、香坂が言う。
「あ、おお」
「よっ、監督!」
「おお」
後ろから口々に声をかけられ、在原は頷きながら返事をする。佐田とドニが「大丈夫か」と心配げな顔をした。数段下りた後、くるりと踵を返す。
席に戻ってきたので、忘れ物か、と香坂は動作を見ていた。在原が手を伸ばし、その手が香坂の手首に微かに触れる。
何か言いたげに香坂を見て、それは声にはならないでいた。
「行ってらっしゃい」
静かに香坂は言った。あの時と同じだ。出来上がったショートフィルムを見せてもらった後。
「行ってくる」
その言葉が欲しかったのだと、在原は言われてから気付いた。
歩き出す在原に拍手は続き、壇上へと進んで行った。
「何考えてたんですか、ぼーっとしてましたけど」
ドニの質問に、在原は焼き鳥の串を口から出す。
「いつ?」
「発表の時です」
「あー、美味い水炊きの店どこかなって考えてた」
「はあ? 水炊き?」
険しい顔をした佐田が枝豆を持つ。その隣で香坂は卵焼きに手を伸ばした。
「直前に香坂と水炊き食いたいって話しててさ、な」
「え、そうだっけ?」
「鍋の話したじゃん、思い出して」
「あ、した……水炊き食べたかった……」
しょんぼりした顔になっていく香坂に、佐田が蒸しよだれ鶏を差し出す。卵焼きに伸ばしていた手が鶏へと変更された。
「余裕ですねえ……その余裕が、最優秀を貰えたと」
「いやただの現実逃避だった、な」
「監督ー、香坂さん寝てまーす」
「先生、起きてください先生ー!」
鶏肉をもぐもぐと咀嚼しながら目を閉じる香坂を前に好き勝手小芝居を始める面々。
いつもなら在原は演者と裏方のテーブルを行ったり来たりしているのだが、今日は乾杯の音頭を取ったきり、仲の良いテーブルの奥に座っていた。結局水炊きでも鍋でもなく、いつもの居酒屋へ帰ってきた。
目を開いた香坂が立ち上がり、「お手洗い行ってきます」と言い残し、宴会場を出ていく。
「……嬉しい」
ぽつりと呟く在原。その言葉に、ドニと佐田の視線が集まる。テーブルに肘をつき、手で顔を覆う在原を見て、二人で顔を見合わせた。
「泣いてる」
「今回は感動?」
「じゃないですか? 良かったです」
「ね」
ビールを呷りながら微笑む。去年は悔しくてひっそり泣いていたのを見ていた二人だった。
鼻を啜る在原がおしぼりで顔を拭う。
「ありがと、一緒に映画作ってくれて」
「何かのフラグを立てにきてる」
「真澄くん今日ずっとフラフラしてません? 隈もすごいですし」
「こんなに嬉しいことは……」
勢い良く立ち上がり、在原は「トイレ行ってくる」と未だに鼻を啜りながら言った。
宴会場を出ると、三和土との間にある板間の出っ張りに香坂は座っていた。
正確には、座り込んで眠っていた。
……嘘だろおい。
「五月ちゃん。香坂、香坂さーん」
返事がない、ただの……と思っている場合ではない。感傷的だった気持ちは引いて、在原はその近くにしゃがむ。
「聞いてるか?」
「……はい」
眠そうに目を開き、返事をした。
「脚本、書いてくれてありがとう」
「どういたしまして」
香坂はうーん、と腕を伸ばして答える。隣の宴会場から歓声と笑い声があがった。在原は続ける。
「本当に助かった」
元々、コンクールに応募する作品の脚本を書くという注文だった。香坂はそれに答えただけだ。
「そんで、言うの忘れてたんだけど」
「何ですか?」
「ランダムへようこそ。これからよろしく」
手を差し出された。在原の目元は赤く、泣いたのだろうと想像が出来た。
香坂は手を伸ばす。簡単にその手は取られ、握られる。
「……よろしく、監督」
――どの賞が欲しいの?
香坂の問いに、在原は笑って答えたのだ。
「作ったからには、いつだって一番が欲しいだろ」
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