第58話 巫蠱の祠

 首の無い漆黒の馬が馬車を引いて霧の中を進んで行く。

 馬車の周りだけ霜が降りるほどの冷気に包まれているのは、きっと幽霊系の種族がその中で愛を語らっているせいだろう。


 ほどなくして馬と同じく首の無い御者が胸を張るように手綱を引いて馬車を止めた。 

 そこは黒いものにまみれた、おどろおどろしい小屋の前。馬車のドアがゆっくり開くと若い男たちが降りてきた。


「うう、寒い。って、なんだこれ」

「小屋に黒い腕が絡まってる……」


 小屋を見たラゼルとカシオの顔がその気味悪さを存分に物語っている。


「私の隠れ家なんだ。いや、秘密基地と言った方がいいかな。子供のときに父やアドイードと共に作ったものでね、このダンジョンには私の以外にも兄弟たちの秘密基地がたくさんあるんだ」


 胴体がエスコートするヴィレッタに抱えられたファーガスの頭が小屋を見て懐かしそうに目を細める。ただ、その中にはほんのちょっぴりの寂しさも紛れて見える。


「素敵な秘密基地ですね、あなた。私、黒腕草こくわんそうは大好きよ。超遅効性の猛毒なんてロマンティックですもの」


 独特な感性を披露しつつヴィレッタはファーガスの頭を胴体に乗せると、体を寄せて夫の冷たい胸に収まった。


 馬車の中でファーガスから今日がいかに大切なのかを聞かされ甘い空気を散々ぶつけられていたラゼルは、胸焼けしそうな気分を凝り固まった体を解すことで誤魔化し始めた。

 しかし、カシオはファーガスたちをじっと見ている。


「この中に下層八四階へ繋がる暖炉があるんだよ」

「何で暖炉?」


 ヴィレッタの肩を抱いて歩き始めたファーガスの後を歩きながらラゼルが問う。


「その方が秘密基地らしいだろ?」


 ファーガスは照れ臭そうに笑い、そのままボロボロの扉を開けて小屋に入って行った。

 扉は主の帰還を喜ぶように薄気味悪い音を鳴らし、壁いっぱいに絡みついた黒腕草は風もないのにざわめき立つ。


 ラゼルは躊躇することなくファーガスたちに続いたが、カシオは本当に付いていってもいいのか少し不安になっていた。

 だがラゼルに呼ばれたので嫌々ながら扉をくぐってしまった。


「うわっ、けっこう暗いな。それになんていうか……独特な臭いがする」


 カシオが鼻を擦って小屋の中を見回していく。


「そうか?」


 飾ってある絵画や古ぼけた人形が自分を見ているような気になったカシオは、自然とラゼルの横に並ぶ。


「秘密基地かぁ。俺も爺ちゃんに頼んだら作ってくれるかな」

「張り切って作るだろうね。但し、よくよく見張っておかないと余計な仕掛けなんかを勝手につけるから気を付けた方がいい」


 ファーガスはラゼルの独り言に答えると、やたら大きな暖炉に向かってなにかを囁き始める。

 次の瞬間、暖炉に勢いよく赤黒い炎が現た。

 壁に揺らめく四人の影は、あたかもよくないものが背後に現れたかのようだった。

 おまけに炎はすべてを焼き尽くさんばかりに燃え盛り、暖炉の中から飛び出そうとしている。まるで地獄の業火を喚び出したのではと錯覚するほど激しく、そして恐ろしい。

 カシオはいっそう不安な気持ちになった。


「まぁ、綺麗な炎。それに合言葉だなんて可愛らしいですわね」


 そんなカシオとは反対にヴィレッタはクスリと笑って楽しそうにしている。その顔には、ついさっきまで感じられなかった生気が宿っているように見える。


「当時は格好いいと思っていたんだよ」

「うふふ、そういうことにしておきます」

「叔父さん、早く下層八四階とやらへ行こうぜ」


 急かすラゼルにやや首をすくめた・・・・・・ファーガスは、再び何かを囁いた。

 すると炎は青白く色を変え大人しくなる。

 そのまま仰々しい動作で手を翳せば炎は輪になり、塞がっていたはずの暖炉の奥へと連なっていった。


 ――行ってはいけない。

 カシオの直感が叫んでいる。


「これを進めば下層八四階へ着く。はぐれないように気を付けてくれ」


 ファーガスはそれだけ言うとヴィレッタを連れて暖炉の奥へと姿を消した。


「絶対行かない方がいい」

「はぁ? いいから行くぞ」

「い、嫌だ!」


 ぶんぶん首を左右に降るカシオを見て、ラゼルは意地の悪い笑みを溢した。

 そして手の甲で眠らせている・・・・・・大きな腕しかない従魔を一体だけ起こすと、嫌がる弟を強引に暖炉へ引きずって行った。



 ◇



「クソッ! 間に合わなかったのか!?」


 巫蠱ふこの祠へ先回りしたつもりが、どういうわけかすでにアドイードがことを終えてしまっていた。


「あ、遅かったねアリュフ様」


 異様なまでの邪気を放つ五つの壷の前でご機嫌な鼻歌混じりに摩訶不思議な踊りを踊っていたアドイードが、やり遂げた感を全面に出した顔を向けてくる。

 その手にはもう、あの素晴らしい宝物は握られていない。


「遅かった……だと?」


 そんなはずはない。

 アルフはニニア地区のやたら複雑な骨だらけの迷路をすっ飛ばして、その中心にあるこの場所へ来たのだ。


 体内ダンジョンに限り好きな場所へ瞬時に移動できる自分が遅れるなどあるはずがない、とアルフは思っているのだろう。訳が分からないといった顔をしている。


「こりぇかりゃは、もっとアドイードのこと見りゅようにしなきゃだよアリュフ様。途中でアドイードがクインといりぇ変わったのに気が付かないなんてアドイード悲しいよ」


 拗ねるような、でもどこかドヤるようなアドイードの顔にアルフはイラッとした。 

 しかし今は気持ちを押さえて考えることを優先させる。

 いったいいつ入れ替わったのか。おそらく一瞬戸惑ったあの時だろう。

 アドイードは自分・・が空けた空間の穴を直接この巫蠱ふこの祠へと繋ぎ移動すると、すぐに接続場所をニニア地区の入口へと変えたに違いない。


 同時にクインをアドイードそっくりに変じさせ、ニニア地区の入口へ転移させる。そしてあたかもアドイードが自分の目の前でニニア地区へ駆け込んだかのように見せた。時間にするとほんの僅かだがアドイードにはそれでも十分すぎる。アルフの履いていたパンツを壷に入れ、魔法でその時間を加速させればいいのだから。

 色んな階層を付かず離れずで逃げ回っていたのも、追いかけっこ遊びだと自分に思わせるためだったのだろう。そう結論付けたアルフに間違いはなかった。


「こりぇで――」

「どれだ? どの壷に入れたんだ?」


 満足気なアドイードを真顔のアルフが遮った。

 まだアドイードが思考の共有をやや拒否しているため、アルフにはわからなかったのだ。

 それに踊りの効果なのか、本来植物など根付くはずもない壷が、どれも苔むせる壷と化していて見分けがつかない。


「ふぇ? こ、こりぇだよ」


 アルフの迫力に気圧けおされたアドイードが目の前の壷を指差す。


「その壷はファーガスの剣を入れてただろ!」

「そうだっけ?」

「あんなへなちょこ剣じゃ、あのパンツを貫けるはずがない! あぁぁぁぁ、なんてことだ!」


 頭を抱えるアルフを不思議そうに見上げるアドイードは、頑張ってアルフが困っている原因を思い出そうとした。


「う~んと、ファーガス? 剣? えっとぉ………」


 しかし残念ながら、自分の力では何も思い出せなかったアドイードはアルフと思考の共有を再開。


「はわっ!?」


 そして気が付いた。

 アドイードの顔からみるみる色が消えていく。冷や汗も垂れているようだ。


「お、俺は知らないからな!」


 アルフはなにもかもアドイードに押し付けて立ち去ろうとする。が、それはアドイードの蔓によって阻まれた。


「ア、アリュフ様とアドイードは二人で一つ……だよ?」 

「ふざけるな! 俺はファーガスに怒――」


 アルフは最後まで言えなかった。


「父さん! それにアドイードも! ああ、グルフナまで! 皆勢揃いじゃないか!」


 そう、ファーガスが来てしまったのだ。


「さっきは追いかけっこを始めたから僕との約束なんてこれっぽっちも覚えてないのかと思ったけど、クインを迎えに寄越してくれるし、そんなことなかったんだね」


 アルフとアドイードがこの場で待っていてくれた・・・・・・・・ことがよっぽど嬉しいのだろう。うっすら涙を浮かべているファーガスの喋り方は幼い頃のようだった。


「お義父様ったら、サプライズがお上手ですのね」


 ヴィレッタの目にもキラリと光るものが見てとれる。


「やるな爺ちゃん。てことはさ、稽古はこの後にするんだろ? まったく、俺にもサプライズだったぜ」


 カシオを拘束したままのラゼルが嬉しそうだ。

 しかしそれらはアルフとアドイードの冷や汗を増やすだけだった。

 我が子にも孫にもがっかりされたくないアルフと、ただただ怒られたくないだけのアドイード。脳ミソをフル回転させてこの場をどう切り抜けようか、頭の中でやり取りしている。

 自分たちに魔法をかけたわけでもないのに、数秒がやけに短く感じられる。それでも、余計なことをしたクインに念話で文句を言うあたり、まだ余裕はあるのかもしれない。


「じゃあ父さん……いえ、父上。お願いいたします」


 表情を引き締めたファーガスがひざまずき両腕を差し出してくる。ヴィレッタもファーガスの隣で跪きうやうやしく頭を垂れた。


 ダラダラと流れ続ける冷や汗を、誰にもバレないよう偽卵にするアルフと、時空魔法で虚空の彼方へ消し去るアドイード。

 そんな必死な二人を、元はとても可愛らしいであろう最凶の人形クインがニタニタしながら眺めていた。

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